立っていられなかった。噎せ返るような血の匂いと、狂気で固まった空気に窒息してしまいそうだった。

「大佐……」

何度、こうして彼女の呼び名を口にしただろうか。しかし、彼女は一度も振り向かなかった。

また一人、命を断たれた男が落ちた。ドロリとした赤いものが溢れ出て、床を染め上げる。
動けなかった。彼女を止めることはおろか、響く断末魔に耳を塞ぐことさえも。何も。何も、出来なかった。別人のように狂気に染まった笑みを浮かべながら、ただ人殺しを楽しむセツナの姿を見ていただけだ。
ゆっくりと視線を巡らせ、改めて恐怖に身を震わせる。倒れた男の開いたままの目が、じっとこちらを見つめている気がして息を呑んだ。

暫し動かなかったセツナが顔を上げた。獰猛な獣のような光を帯びた金眼が、倉庫の隅、へたり込んで動けなくなってしまった女をとらえる。女はひっと短く悲鳴を上げ、力の入らない足を引きずるようにして逃げ回るが、迷いなく歩みを進めるセツナから逃げられる筈もない。
ギラリと光った刃が振り上げられると、女の顔が絶望に染まった。

「駄目だ大佐!!」

セツナと女の間に、リオンは転がるように飛び込んだ。両腕を広げて背後の女を庇い、真っ直ぐに金眼を見上げる。セツナの動きが止まった。

「もういいだろ!?…もう、やめてくれよ…!!」

指先まで情けなく震えていたが、リオンは腕を下ろさない。悲痛な声を絞り出し、必死にセツナを呼ぶ。もう人が死ぬのは見たくない。彼女が人を殺すところなど見たくない。リオンを見下ろしてじっと動かなかったセツナはーー笑った。

「…………ッ!!」

鋭い痛みが全身を駆け抜けた。悲鳴を上げる間もなく、崩れ落ちる。熱い。振り下ろされた刃に抉られた右肩が、燃えるような熱を抱いてリオンを朦朧とさせた。
噴き出した血に、セツナは満足そうに目を細める。床に倒れ込んだリオンが手を伸ばすが、その先にあったのは血まみれで事切れた女の姿だけだった。

「……大佐…」

感覚を失いそうになりながら、しかしリオンはそれを許さなかった。腕を震わせながら体を起こせば、右肩からぼたぼたと落ちた血が床に広がっていく。感じたことのない痛みだ。信じられない。正直、このまま意識を飛ばしてしまったら楽だったろうと思う。
けれど、それは出来なかった。セツナをこのまま野放しにしたら、絶対に後悔する。

「大佐」

なあ。俺の声、聞こえない?

クールな表情だけれど、こちらを見る眼差しは優しくて、時折浮かべる微笑みは本当にきれいだ。その表情が今、見上げた先になくても、リオンは絶望しなかった。
獰猛な笑みが剣を振り上げても、ただ、まっすぐに彼女の瞳を見つめていた。







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