シュラの姿が見えなくなると、その後ろ姿を見守っていたアレックスも、目の前の道から目を逸らした。
彼女が背を向けた道の反対方向には、十二宮を見下ろす景色が広がっている。
木の幹に手を添えたアレックスの白い女官服のスカートが、穏やかな風に揺られてヒラヒラと揺れている様は、一枚の絵画のようにも見えた。


アレックスが、もうこちらを向いていない事を確認してから、ミロは生垣の陰から姿を現した。
そのまま元来た道を戻っても良かった。
だが、そうはしなかった。
彼女に会いに来た訳でも、話がある訳でもない。
それでも、傍に行って、何か話し掛けなければいけないと思った。
例えシュラに焚き付けられなかったとしても、そうしていただろう。
ザワザワと泡立った心の奥を鎮めるには、それしかないと本能で分かっていたから。


「……アレックス。」
「っ?!」


自分が近付いて来ている事に気付いていない彼女を驚かせないよう、ミロは出来るだけ静かに穏やかな声で、彼女の名を呼んだ。
それでも、アレックスはビクリと身体を揺らし、弾かれたように振り返った。
目を見開いた彼女の驚いた顔が、不思議と美しく見えた。


「……っ? ……ミロ様、でしたか。」
「驚かせてしまったか、すまない。」
「いえ……。」


アレックスの顔から驚きの表情が消え、スッと目が細められる。
まるでミロの姿が眩しくて直視出来ないかのように。
それが証拠に、彼女は直ぐに目を逸らし、俯いてしまった。
その視線の先には爪先の尖った靴と、踏み固められた茶色の土。
少し湿った土が、白い靴の爪先を僅かに汚していた。


「どうしたのですか、こんなところで?」
「ちょっと息抜き。デスクに向かって執務ばかりしていたら、頭がパンクしそうだ。」
「ミロ様は、昔から良くココでサボっていましたものね。」


俯いたままアレックスがクスリと笑った。
木の上ではミロが居眠りを、木の下の木陰ではアレックスが読書を。
そんな幼い日の光景が、二人の脳裏に蘇る。
あの日、アレックスは真上から突然、声を掛けられても驚きはしなかった。
でも、今日はミロの声に、驚きの表情で振り返った。
多分、彼女には珍しく油断していたのだろう、シュラとの事があったから……。


「あれは講師が悪い。サボりたくなるような面白くもない座学だったからだ。」
「でも、後悔しているのでは? キチンと講義を受けていれば、今頃、私の添削などは不必要になっていたでしょう。」
「確かにな。あれは酷い、最悪の報告書だ。」


サガに突き付けられた真っ赤な報告書が頭の中に浮かび上がり、ミロは短い溜息を吐く。
結局は、アレックスの手を煩わせてばかりいる自分。
だけど、それも永遠には続かない事を知った。
十日後には、彼女は遠い場所へと行ってしまう。


「……アスガルドに、行くんだって?」
「…………はい。」


たっぷりと間を置いてから、返ってきたアレックスの返事。
だが、それは短くシンプルで、そして、有無を言わせぬ断定的な言葉。
それ以上の言葉を失い、沈黙が支配した二人の間に、一陣の風が吹き抜けていく。
その風は小さく渦を巻き、眼下に広がる聖域の景色へと降り注いだ。
十二宮の階段を抜け、古びた聖域の石畳を浚い、更にはロドリオ村へと抜けていく小さな風。


あの風は何処まで行くのだろう?
ロドリオ村から、ギリシャの町々へ。
そこから遥か遠くアスガルドまで辿り着くのだろうか?
ミロは横に立つアレックスの顔を窺い見るように、チラリと視線を走らせた。
彼女は未だに俯いたまま、自分の爪先を眺めていた。





- 7/17 -
prev | next

目次頁へ戻る

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -