「……った…」

突き飛ばされ、倒れた衝撃で打った腰が痛んだ。しかし直後、自分の見た光景を思い出して顔を上げる。肩越しに閃いた刃。突き出された鈍色。助けた筈の男の、歪んだ笑み。
ああ、まずいな。頭の片隅で冷静に思った直後、伸ばされた手に突き飛ばされた。

「大佐…っ!」

顔を上げた先、ナイフを持ったままの男の前にセツナは立っていた。幸いにも、リオンが自身に起こると想定した最悪の状況には陥っていなかったが、男の持つナイフの刃先が赤いものを垂らす。もう一度セツナに目を向けると、彼女の頬に一筋赤い線が見えた。
そこで漸くリオンは状況を理解する。人質にとられていた筈の男は凶器をもってリオンたちに襲いかかり、同じく女のほうも懐からナイフを取り出している。浮かんだ表情は二人とも笑み。罠だ。ここに『人質』はいない。
すっかり気を抜いてしまっていた自身に内心舌打ちし、セツナに礼と謝罪をしようと立ち上がった。

「……大佐?」

だが、セツナの様子がおかしい。その目は敵を睨むでもなく、宙を見つめたまま凍りついている。手は、腰の剣でなく顔に伸ばされ、頬をゆっくりと撫でた。溢れた血が手の甲を汚し、頬を伝って零れ落ちる。
もう一度彼女を呼ぼうとしたリオンは、息を呑んだ。血の付着した手を見た瞬間、色を変えた金の双眸に。





「…………え?」



それが誰の声だったか、リオンにはわからなかった。

銀色だった刃は赤を纏い、伝い落ちた液体が床に溜まりをつくる。
噴き出した血は隣に立つ女に降りかかり、一瞬遅れて甲高い悲鳴が響いた。

リオンは見た。
彼女の形のいい唇が、歪につり上がるのを。

(倒れた)

崩れるように倒れた男は、首を深く切られて夥しい量の血を流していた。何が起こったのかわからないままの表情で、開ききった瞳孔が虚空を映す。

(死んだ)

悲鳴を上げた女が逃げるように駆け出した。セツナはそれを追わない。女が逃げたのが、扉でなく、倉庫の奥だったから。

(殺した)

女を追った金色の視線が、倉庫の中を巡った。逃げ場がないのに逃げ回る女の悲鳴で、気絶していた男たちが次々に目覚め始めたのだ。

(殺した?)

血溜まりに沈む仲間を見つけ、鳴りやまない女の悲鳴を聞いて、男たちの顔色が変わっていく。悲鳴を上げる者、武器を探す者、震える足で逃げようとする者。ゆっくりと進む足取りが、白いコートを柔らかく揺らす。

(……殺し、た)

振り上げられた刃が再び赤を散らすのを、止めることは出来なかった。







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