「すっげー!」
「ブー!」
灯台の長く続く階段を上って窓から外を見れば、まるで作り物のように小さく見える街並みとどこまでも続くきらきらした海が目の前に広がった。
いつもより眩しく見える景色に額に手を当てて遠くを見る。隣のブーバーも潮風なんてもう気にしてないのか、海と同じようにきらきらした目で景色を眺めていた。
「あー、これ絶対明日足むくむ…!」
遅れて上ってきたルエノは数段下でしゃがんで手で足を解しながらそう嘆いていた。
「ルエノも外、見てみろよ!」
「はしゃいで落ちたりとかしないでよね…?」
少し呆れたようにそう言ったルエノだったけど、俺の隣に来て外に目を向けた。綺麗な景色に癒されたのか、疲れた表情だったのにすぐ柔らかい表情に変わった、気がする。
「すごいよな、見る高さが変わるだけで景色ってこんな変わるんだな!」
「…そうね、すごいわ」
そう小さく呟いたルエノがちらっと俺を見た気がする。でも俺がルエノを見る頃にはもう俺を追い抜かして階段を上っていた。少し上のほうにはもうモココが行っていて、早く来いと言わんばかりに手を振っている。そこにゴースがふわりと行けば、モココの頭の上に休憩するように乗っかった。
「ルー、大丈夫か?」
「…疲れ、てきた…」
更に遅れて上ってきたルーが頬の汗を拭って足を止めた。どこか息もあがっているように見える。俺はふと思い立って数段下のルーのところに行って、背中を向けてしゃがんだ。ルーはなんだかよくわからないようで首を傾げている。
「次のところまでもう少しだし、おぶるぜ!」
「えっ…」
「ほら、乗った乗った!」
少し戸惑っていたルーだけど、そっと俺の背中に寄り添って肩に手を置いた。それに笑顔で応えれば、腕でしっかりルーの体を支えてからぐっと立ち上がる。
「っ…!」
初めてなのか少し怯えたみたいに腕を前に回してしがみついてきたルー。それに笑いつつ俺は階段をゆっくり上り始める。
「大丈夫、落としたりしないぜ」
ルーのふわふわな髪が肌に当たって少しくすぐったい。安心させるために慎重に階段を上っていれば、アグアとヘイガニが俺たちを追い越していった。
「なぁアグア、さっきリカにあげたのってアグアの描いた絵か?」
リカに渡していた紙からちらりと覗いた絵の具の青色。それが気になって思わず聞けば、アグアは前を向いたまま少し階段を上る足の速度を落として肩にかけていた鞄を持ち直した。
「あぁ、まぁな」
「今度絵、見せてくれよ!あ、描いてるところでもいいぜ」
「お前に見せて何になるんだ」
「いいだろ?減るもんじゃないんだしさ」
ふとアグアが足を止めて振り向く。顔は相変わらず真顔だったけど、少し瞳が揺らいだように見えた。それに俺も足を止めれば、背中のルーが小さく声を上げた。
「…お前は…」
何かを言おうとしたアグアにちゃんと聞こうとそっちを見ていれば、俺から視線を逸らしてまた前を向いてしまった、かと思えば。
「馬鹿だな」
「えっ!?どうしてそうなったんだよ!」
何故か馬鹿にされた。アグアはそれだけ言うと階段をすたすた上っていってしまい、わけがわからず俺は背負ったままのルーを見る。
「…俺、何かした?」
「…わからない…」
二人で首を傾げてから、俺は階段を上る足を進めた。




「デン?」
階段を上りきった俺たちの目の前に現れたのは、これまで見てきた灯台の中とはうって変わってまるで誰かの部屋のような場所だった。ふかふかの絨毯の上に大き目の机があって、ベッドまで置いてある。
ベッドには一人の女の人が座っていて、その人に頭を撫でてもらっていた黄色のポケモンは俺たちに気付いて一声鳴いた。
「こんにちは」
女の人も俺たちに気が付いて、優しく微笑みながら声を掛けてきた。この人がポケモンの声が聞こえる、という女の子だろうか。
「こんにちは!俺たち噂を聞いて来たんだけど、もしかしてお姉さんがポケモンの声が聞こえるっていう人ですか?」
「ごめんなさい、私ではないんです。私はミカン、このアサギシティのジムリーダーをさせてもらってます」
そっとベッドから立ち上がったその人は、ジムリーダーだと名乗った。胸元には確かに光に照らされて輝くバッジが見える。
「それじゃあ、噂の女の子は…」
「先程帰ってしまいました…」
ミカンの言葉に後ろでルエノが悔しそうに呻いているのが聞こえた。
