この時期はどうも食材が傷みやすくて仕方ない。夕餉に使うお野菜がいくつか駄目になってしまっていたと、買い物に出るところだったらしい山崎さんに会った私とクラちゃんは、多忙な彼に代わって買い出しに行くと申し出た。

「それは助かりますが……麻倉さんですか……」

「ちょっと山崎君、その反応はあまりにも失礼なんじゃない?」

クラちゃんを見て嫌そうに顔を歪めた山崎さんに、どうかしたのかと尋ねると、

「最近、市中でやたらとあなたの名前を聞くものですから。活躍するのは結構ですが、組織の一員である以上、あまり突出した行動をとられては困ります」

……と、とても不機嫌そうに答えてくれた。少し前まで怪我で療養していなければならなかったクラちゃんに、度々していたようなお説教の口調に、私は思わず苦笑する。それをハイハイと返して軽くかわすのがクラちゃんなのだけど、今日は様子が違った。

「……何それ。あたし、最近は町に出てないよ。せいぜい昼の巡察行ったくらいだし、その時に取り締まった不逞浪士の相手は隊士に任せたし」

「えっ…それって、つまり…?」

「活躍なんて言われるようなこと、した覚えないってこと。…ま、前にも尾ひれつきまくりの噂流れてたことあったし、ほっとけばおさまるでしょ」

身に覚えのない噂を流されて嫌な気分がしないのかと少し心配になったけれど、当の本人であるクラちゃんが何食わぬ顔をしていたので、私もそこで納得することにした。

山崎さんに見送られて屯所を出た私たちは、クラちゃんが久々に町に出たからと言って茶店に寄り、お団子とお茶をいただいて少し休む。そういえば、今日は朝からお手伝いばかりしていて腰を落ち着ける暇もなかったなぁ……クラちゃんも、先程会うまで隊務に忙しくしていたみたいだし。
あまりゆっくりしていては夕餉の支度に間に合わないからと、名残惜しくも茶店を後にする。私の隣を、クラちゃんは貰ってきたお団子を食べながら機嫌良さげに歩いている。

(さ、おいしいお野菜を選んで、早く買って帰らなくちゃ!)

「おい、貴様、どこに目をつけている!?」

そう意気込んだ矢先、私は道の脇から飛び出してきた浪士を避け切れず、勢い良くぶつかってしまって尻餅をついてしまった。慌てて立ち上がりながら謝ったけれど、相手の浪士は既に刀に手をかけていて、居丈高に怒鳴ってくる。

「そんな…私、すぐに謝ったじゃないですか!それに、ぶつかってきたのはあなたのほうでしょう!?」

「なに…!?口答えなどするな!小僧が、調子に乗りおって!」

つい言い返してしまうと、浪士はいよいよ刀を抜こうと柄を握った。思わず後退りした私に、隣にいたクラちゃんが溜め息を吐く。お団子をくわえて私の前に歩み出ると、彼女は腕を組んだ、刀を抜く様子などない体勢のまま浪士を見上げた。クラちゃんは小柄な可愛らしい女の子だけど、息が詰まるような威圧感を放つ時がある。今がまさにそれで、相手の浪士は刀を抜くことも出来ぬまま、息を呑んで彼女を睨み返している。

「そこまでだ!」

そこに突如割り込んで来た大声に、刺すような空気は吹き飛ばされた。

「年端もいかぬ子どもを相手に刀を持ち出すとは、武士のする事ではなかろう!侍は本来お国のためにのみ刀を振るうもの。あんたが誇りある志士だというのなら、ここは俺の顔に免じて引いてはくれまいか」

声の主は、通りの先から悠然と歩いてきた男性だった。背丈は、たぶん斎藤さんと同じくらい。年齢は平助君くらいかな……二本の刀を左差しにして、若い浪士といった出で立ちだ。
その人は私たちのそばまで歩いてくると、腰に両手を当てて大きく胸を張った。

「何だ、貴様!」

「俺の名か?名乗るほどの者でもないが…まぁいい。新選組の麻倉、という名を耳にした事ぐらいはあろう」


…………………はい?


