そうして食事を進める内に、いつの間にか、彼のスピードがスローペースになっていた。
だが、それを目の前のアレックスに気付かれる事はなかった。
当然の事だが、男性が食事を進めるスピードは、女性よりもずっと早い。
話をしながら、ゆっくりと進めてはいても、気づかぬ内に差が開いてしまうもの。
しかし、早々と完食してしまっては、相手に先を急がせる事にもなり、焦らせる原因にもなる。
彼はそれを良く分かっていて、自然にアレックスの食事の進み具合が自分と並ぶように、その手を緩めていたのだ。
共に食事をする相手には、それを毛程も悟られないようにする術をもって。


「日本食というのは繊細なものだな。味わえば味わう程に、深みが出てくる。」
「分かるの、ロディ?」
「馬鹿にしているのかい? さっきも言ったけれど、悪友にグルメな奴がいるんでね。自然に舌も肥えてしまった。」


片眉を上げるという彼が余り見せない表情は、アレックスの言葉に否定的であり、それでいて、何処かで肯定しているようでもある、不思議な渋みを含んでいた。
苦笑いを見せる事はあっても、このような微妙な表情を浮かべるのは稀だ。
クスリと笑みを零していたアレックスも、それを引っ込めて、目をパチパチと瞬かせる。
一方の彼は、その視線から逃れるように俯いた。
その視線は彼が操る箸先を彷徨う。


「ねぇ、アレックス。そのグルメな奴の料理を味わえる場所に、キミも来ないかい?」
「……え?」


アレックスの手がピタリと止まった。
そのまま真っ直ぐに彼を見遣るが、その視線は俯いたままの額に突き刺さるだけ。
返ってくるものは何もない。
彼は顔を上げる事もなく、手を止める事もなく。
器用にも巧みに箸を操り、牛蒡の肉巻きをバラバラに解いただけでなく、更に、平たくなった牛肉を箸先だけで細々に裂いていく。
その行為に何らかの気持ちを乗せているかのように。


「勿論、一時の滞在などではない。ずっと私の傍に居て欲しいという意味でね。」
「そ、そんなの……。」
「無理?」
「当然だわ。私には仕事があるのよ。」


アレックスが『仕事』という単語を口に出すと同時に、彼の口からホウッと大きな息が漏れた。
その溜息は、そう言うと思ったとでも言いたげなものだった。
彼女が仕事を理由に断るだろう事は、初めから分かり切っていたのだ。


「仕事なら向こうにもある。」
「でも、私は今の仕事が一番で……。」
「キミが日本に来た理由は何だった? 確かに、この国の文化や民俗に興味はあっただろう。でも、それ以上に、私から遠く離れたいとの意図が働いた筈だ。東の外れの国を選んだのはね。」


言い返す言葉が飲み込まれる。
彼の推測は正しかったから。
別に日本でなくても良かった。
中国でも韓国でも良かった。
ただ少しでも遠く、欧州から離れた場所へ行きたい。
彼から離れたところへと。
そう思った時に、日本という国がアレックスの頭に浮かんだのだ。


「元々キミが学んでいたのは、アジアの民俗ではなく、欧州地方の民俗だったよね、アレックス。だったら、私と共に来る事は、本来の研究への道に戻る事にも繋がる。あの場所なら、キミの学習意欲を十分に満足させられると思うよ。少なくとも、キミは一生を日本の旅行会社に埋もれて過ごす気などないだろう? いずれは研究の道に戻りたいと思っていた筈だ。」
「私に……、聖域に来いと? そこに私の求めるものがあるというの?」
「あるさ。キミが見たら言葉を失う程に膨大なものが。聖域が歴史の裏で積み重ねてきた闘いの真実と、それを事細かに綴った資料や報告書が、それこそ山のようにね。当然、それは表には決して出せない類いのものではあるけれど。」


一向に顔を上げる事をせず、それでも滑らかに澱みなく、彼の言葉は紡がれていく。
しかも、巧みにアレックスの心を擽りながら。
本来は知る事の出来ない歴史の裏側、自分だけが、それを知る権利を得られるとしたなら……。
それは、何て甘美な誘惑だろう。
箸を持ったままのアレックスの手が、少しだけ震えた。
生真面目だと自負していた自分の中に、まだこんなにも強い欲求があったなんて。
そうと気付いて、アレックスは自身に対する嫌悪感と、一方でジワジワと沸き上がる愉悦感とを、心の奥で同時に噛み締めていた。





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