「あいつの妨害さえなければ…もうっ」
ルエノの言うあいつ、とはラノのことだろう。父さんの仲間で、大層物騒なことを言っていた。連れていたポケモンたちも強くて、ここに来るまでのバトルの経験とかルエノのポケモンたちの手助けがなければ俺だけでは太刀打ち出来なかっただろうと思う。
おぶったままだったルーを背中から降ろしてやれば、まだ疲れが抜けていないのか大きく息をついた。俺も流石に足に疲労がたまっていて、額に浮かんでいた汗を拭う。
「お疲れですよね?どうぞ椅子に座って休んでいってください。何か飲みますか?」
ミカンはどこか嬉しそうにそう言えば、机の近くにあった棚からコップを出して机に並べだした。お言葉に甘えて大きな机の前に並ぶ椅子に座ると、途端に足が重くなったように感じた。
「ありがとうございます」
「気にしないでください、アカリちゃんと二人きりであまりお客さんも来ないものだから、嬉しくて」
「この子?アカリちゃんって」
俺たちがここに来た理由は、ポケモンの声が聞ける女の子に会う為だった。その女の子が会いに来ていたというアカリという名前のポケモンが、俺たちの目の前にいる黄色のこのポケモンらしい。ルエノが確認するように言えば、嬉しそうに一声鳴いた。
「あら、あなた…モココを連れているんですね」
「私のパートナーよ。私ジムに挑戦して回ってるから、あなたとも是非戦いたいんだけど」
ミカンがこの町のジムリーダーだと知ったルエノは早速勝負を持ちかけ始めた。隣にいるモココも察してかやる気たっぷりのアピールに鼻息荒くミカンを見上げている。
ところがミカンは困ったように首を傾げて笑っていた。
「ごめんなさい…今は戦えないんです」
「え、どうして?」
「正式なバッジをかけたバトルは、ジムで行わなければならないのですが…私は今ここを離れられないのです」
コップにジュースだろうか、飲み物を注いで俺たちに配ったミカンはそう言いながらアカリの首元を撫でた。ルエノは納得いかないのか少し怒っている様子でミカンを見ている。
「じゃあ、いつになったらここを離れられるわけ?」
「…わからないのです」
「わからない?」
どうも普通じゃない理由があるようだ。美味しそうな飲み物を一口飲めば口いっぱいに甘い香りが広がって、少し体の疲れを取ってくれるように感じた。
「何か困ってるんですか?」
思わずそう聞けば、ミカンはそっと窓のほうを見た。釣られてそっちを見てみれば、あまり話に関心がなさそうに窓の近くに立っていたアグアが海を眺めているのが目に入った。
「ジムを回っているということ、ですが…この海の先に、タンバシティという町があるのはご存知ですか?」
「勿論よ、そこのジムも行かなくちゃいけないもの」
「そうですか…ならば海を越える必要があるのですね。それならばお伝えしておかなくてはなりません」
どこか寂しそうな表情で海のほうを見ていたミカンは俺たちに向き直ると、それまでの優しく大人しい顔つきとは変わって、凛々しいジムリーダーと言うに相応しい雰囲気になった。
「ここ最近、海の様子がおかしいのです」
「…海の?」
反応したのはアグアだった。階段を上ってきて疲れてるだろうに壁にもたれ掛ったままだったアグアは、一言呟きミカンのほうを見た。
「えぇ…海のポケモンたちの様子もおかしいと聞いていますし、不審な人物を見たという報告も」
「海の上で不審者?」
「アサギとタンバを結ぶこの海には、うずまき島と呼ばれる四つの小島があります。それらは常にうずしおによって閉ざされ、極一部のトレーナー達しか訪れることは出来ません。そのうずまき島に…不審者がいる可能性があると報告を受けています」
ルエノの疑問の声に丁寧に返したミカンは言い終えると、小さく溜息をついた。
「この灯台から見える範囲だけでも、監視をと。いざという時はこの灯台から海にいるトレーナー達、船を出している者達に向けて緊急事態だということも発信しなければなりませんから」
これもジムリーダーの役目であると笑ったミカンに、何か出来ることはないかと考える。
「じゃあ、空からは?ポケモンに乗って空からうずまき島に乗り込んでみて…」
「いいえ…残念ながら。うずしおによって閉ざされ、極一部のトレーナーしか立ち入れないと言いましたが…空からはまったく近寄れないのです」
「どうして?うずしおなんて海だけの問題じゃない」
「もしそれが可能ならば、とっくの昔にうずまき島の全貌は明らかになっているでしょうね…。キキョウシティのハヤトさんのお力を借りて、私たちも幾度か試したことがあります」
キキョウシティのハヤトと言えば、とりポケモン使いのジムリーダーだ。ジムリーダーがどうやって決まってるのかとかまったく知らないけど、きっと組織があってそこで繋がりがあるんだろう。
「しかし、四つのどの島についても、近付こうとするとポケモンたちが嫌がるのです」
「嫌がる…?」
ルーが小首を傾げる。それにゆっくり頷いたミカンは真剣な表情のままで。
「嫌がる、というより恐れているようにも思えました。あのうずまき島には、海の神と呼ばれるポケモンがいると伝えられています。きっとそのポケモンの力なのかもしれません」
「じゃあ、仕方ないか…」
ジムリーダーたちが色々やってみてダメだったこと。それを俺がどうこうしようなんて到底無理な話だ。ぐっとジュースを飲み干せば、隣に座っていたルエノはまだ納得いかないようにコップを持つ手に力を入れた。
「仕方なくない!その不審者だの海の異変だのがなんとかならないと戦えないってことでしょ!?」
「残念ながら…このアサギを守ることも、私の務めですから」
「まぁルエノ、落ち着けって。取り敢えずここに来た目的は別なんだからさ」
「その目的も果たせてないじゃない」
そうだった、噂の女の子はもう帰ってしまっていたんだったと思い出して、思わず乾いた笑いをこぼす。
「えっと…皆さんはカノンさんに会いにここまで来られたんでしたね」
「その子、カノンっていうのか」
「えぇ、タンバに住んでいらっしゃいます。たまにアカリちゃんに会いにここまで来てくれる、優しい子です」
「ミカンはカノンに、ポケモンの声を聞いてもらったことあるのか?」
身を乗り出してそう聞いてみれば、ミカンはまたふんわりとした雰囲気に戻ってくすりと小さく笑った。
「私は残念ながらありません。私のポケモンたちは皆いい子ですし、悩みはありませんから」
じっとしていたルーが突然椅子から立ち上がり、ブーバーやモココと仲良く楽しそうにしていたアカリに近付いた。そしてそっとアカリに手を伸ばして優しく撫で始める。
気付いたのは最近だ、ルーがポケモンたちと意志疎通を図ろうとするとき、必ずあぁやって撫でていること。アカリがルーを真っ直ぐに見つめていて、ルーも前髪越しにきっと見ているんだろう。
「…あれ…?」
そうしていたルーが小さく首を傾げた。
「どうかしたか?」
「…ううん…なんでもない…」
傍に寄ってルーの顔を覗きこめば、首を横に振ってアカリから手を離した。前髪で隠れている表情が少し気になるけど、ルーがなんでもないって言うならこれ以上は追及しないでおこう。
「じゃあ、タンバに行けばそのカノンに会えるかもしれないんだな」
「そうですね…寄り道せずに帰っていると思いますから、きっと」
「タンバに行く道中の海は別に平気なんでしょ?通っても」
「はい。海自体はいつもと変わらず穏やかですから」
窓のほうに行って海を見れば、太陽に照らされてきらきら綺麗に輝いていた。この海を越えたところにまた新しい町がある…そう考えただけで胸の奥がうずうずして、走り出したくなった。
「じゃあ次の目的地は決定だな!」
「タンバシティ、ね。そっちのジムリーダーは大丈夫なのかしらね」
「シジマさんなら、ジムにいらっしゃるかと思います。何も起こらなければ、ですが…」
「問題解決したら真っ先に来るから!私はルエノ、覚えておいてっ」
びしっとミカンを指差したルエノは闘争心的なものが見えていて、変わってミカンはにこやかに一礼を返していた。
「ルエノさん、お待ちしていますね」
「あ、俺はリオ、こっちはマルルーモ!よろしくな」
「どうぞよろしくお願いします。ところで皆さんは、空を飛べるポケモンか海を渡れるポケモンをお持ちですか?」
突然ミカンがそう聞いて、ふと自分たちの手持ちポケモンを頭に浮かべるけど当たり前のように該当するやつが見当たらず、俺たちは首を横に振った。
「それでは…タンバに行くのも、少し待つことになるかもしれませんね」
「どういうこと?船とか出てるんじゃ…あ」
言いかけて何かを察したのか、ルエノの顔色が悪くなる。
「船をお持ちの皆さんにもご協力を頂いていて…島の周りの巡回や海に出ているトレーナーへの注意喚起もしてもらっているのです。海のポケモンたちの様子がおかしいので観光船もやっていませんし、定期船も巡回に駆り出されていまして」
「じゃ、じゃあどうやって海を渡ればいいのよ!」
考えていた計画がまたも崩れたらしく珍しく焦った様子のルエノに、何故か少し離れたところにいたアグアが小さく肩を震わせていた。
「空を飛べるポケモンか海を渡れるポケモンを手に入れるしか…そうですね、誰かに借りるというのも」
「当てなんてないわよ…」
「取り敢えず外に出て考えようぜ。声を掛ければ優しい人が貸してくれるかもしれないし」
がっくりと肩を落としていたルエノの肩をぽんと叩いて励ましておく。すると何か思い立ったのかルエノが顔を上げて上ってきた階段のほうを見た。
「…あれ下るのよね」
「…あぁ」
言おうとしていることがわかって俺まで気分が下がりそうだ。そんな俺たちを見てミカンが面白そうにくすくすと笑うと、なにか一枚の紙を渡してきた。そこには四ケタの数字が書かれていて、何のことかわからない俺は首を傾げる。
「あそこにエレベーターがあります。私や特別な方にしか使えないよう暗証番号が掛かっています。その番号を打ち込んで頂ければ使えますよ」
「え、いいんですか?」
「また、アカリちゃんに会いに来てあげてくださいね」
そう優しく微笑んだミカンは本当にアカリのことが好きなんだと感じた。ミカンはこのアサギを守ることも務めだと言っていたが、このアサギを守りたいと思う一つの理由の中にアカリがいるんじゃないかと思う。
帰ることを察したのか、ポケモンたちもアカリと別れの挨拶をしているようだった。ブーバーはアカリとハイタッチ、モココは頭を撫でられゴースはアカリの周りをぐるっと回った。そして違和感なく溶け込んでいたヘイガニはぽんぽんと大きなハサミでアカリのお腹を優しく叩いていた。
「それじゃあ、また来ます!」
「バッジ磨いて待ってなさい!」
「…さようなら」
「えぇ、また」
エレベーターのほうに歩いていけば番号を打ち込むパネルがあって、ルエノがどこか慣れた手つきで紙に書かれた番号を打ち込めば扉が開いた。俺たちは次々と中に乗り込み、遅れて歩いてきたアグアのほうを見る。
「あ、えっと、貴方は?」
ミカンがふと名前を聞いていなかったと思い出したのか、アグアを呼び止めた。
「…アグアだ」
アグアは振り返り小さく自分の名前を呟けば、返事を待たずにエレベーターに乗り込んだ。
扉が閉まり、ガラス越しにミカンが手を振っているのが見えて振り返す。ゆっくり動きだしたエレベーターに階段を降りなくて済んだ安堵からか、新しい問題をどうするのかわからないせいか、ルエノがため息が零した。

「アグア、さん…?どこかで…聞いたような…」




外に出れば夕日が眩しくて思わず目の上に手を当てた。海に沈んでいくように見える太陽は大きくて真っ赤で、ブーバーの放つ炎を思い出した。
「今日はもうポケセン行って部屋取るか」
「そうね。明日タンバに行く方法考えましょ」
ルエノもさすがに疲れたのかあっさり頷いた。ルーに至ってはいつもよりもぼんやりとして空を見ている。
「それにしても綺麗な夕日だよなぁ…アグア、夕日描いたことあるか?」
俺たちよりも後ろの方を歩いていたアグアに振り向いてそう話しかければ何故か視線を逸らされて。そういう態度にも慣れてきてしまった俺は笑って、アグアの隣に駆け寄った。
「な、なんだ」
「アグアは、バトルもするんだよな」
「それは…人並み、には」
「ならさ、今度俺と勝負しようぜ!アグアとヘイガニと戦ってみたかったんだ」
何度も助けてくれたアグアとヘイガニ。俺がくじけそうになったときに必ず現れてくれて背中を押してくれた。なんだかんだ言いつつも今回だって最後には手を貸してくれた。
そんな二人を超えてみたい、という気持ちが俺にはあった。そして、バトルをすることで二人を理解したいという気持ちも。
「お前と?…する意味がわからん」
「そう言うと思ったぜ…」
でもアグアにはそういう気持ちはないみたいだ、あっさり断られた。少し肩を落とすと俺の隣をすたすたと歩いて行って、立ち止まってこちらを見ていたルエノとルーすら追い越した。