「なっ…新選組の麻倉だと!?貴様が、あの麻倉か!?」

「左様だ。やると言うなら、この子どもたちのかわりに俺が相手になるが?」

「じょ、冗談じゃねぇ!新選組、しかも麻倉なんかと斬り合いなんざ、死にてぇ奴のやることじゃねぇか!!」

…………はっ!
我に返った時には、既に浪士は駆けて行った後だった。残ったのは、自信満々な態度で“新選組の麻倉”と名乗った男性だけ。
ふと気付いてクラちゃんのほうを見てみれば……ああ、クラちゃんが死んだ目をしてる……

「君たち、怪我は無いか?」

「あ……はい……」

「そうか、それは何よりだ。俺はここ数日、幾人も不逞な輩を取り締まってきたが、中には暴行されてしまっていた町人もいたからな。あの浪士が刀を抜く前に止められて良かったよ」

「はぁ……どうも……」

胸を張って語る“麻倉”さんに、私は曖昧な返答をすることしか出来ない。……い、言っていいのかな?でも、クラちゃんが知らぬ存ぜぬな顔をしているし……

「なんだ?俺が新選組の一員と知って緊張しているのか?なに、新選組の者たちは俺のように心優しく正義を貫かんとする者ばかりだ。怖れる必要などないぞ!」

「ぶふぅ!!」

「クラちゃん、笑わないであげよう…?」


出がけに山崎さんから聞いた話の真相がよくわかった。つまり、ここ最近噂になっていた『新選組の麻倉』とは、クラちゃんのことではなくこの“麻倉”さんのことだったのだ。様々な場所で事あるごとに、今のように『新選組の麻倉だ』と名乗っていたのなら、それは確かに噂にもなるだろう。

「よし、では友好の印だ。そこの茶店で団子でも馳走してやろう」

「ワーイ」

「(ちょっとクラちゃん!)あ、あの、生憎ですが私たち、これから買い出しを済ませなきゃならないので…」

「買い出し?……ふむ。ならば俺が荷物持ちを承ろう。責任持って家まで届けてやるから、重たい物も気にせず買っていいぞ」

「えぇ!?」

……なんだか妙なことになってしまった。
結局、遠慮も聞かずに買い物についてきた“麻倉”さんに半ば奪われる形で荷物を持たれて、私たちは帰路についた。どうにも気が散って、おいしいお野菜の選別も出来なかったなぁ…
クラちゃんはクラちゃんで、気にしていないだけなのか、はたまた面白がっているのか、別の茶店に寄って買って貰ったお団子をご機嫌で食べてるし。名を騙られているのはクラちゃんなのに、どうして私のほうがこんなに心配しなきゃならないんだろう。

「ねぇ、クラちゃん。このままほうっておくの?」

「んー?いいじゃん別に。それよりさ、家まで荷物運んでやるって言ってたけど、屯所に着いたらどんな顔するんだろうねコイツ」

「あ、うん、それは確かに……じゃなくてっ」

「そういや氷の錬金術師の名を騙る物好きもいたなぁ。まさか“新選組の麻倉”を騙る奴が出てくるとは思わなかったけど」

楽しそうに笑いながらそう話すクラちゃんに、行動を起こす気配は無い。今日みたいに人助けをする時だけだとしても、他人の名前を勝手に使うなんて…本人が文句を言うことくらい、しておいたほうがいいと思うんだけど。

と、先程“麻倉”さんに助けられた場所まで戻ってきた時、三人の浪士がこちらに歩いて来て、待っていたとばかりに口を開いた。

「おい。先程ここで騒ぎを治めたのはお前か」

「騒ぎ、というのは浪士がこの子らに絡んでいた事か?ならば、確かに俺が間に入ったが」

「……ならば、貴様が新選組の麻倉か」

荷物を私に渡してきた“麻倉”さんが応じると、浪士たちは頷き合い、左右に広がって刀を抜く。

「宮本先生の仇…とらせてもらう…!」

中央で刀を構える浪士が言った途端、溢れる殺気に私は身震いした。どういうことか、現状の把握に戸惑って“麻倉”さんを見上げるけれど、彼もわけがわからないといった顔で固まっている。

「な、なんの事…」

「とぼけるか!!年始めの頃、向こうの通り裏で先生の首を落としたのは貴様だろう、麻倉!!」



ーーまさか、

『新選組の沖田総司だな』

年始め。通り裏。

『行くよ、千鶴ちゃん』
『行って、千鶴』

沖田さんを狙って襲ってきた五人の浪士。高く飛んだ、ひとの腕。倒れた身体。やわらかな笑顔。血まみれの、

『……怖がらないでくれて、ありがとね』

向けた視線の先。目の合ったクラちゃんが、眉を寄せて笑った。

ーーああ、そうか。

この浪士たちが先生と慕う人は、彼女に殺されたのだ。



「ま、待て、俺は…」

「刀を抜け!貴様、我らを愚弄する気か!」

『新選組の麻倉』の名を騙っていた男は、本当にその名を利用していただけだったらしい。慌てて刀を抜くも、動揺しきって構えすらまともに取れない。自身の過ちには気付いたようだけど、時すでに遅し。自分は違うのだとここで告白しようと、もう浪士たちは聞き入れてはくれないだろう。騒然とする通りに、彼を救ってくれる町人はいない。斬りかかる浪士に恐れて無茶苦茶に振り回した彼の刀は、すぐさま相手に弾かれ落ちた。残る二人の浪士が、左右から同時に刀を振り下ろす。情けなく頭を抱え、悲鳴を上げた男の前に、立つ人影。

「ったく、相応の覚悟もないくせに人の名前なんか騙るから、こういうことになるんだよ」

掲げた愛刀で二本の刃を受け止める。仇と定めた人間の前に現れた人影に、驚いた浪士二人は後方へと飛び退いた。

「アンタたちも。そんなに尊敬してた人の仇、間違っちゃいけないよ」

「なに…?」

頭を抱えて踞っていた男が恐る恐る顔を上げる。彼を背にして立つ小柄な人影。『氷』を冠する愛刀を抜いたクラちゃんは、浪士三人に対しながらも、聞こえた足音に視線をよそへ向ける。通りの先から、だんだら羽織の列が歩いてきたのだ。

「おいおい、これは一体どういう騒ぎだよ。千鶴ちゃん?」

永倉さんだ。巡察に出ていた二番組が屯所に戻るところだったのだ。
私が経緯を説明するより先に、視線を巡らせて状況を見た永倉さんがクラちゃんに声をかける。

「麻倉。手ェ貸すか?」

“麻倉”さんがピクリと反応したけれど、彼も浪士たちももうわかっているようだ。浅葱色の羽織に驚きを露わにしていた彼らの視線は、永倉さんの声を受けて一点へ向けられる。

「いらない。手出ししたら怒るからね」

にんまりと、悪戯っぽく笑った空色のその人、“新選組の麻倉”へ。

クラちゃんの返答を受けた二番組は、刀から手を離して通りの脇に控えた。同じく、永倉さんも両腕を組み、真剣な顔でクラちゃんの姿を見守っている。

「千鶴ちゃんは先に帰ってな。隊士を何人か付けてやるから」

「……いいえ。私にも、見守らせてください」

永倉さんのその言葉が何を意味するか、これだけ長く新選組にいれば私にだってわかる。でも、彼の気遣いに私は首を振った。

『ごめんね』

もう、あんな思いはしたくない。彼女の帰りを待つだけ、なんて。





宣言通り、誰の手も借りずに三人の浪士を斬り捨てたクラちゃんは、隊士が差し出した手拭いで返り血を浴びた顔を拭い、永倉さんに頭を下げた。

「ごめん。こんな往来で、個人的な騒ぎ起こした」

ここに至った経緯を私が説明しておいたから、永倉さんも事情を知っている。彼は大きな手でクラちゃんの頭をぐしゃぐしゃと撫で回すと、らしくねぇな、と声を上げて笑った。

「帰ろうぜ。そいつも勝手場に届けなきゃなんねぇしな」

「あっ!そうですね」

そうだった。抱えていた荷物を忘れかけていたことに苦笑する。これを夕餉の支度までに届けなきゃ、今日町に出てきた意味さえなくなってしまう。
隊士たちの後に続くよう歩き出した永倉さんに、私もついて行こうとしたけれど、クラちゃんが足を止めたのに気付いて振り返る。彼女の見下ろす先には、地面に座り込んだままの“麻倉”さんの姿があった。
彼のことも、私から永倉さんに説明してある。新選組の一員の名を騙っていたのだから、本来なら処罰されるところだったのだろうけど、それを拒んだのはやはりクラちゃんだ。

「“麻倉”って名前は、アンタが思ってたほど軽くないってことだよ」

「……」

「機会は与えてやる。後はアンタが、自分で考えな。これからどうするのか、どうしたいのか」

淡々とした声で告げたクラちゃんの言葉に、彼は黙ったまま、しかし小さくコクンと頷いた。





「しっかし、よりによって麻倉の名前を騙る奴がいるとはなぁ」

「物好きっていうか、怖いもの知らずだよねぇ。何を思ってそんなことしてたのか知らないけどさ」

たぶん、悪い人ではないんだろうなと思った。妙な縁で少しの間一緒に過ごすことになってしまったけれど、今となっては少し名残惜しい。
……どうして彼は、クラちゃんの名を借りようと思ったのだろう。もう、問うことも出来ないのだろうけど。

「…ヒーローごっこなんて、あたしの名前じゃ出来るわけないのに」

「クラちゃん?」

「ううん。新選組の誰の名前を借りたって、結局ろくなことにならないよなって」

「確かにな。新選組は嫌われもんだからなぁ」

でも、土方さんの偽者とかなら見てみたいかも。
そりゃあいい、一人くらい出てこねぇもんかな。

荷物を持ってくれた永倉さんの後ろを、私たちは二人、歩く。
自然を装って張られる、クラちゃんの明るい声がぷつんと刺さる。そっと伸ばした手で彼女の右手を握れば、とても小さな声が耳に触れた。


『ありがとね』






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