回復薬



「ふぅ……。」


既に手と同化してるのではないかと思える程に、ずっと握り締めていた万年筆を、一向に減らない書類の脇へ置くと、私の唇からは疲れによる溜息か、自然と長い息が零れ出た。
目を閉じて首を左右に倒したり、ゆっくりと回したり、何をやってみても肩の重さは変わらない。
仕方なく、瞼を下ろしたまま左手で目頭をギュッと摘むと、閉じられた世界はグルグルと巡り続ける不思議な模様を私に見せつけた。


あぁ、パソコンのスクリーンセイバーのようだなと、何となく思う。
いや、これはそのようなものではなく、自身の放った異次元に引き摺り込まれた時の空間のうねりではないのか。
このまま働き詰めの毎日を過ごしている内に、いつの間にかそんな場所へと追い詰められてしまうのかもしれない。
延々と法則もなく様々にうねり歪む瞼の裏の線世界に浸りながら、そんな事を考えていた。


『……サ〜ガ〜。』


ふと耳に届いたのは、聞こえる筈のない声。
だが、この私が聞き間違える事などありえない、それは愛しい彼女の声。
どんなに遠くても微かでも、その声はいつも私の耳に優しく届くのだから。


『サ〜ガ〜。』


ハッとして閉じていた瞳を開く。
幻聴ではない、それは確かに耳へと届いた私を呼ぶ声。
先程よりも幾分かハッキリと届いた声を聞き、慌てて立ち上がり窓辺へと近寄る。
すると、長い長い十二宮の階段を上り切ったところ、教皇宮の入口へと繋がる踊り場に彼女がいた。
何故か、カノンの腕に横抱きにされた状態で。


「アイリスっ?!」
「あ、サガいたー! カノン、早く早くー!」


アイリスが現れた事への驚きと、彼女が愚弟の腕の中にいる事への腹立たしさが、半々に混ざり合った複雑な気持ちで、呆然と窓の外を見ていた。
そんな私の視界の中、アイリスは無邪気な笑顔を浮かべてカノンの腕を揺さ振り、入口の方を指差す様子は何とも楽しげだ。
そして、彼女を腕に抱いたまま、苦笑いを浮かべたカノンが入口の中へと消える。


一分か三十秒か、暫く経った後。
バンッ! と勢い良く執務室の扉が開かれ、カノンに横抱きにされたままのアイリスが現れた。
私の顔を見るなり、ワタワタともがいてカノンの腕の中から降り、私へと向かってダイブしてくるアイリス。
そんな彼女の身体を柔らかく受け止め、それと同時に、未だ扉の前にいるカノンを鋭く睨み付けた。


「俺は便利な乗り物じゃないぞ、……ったく。」
「カノン。」
「何だ、サガ?」
「どういう事だ、これは?」


まるで猫のように私に抱き付いて擦り寄るアイリスをチラリと見やり、それからまた鋭い視線を愚弟へと投げ掛ければ、カノンは明らかにうんざりとした溜息を吐いてみせる。
纏まりのつかない髪を乱暴に掻き毟り、苛立つ心を隠しもせずに呆れ返った声を出した。





- 1/4 -
prev | next

目次頁へ戻る

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -