夜の波間を泳ぐ



真夜中、俺は深い眠りに落ちていた。
だが、当たり前に腕の中にある温もりがフッと消えたのを感じ取って、ゆっくりと眠りの世界から意識が浮上した。


開いた瞼の向こう側、まだ闇に慣れぬ目に映ったのは、音を立てないようにソッと閉まった扉の向こうに滑り出ていく影。
徐々に目が慣れていく中、耳には音を潜めて歩く足音が微かに届く。
多分、俺を起こさないようにとのアリアの配慮だろうが、僅かな気配にも無意識に反応してしまうのが聖闘士の本能。
そんな気遣い、俺には無用のモノだった。


上半身を起こして小さく伸びをすると、手は無意識にサイドテーブルへと伸びる。
だが、その手が途中でピタリと止まったのは、そこに煙草が置かれてない事を思い出したから。


――ベッドルームで吸うのは止めたんだっけか、もう一ヶ月も前から。


そんな事すら忘れていたのは、ココずっと真夜中に目を覚ます事なんてなくなっていたからだ。
アリアを腕に抱いて眠るようになってからは、不思議と熟睡するようになった。
こう確かにココにある温もりってのが、上手く表現出来ない安心感のような、ベッドの上がただ単に睡眠を取るだけの場所じゃないって事を、いつの間にか俺に染み込ませてたんだな。
まぁ、寝る前に色々と勤しんで頑張ってるから、それで疲れてるせいもあるって言えば、そうかもしれないが。


朝は朝で、張り切って俺を起こしにきたアリアに急かされ、部屋を追い出されるのが、いつもの事。
ベッドの上でゆっくり一服する暇も与えて貰えないようになっちまったし。
何だってまぁ、俺の生活は随分と健康的になったモンだな。
しかも、それに対して不満の一つもないってのが可笑しなところだ。


時に、予想もしてなかった事が起き、それまでの生活がガラリと変わる事があるとは聞いた事があったが、まさか、この俺にそれが起きようとは夢にも思ってなかったワケで。
まして、アリアは全然タイプの女じゃなかったし、愛だの恋だのいう対象どころか、眼中にもなかったハズ。
いつもキビキビと、何事にもシッカリキッチリしてて、女官としては素晴らしい人材なのかもしれねぇが、女としては味気ないだけのつまらないヤツ、その程度の印象。


それがだ。
何かの仕事絡みで俺のサインが必要とか何とか言いながら巨蟹宮までやって来たアリア。
ちょいとからかって驚かしてやろうかなんて、心の片隅に湧き上がった悪戯心で手を出してみた。
それが全ての始まりになるとは思わずに、な。
澄ました顔して仕事ばっかりしてる女が、いきなりソファーに押し倒されたら、一体、どんな顔するか見ものだぜ、なんて軽い気持ちで仕掛けた悪戯。
まんまとハマッたのは俺の方だったなんて、全く俺の頭がどうかしちまったとしか思えない。


「お止め、下さい……。デスマスク、様……。」


見開かれた瞳、僅かに潤んだ瞳。
掠れた声、微かに俺をたしなめる声。
細く華奢な手、俺の肩をやんわりと押し返す力。
黒いソファーに横たわり、俺を見上げるアリアの曇った表情。


――ヤベぇ、凄ぇソソられる……。


窓から差し込む光にキラキラと、その長い髪が輝いて。
そして、ソファーの端からサラサラと滑り落ちていく様を、俺はただ息を飲んで見つめていた。





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