吸血鬼とメイド。 2

このお屋敷で働き始めてから早くも3日。毎日忙しいけれど、順調に仕事も捗っているほうだ。元からリンは家事が好きな方である。しかし悩み事が一つあるとすれば、
「レン様、今日のお夕食のお味はどうですか?」
「不味い。」
この屋敷の主であるレンに嫌われているということだ。

ふぅ…、と夕食の片付けをしながら深いため息が零れた。今日も即答で、不味い。の一言だけ。そこまで言われると、料理が得意だと胸を張っていたリンも自信が無くなってくる。カイト曰く、照れているのか、それとも住み込みという事をまだ根に持っているのか、の二択だそうだ。どう考えたって後者の理由に決まっている。とリンは内心で思ったが、敢えてカイトには笑いで返した。しかしカイトが最初から、今度のメイドさんは住み込みだとレンに伝えていたならば、状況が少しくらい変わっていたのではないだろうか。
レン様もレン様だ。そんなに怒らなくても良いじゃないか、とリンは考えれば考えるほど悲しみと怒りが湧いてくる。
「レン様の馬鹿…。私よりチビのくせに、屋敷の主だなんて…。しかもたかが住み込みってだけで根に持つなんて、やっぱり見た目と変わらず子供じゃない…」
「おい、」
「んぎゃあああ!」
今まさに文句を言っていた当の本人に後ろから声を掛けられたリンは、次の瞬間全身の筋肉が強ばり、思わず手にしていたトレイから手を放してしまう。「あ。」と思った時には既に遅く、トレイの上に乗せられていた大量の皿たちは鋭い音と共に次々と床に落ちて割れた。リンは床で弾ける皿たちの破片で自分の足を斬らないかと、反射的に一歩後退りするだけの事しかできなかった。

レンは割れた皿の破片を見渡すと、長いため息を吐いて呆れた。一方リンは、自分の顔の色が青ざめていくのと、手に汗が滲んでいくのが分かった。
レン様はいつから後ろにいたの?もしや聞かれた?その前に今はお皿だよね。これ弁償するのにいくら掛かる?もしかしてクビ?いやいや、お皿ごときでそんな…。でも嫌われてる自分なら「皿がいくらでもあるように、この世にはお前以上のメイドがいくらだって溢れてんだよ。この、低能メイド!」なんて、無理やり理由付けされてクビにされてもおかしくはない。いや、もし私の文句が聞こえていたならば「誰がクソチビだと、この役たたず。低能メイドに言われたくねぇよ。お前今すぐクビな、クビ。」非常にまずい、まずいです!ていうかチビとは言ったけどクソチビなんて一言も言ってません!クビだけは本当に大変な事になってしまう!!などと焦っていた。
「す、スミマセン…!今すぐ片付けますんで…!あ、べ、弁償もちゃんとします…!だから、クビだけは、クビだけは…!」
2回ほど頭を下げたあと、リンは急いで散らばる皿の破片達を掻き集めた。
「おい、お前…っ、危な…っ」
普通なら危ないから箒で掃くなどするのだろうけれど、レンが止めに入る声さえ聞こえないほど、今のリンは余裕がなかった。
 ガリッ
「い…っ」
そんな不注意のせいで、リンは再びドジを踏む。
指を切った。切れた指は手の平から血が溢れては垂れ、床が赤くなる。リンはそれを見て、またやってしまった!と泣きたくなった。
これは皿の片付けを優先すべきか、それとも自分の指の手当てを優先すべきか、リンはあたふたしていると、ふと先ほどから無言のままのレンが気になった。怒りのあまりに言葉も発する事ができないのだろうか。少々ビビりながらもレンの方へ恐る恐る視線を動かすと、レンはただリンの血が滲む指を無心に見つめているだけだった。
「あ、あの…、レン、様…?」
「…っ、何…?あ、いや、悪い…。」
リンはそんなレンが心配になり、声を掛けたのだが、我に返り、顔を上げた時のレンが少々怯えているように見えたのは気のせいだろうか。
「今手当てする道具持ってくるから、ちょっと待ってて。」
それだけ残すと、レンはその場を後にした。


