紫の世界



澄んだ空が、とても綺麗だった。
目の覚める鮮やかなスカイブルーに、紗のように薄く張ったベールの雲が、時折、空にグラデーション模様を作り上げながら流れていく。
ノンビリ、ゆっくり、穏やかな時間が心地良い。


私は小さな池の畔で、日差しを遮る木の下に陣取り、カミュから借りた古い資料を捲っていた。
宝瓶宮の蔵書は多岐に渡り、立ち寄る度に心が疼く。
今日、借りた資料は、海界にも関係する古い記録だっただけに、私は興味を持って、それを眺めていた。


「手が止まっていますよ、アレックス。」
「……あ。」


このお天気の良さに、私は興味深い資料よりも、ついつい移りゆく空の変化に気を取られてしまっていた。
ボンヤリと眺めていた視界に影が差し、パッと振り返ると、口元に笑みを浮かべた柔らかな物腰の男性が真後ろに立っていて。
彼に声を掛けられるまで、どのくらい空を眺めていたのか分からない程、ボーッとしていた。


「それとも、休憩中ですか? 資料を読むのも疲れますからね。」
「いえ、そうじゃなくて……。お天気が良くて、空がとっても綺麗だったから、ついボーッと……。」
「空、ですか。」


パチパチと瞬きを繰り返し、それから、空を見上げながら、彼は私の隣に腰を落とした。
聖闘士と海闘士が二人並んで膝を抱え、空を眺めているだなんて、端から見たら、何とも微妙でおかしな光景なのだろうけれど。
私達は他人の目など気にせず、暫く、そうして座っていた。


「空なら、貴女達の住まう世界の方が、格段に綺麗でしょう。以前、貴鬼が話し聞かせてくれましたよ。幻想的に煌めいていて、あのように戦闘状態でさえなければ、見惚れていただろうと。」
「確かに、初見には美しいだけに思えるけど、ずっとそこに居る者にとって、あの頭上の海は、大きな圧力にしか感じないわ。圧迫感というのかしら。息苦しささえ、覚える程にね。」


隣に座る彼が、チラと私の方へ視線を向けたのが分かった。
だけど、私は気付かない振りをして、高い空に浮かぶ、小さな白い雲を眺めていた。
あの雲は何処に向かって流れていくのだろう。
行き先もなく、宛てもない旅を、ずっと続けていくのだろうか。


「アレックス。貴女、海界に帰りたくなくなっているのではないですか?」
「え……?」
「圧力、圧迫感、息苦しさ。決して海界が嫌いな訳ではない。寧ろ、守るべき場所として、大切に思っている。でも、その思いが強い分だけ、貴女の意識が抑圧されていたのでしょうね。」


抑圧……。
確かに、地上へと降り立った時、これまでに感じた事がないくらいの解放感を覚えた。
でも、それは、限られた狭い世界から、終わりの見えない大きな世界へと、初めて足を踏み入れたからで。
多少の羨ましさはあっても、海界を見限りたくなる程ではない筈。


「無理して自分に言い聞かせなくても良いのです。貴女は向上心も好奇心も強い。もっと沢山、知りたい事、見てみたいもの、経験したい事があるのではないですか?」
「それは、折角、地上に出てきたのだから、入れられるだけの知識は詰め込んでいきたいけれど……。」
「ですから、アレックスが満足するまで、ココに居れば良いのではないかと言っているのです。何も、そんなに期限に拘る必要はないでしょう。」


私達は、もう敵対関係にある訳ではないのですから。
そう言って、彼は私に向かって、穏やかに微笑み掛けた。
それは優しく温かく、貴鬼くんのような幼い候補生を見守り、育てる、指導者としての包容力に溢れている笑み。
それでいて、不思議と甘やかに、私の心の奥を揺らめかせる魔力のようなものを持っていた。


どうしてだろう。
シッカリと背後から支えてくれているのに、何故か心は惑い、掻き乱されていく感覚。


「あの人が貴女に課した役割は、聖域と海界間の調整でしょう? そして、これからの海界を、より良く統治するために、執政の基礎を学ぶ事。いずれにしても、与えられた期限は短過ぎる。もっとアレックスの学びたいだけ、ココで吸収していけば良いのです。あのような男の命令など、放っておいたところで、大した事はない。」
「それ、海龍様が聞いたら、激怒しそうね。」


惑い揺れる心を押し殺すように、冗談めかして軽く笑う。
すると、「あの男の激怒など、たかが知れています。」と言って、彼もクスクスと笑った。


風が吹く。
彼の長くて柔らかな藤色の髪が、その風に揺られて、ふわりと舞った。
楽しく笑い合いながらも、彼の揺れる髪と同じ、私の心は揺れ動いていた。



妖しのように惑わす紫



‐end‐





五番目はムウ様でした。
穏やかに諭すように相手に安心感を与えつつも、その実、相手を迷わせるよう誘導しているとかいう(苦笑)
でも、それは悪い意味じゃなくて、何でも命令通りに動くのではなく、自分で考え迷った末に出す答えが、何よりも大切なんだよと、遠回しに教えようとしているのかなと思いますw

2015.05.10

→next.『yellow day』


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