「じゃあ、今日は同じ部屋に」
「泊まらん。僕はもう行く」
毎度のことながらもう行ってしまうようだ。後ろをついていくヘイガニが、歩幅を大きく目に歩くアグアに大変そうについていく。残念だと思いながらその背中を見送ろうとしていると、ふいにルエノが俺を見た。
「リオ、先に部屋とっておいて」
「え?どこか行くのか?」
「ちょっとあの馬鹿と話があるから」
馬鹿を強調して、そしていつも見ないような満面の笑顔でそう言ったルエノは、アグアの後を追いモココすらおいて走って行ってしまった。おいていかれたモココはルエノが走り去ったほうに手を伸ばしてルエノを呼んでいるようだ。
「…ポケセン、行くか。歩けるか?ルー」
「うん…大丈夫」
眠そうに目を擦るルーにゴースが寄り添う。がっくりと項垂れて地面に手をついていたモココをそっとブーバーが支えると、俺たちはポケモンセンターに向かって歩き出した。









ラノとの戦闘、そしてあの灯台のながーい階段のせいで疲労しきった足を更に酷使しているのはあの馬鹿のせい。じゃあ走らなきゃいいじゃないとか、それよりも追わなきゃいいじゃないとか思う所はたくさんあるけど、あの子のお人好しに毒された私の足は止まってくれなかった。
言いたいことが山ほどある。それはこれまでの文句であったり、これから起こることに対することもあったりするんだろう。
「ちょっと、待ちなさいよっ」
海岸にそいつは立っていた。沈む夕日を眺めていたのか、歩みを止めて海のほうを見てぼんやりしていた。足元にいた赤いポケモンは砂浜に埋もれた貝殻を摘まんで遊んでいる。私の声が届いてゆっくりこっちを見たかと思うと、深い溜息をつかれた。
「…何の用だ」
「はー…ちょっと、待って…」
がらにもなく全力疾走して息が切れた。膝に手をおいて息を整えてから目の前のアグアを睨んでやると、その頃にはもう私じゃなくて夕日のほうを見ていた。
「言いたいこと、あるの」
「バトルならお前ともしない」
「そうじゃないわよ」
ずっと感じていた違和感。アグアと顔を合わせるたびにもやもやして、何故か怒りっぽくなってしまう理由。それがなんとなくわかってしまって、だから私はここまで追いかけてきたんだ。
「アンタは…何のために旅、してるの」
「答える必要を感じない」
「必要、必要じゃないだけで判断するの」
「…そういうわけでは」
はっきりしないアグア。それをわかって私は聞いたんだ、確信が持てた。
「っ…!」
アグアが驚いたように息をのんだ。そりゃそうよね、私が突然腕を掴んでこちらを向けたんだから。昼に見た海みたいな色の目が私を見ているのを確認して、息を吸う。
「アンタは、臆病なのね」
「なっ…」
「リオのこと何度も助けたり、他人のこと凄く気に掛けてるのに、自分のことは全然喋らない」
「…ただの自己満足だ」
「違うわ」
強く、確信を持って言えば真っ直ぐ見ていたアグアの瞳が少し、揺れた。
「自分のためってのは当たってる。でもアンタのは自己保身よ。他人の目が怖くて仕方ない」
「何を、唐突に…!」
「自分がどこの誰なのか、なにをしているのか言わないのは、それについてなにか言われるのを恐れているからじゃないの?誰かを助けるのは、自分のかっこいいところだけ見せられるからじゃないの?」
「っ言わせておけば…!」
私の手を振り払えば、さっきの拍子抜けした顔はどこへやら強気な表情で私を睨んできた。
「お前に何がわかるっ」
「わからないわよ、あくまで憶測だもの。でも、私はそう思ったから口に出しただけ」
「何故そう思った」
腕を組んでアグアを見上げる。眩しいくらいだった太陽はもうほとんど海の下に身を隠してしまって、見える空に綺麗なグラデーションを演出していた。
「そうね…ポケモンたちと一緒」
「…は?」
「私たちは、あの子達の声を聞けるわけじゃない。でもこれまで仲良く共存してきたでしょ?それって、一人一人の、ひとつひとつの言動や表情から読み取って、理解しようとして頑張ってきた証拠」
「それがどうした」
「だから、私は私なりにアンタを理解しようと見てきた結果よ」
はっきり告げてみれば、アグアはどこか納得いかないように目を細めた。頭の中で葛藤があるんだろうか、なかなか喋らない。
リオのように簡単に他人との繋がりを太くしてしまう人がいるように、アグアのように他人との繋がりを自ら断ち切ろうとする人もいるんだ。私がたった一つの繋がりだけを守ろうとしてきたように、頑なに何かを拒んで。
「…私はね」
アグアが喋らないなら思う存分、私が喋ってやろうと思って口を開く。
「意地張ってたの、ずっと。一人で頑張らないといけないんだって、私が守らないといけないんだって。でも、つい最近だけど、やっと力を抜くことができたのよ。なんでだと思う?」
「…それは」
「わかってるんでしょ?アンタ多分馬鹿じゃないものね、わかるわ。…リオとルーと、旅を始めたからよ」
リオと初めて出会った日を思い出す。そんな遠い日の話じゃないのに、懐かしく感じるのは自分がそれだけ変われたからだろう。でもリオは変わらない、どんな人にでも、いつだってあの眩しい笑顔と真っ直ぐな心でぶつかっていく。
「最初は一緒に旅をするなんて、考えもしなかったのよ。でも、いつの間にか…ぐずぐずにされてた。固めて固めて閉じ込めていたもの、全部」
ルーの特別な力が助けてくれたこともあった。そして好奇心いっぱいで、純粋なままでいられるあの子を見守ってあげたいとも思うようになった。
「それが心地いいって感じるようになったの。私は私のままでいいんだって、思えるのよね。きっとアンタは自分もそうなるって、それを心のどこかでわかっているから、怖いのよ」
「…僕は、お前たちとは違う」
やっと喋ったと思ったらそんなことだった。思わず小さく笑えば、怪訝そうな顔をされた。
「当たり前じゃない。一緒だったら怖いわよ。だから、言葉ってものがあるんじゃない。せっかく言葉が通じる人間同士なんだから、使わなきゃもったいないと思わない?」
きっと今まで力を入れっぱなしだった心のように拳を握っていたアグアは、その拳からそっと力を抜いた。
「怖がることなんて、何もないのよ。リオはきっと、アンタの心から何飛び出してきたって受け止めてくれる。信じられる」
「僕一人で受け止めなければならないことだ。お前たちには関係ない」
「そう、アンタの抱えてるものって、そういうものなのね」
思わず笑みが浮かんだ。初めてちゃんとアグアが自分のことを少し口にしたからだ。それに本人も気付いたのかはっとした顔をしていた。
「でも、そういうものも関係なくない!って言って背負おうとしてくれるのよね、あの子たち。だから私は力を貸そうって思ったの、あの二人に笑っていてほしいから」
初めて感じた、人間の友達へのこの温かい感情を失いたくない。そういう意味では私も保身なんだろうか。
「それにアンタ、別に一人じゃないじゃない」
そう言ってアグアの足元を指さす。アグアがそこに視線を落とせば、彼の足にしがみつくようハサミを当ててアグアを見上げているポケモンがいた。
「ヘイガニ…」
「…リオとルーの傍にいたら、変わるわよ。だから、席空けておいてあげる」
ヘイガニを見たまま黙ってしまったアグアに一息つくと、私は言いたいことが言えてすっきりしたので帰ろうと背を向けた。
「私もまだ、覚悟を決めただけで全部リオたちに言えたわけじゃないし。だから、アンタぐらい抱える力まだ残ってるわよ、あの子」
ゆっくり砂浜を踏みしめて歩き始める。そういえばおいてきてしまったモココはどうしているだろうと思い立ち、少し歩く速度を速めた。
だから、小さく呟かれたアグアの声なんて聞こえなかったんだ。
「…お前も、いるだろう…ルエノ」








「今日も晴天だ!」
良い天気に嬉しくなって外に飛び出せば、一緒に出てきたブーバーも太陽を見上げて嬉しそうに背伸びをしている。同じように背伸びをして思いきり息を吸い込めば良い潮の香りに何故か嬉しくなる。
「ちょっと、目的忘れてないでしょうね」
鞄を肩に掛け直して呆れたように俺を見ているルエノの隣には、ルエノにさっきまでブラッシングしてもらっていてふわふわの毛を手でもふもふと遊ばせているモココ。そしてまだどこか眠そうなルーを後ろから支えるゴースがいた。
「タンバ、行かないと…」
「あぁ、そうだな!取り敢えず海の近くまで行ってみるか」
「ブー!」
意気揚々と前を歩き出したブーバーに続いて俺たちも歩き出す。今日も活気がある大通りを抜けて海岸沿いに出る。今日もきらきらしてて凄く綺麗だ!
ポケモンと一緒に泳いで海に出ようとしているかいぱん姿のトレーナーがいたり、ミカンが言っていた巡回をすると思われる船が港にあったりする。でもどれもタンバまで連れて行ってくれるような可能性は見当たらない。
「いっそ俺たちも泳ぐ?」
「ブーバー、倒れるわよ」
はっとし隣のブーバーを見れば青い顔して俺を見ていた。
「じょ、冗談だって」
へらりと笑ってからまた海岸に視線を戻す。
ふと、遠くにきらりと光る見覚えのある姿を見つけた俺は思わず笑顔になった。
「おーい!アグアー!!」
手を振って大声で名前を呼べば、やっぱりその姿はアグアでこっちを見た。綺麗な金髪が今日もいい光を注ぐ太陽に照らされて光ったんだ。
目が合ったことが嬉しくて手を更に振れば、何故か隣にいたルエノがアグアのほうに走っていった。
「あれ、そういえば昨日、ルエノってアグア追いかけたんだよな?」
「確か…?」
あの時とても眠そうだったルーは記憶が曖昧なのか、よくわからないといった様子で首を傾げていて思わず笑ってしまう。頭を撫でてやるとルーも嬉しそうに笑った。
そうしている内にアグアのもとに辿りついていたルエノが俺たちに来いと手を振っているのが見えて、慌ててそっちに行く。
「おはようアグア!」
「…あぁ」
「今日もいい天気だな!」
「…そうだな」
アグアがいちいち返事をしてくれることに驚いて思わずルエノを見れば、何故かどこか得意げな顔をしていた。
「…タンバに行く方法は見つかったのか」
それどころかアグアから話を振ってきて、隣のブーバーとモココが顔を見合わせているのが見えた。
「い、いや、それがまだなんだよな」
「当てはあるのか」
「ないんだよな…参ったぜ」
あははと笑いながら頭を掻けば、アグアが鞄から一つのモンスターボールを取り出した。それに首を傾げていると、アグアはそのボールを海のほうに投げた。
「うわぁっ…」
「で…で、でかぁっ!」
ボールから現れたポケモンは広く感じた海岸が突然狭くなったように思わせるぐらい大きな、すごく大きな青いポケモンで。大きな口が目の前にあって迫力があるのに、体にしては小さなつぶらな瞳は優しく俺たちを見下ろしていた。
呆然と見上げている俺たちを尻目に、さっさとそのポケモンの広い背中に乗ったアグアはその高い場所に腰かけ俺たちを見下ろす。
「乗れ。お前ら全員くらいの重さ、こいつならなんともない」
「…!アグア、それって、一緒に行ってくれるってことだよな!」
「ほら、ルー、こっちから乗って」
ルエノがルーの手を引いて大きなポケモンの背中に乗り込む。ポケモンたちも次々に乗り込んでいき、俺もよじ登るように乗ってアグアの隣に立った。
「ありがとな、アグア!」
「…あの女、ラノ、だったか。あいつにもこっち側の人間だと言ってしまったしな」
「アグアがいてくれたら心強いぜ!よろしくなっ」
すっと手を差し出してから前に握手を無視されていたことを思い出した。こういうの嫌いなんだろうなと思い直しその手を引っ込めようとした時、なにかに包まれた。
「…お前にそこまでの力がないとわかったら、いなくなるからな」
アグアの手だった。ちゃんと温もりがある手に嬉しくなってぎゅっと握り返し笑顔を向ける。
「何の事だかわかんないけど…俺はアグアを頼りにしてるからな!」
「ふん。…ホエルオー、目指すはタンバだ、行こう」
アグアの合図と共に海を走り始めた、俺たちを乗せたホエルオー。初めて見る一面の海の景色と体全体に感じる潮風に心を躍らせて、俺は眩しい晴天を見上げた。









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