手、出して。とレンがリンの前に自分の手を差し出した。もう片手には消毒液が握られている。リンは躊躇う事無く、その手の上に自分のものを乗せたのだが、しかし、レンがお坊ちゃまだと言うことをリンは忘れていた。
そして次の瞬間、傷口に半端ではないほど大量の消毒液をかけらる。只でさえじわじわと痛む傷口が、勢いよくブシューッと出される消毒液で刺激され、先ほど以上に傷口は痛んだ。リンは必死にその痛みを堪えるための笑顔を浮かべたのだが、手当てしてもらっているというのにこれほど笑顔というのも奇妙である。しかし、レンはそんな事にさえ気付きもせず、容器に入っている消毒液のほぼ全部を使っていた。
レン様はお坊ちゃまだから、自分で手当てもした事無いんだろうなぁ…。ていうか、床に消毒液が滴れてる事くらいは気付いて!
リンは相変わらず満面の笑みを浮かべたままだ。しかし、そんな微妙な沈黙を破ったのはレンの方だった。
「さっきの話だけど…、弁償は別にいい。皿なんていくらでもある。それに、ウチは雇人が足りてないから、そんな事でお前をクビにする余裕はない。」
まぁ、このバイトを辞めたいがための口実なら別だけどな。とレンは皮肉な台詞をぼやいた。初めてリンが住み込みという事を知った時に「どうせすぐ辞めるだろ」と呟いた時のレンを思い出す。何処か他人を非難し、遠ざけようとする口調が、なんとなく今のレンの口調に似ていた。
「あの…、ここのお屋敷を辞めていく方々って、一体どんな理由で辞めていかれるのですか…?」
先ほどリンをクビにしないと言ったレンには、気に食わない奴だったから。などという単純な理由で相手を辞めさせるような感じではなかった。寧ろ、この間といい今日といい、レンの口調は、相手が自らこのバイトを辞める事を志願しているような言い方だった。
「………、」
レンはリンの質問に手を休める事なく、ガーゼを救急箱から取り出すと、先ほど大量に掛けた消毒液を拭った。寧ろ、リンの質問には答えようとしない。しかし、その手を拭う手付きは、先ほどこの手に消毒液を掛けたのは本当にこの人だっただろうか、と疑いたくなるほど優しい手付きだった。
リンはレンが口を閉ざしたままなので、一番恐れていた考えが、もしかして。と膨らんでゆく。
「あ、あの、もしかして…、でるんですか…?」
「は?」
主語のないリンの言葉に、レンは何の話だよ。と怪訝な表情を浮かべた。
「いや…、その、だから幽霊が出るから、皆さん辞めていかれるのかと…」
リンは自分が馬鹿な事を訊いている事は分かっている。それでもリンが大真面目な顔でレンをまじまじと見るため、レンは視線に視線を返す事が出来ず、それを斜め上の方に背けた。最初の内は怪訝な顔を浮かべていレンだが、次第に何かを思い出したのか、神妙な顔つきに変わる。
「幽霊っていうかなんていうか…、」
言葉に表し難いのか、レンは言葉を濁すのだが、リンはそんなレンの態度を見て、石のように固まる。どうやらリンは、幽霊が苦手のようだ。
「辞めたくなったか?」
レンは固まるリンに、自嘲のような笑みを見せた。それが凄く哀しげなものに見えて、その笑顔でリンは気付く。あんなに冷たい態度を見せる意味を。
「ゆ、幽霊とかは確かに怖いですけど、…でも私、ここを辞める気は全くないです!だからレン様、そんな顔をなさらないで下さい、ね?」
さぁ、片付けに取り掛かりますので、と急に立ち上がりやる気を見せるリンに、レンは呆然としていた。そんなレンの腕を引き、リンは「ほらほら、ぼーっとしてないで!」とレンの背中を前へと押す。
レンはそれに釣られて何歩か前へ進むが、急に足を止めた。
「あのさ、お前の料理、悪くはないよ…」
「え…、」
ふと、リンはレンの背中を押した自分の手に目がいく。そこには皺がよったりで、傷口が上手く隠れていない絆創膏が貼られていた。リンは先ほどの台詞と自分の指を見て思わずくすりと笑ってしまう。
「何で笑うんだよ…」
「…いいえ、なんとなく。でも、はい。美味しいと言ったもらえるよう誠心しますね!」
レン様というのはただ不器用なだけなんだと思う。
だってほら、機嫌が悪そうな口調をしたって、結局はほんのりと顔が赤い。
「改めて宜しくお願いします、レン様!」




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