彼にときめく瞬間C



大きな戦いの前は、どうしようもなく不安に陥る。
それは私だけの事ではない、聖闘士を恋人に持つ女性が共通に抱える不安ではあると分かっているけれど。
だから、そんなに心配する必要はないのよ、だなんて、そんな言葉。
女官達から慰めの言葉を掛けられる事があっても、それで不安が減る訳でもない。
どうしてって、私の彼は……。


「散々、格好良い事を言ってても、結局はアッサリとポックリ逝っちゃうんだもの。」
「アリア、テメェ。それは俺が弱ぇって、言いてぇのか?」


――ぽこっ!


「いった〜い!」
「当たり前だろ、痛ぇように殴ったンだからな。」
「何で?!」
「俺が弱ぇとか、直ぐ死ぬとか言ったからだ。」


確かに直ぐ死ぬとは言ったけど、弱いなんて一言も言ってない。
私はデスが弱いだなんて微塵も思っていないし、大体、黄金聖闘士がそんなに弱い訳ないでしょう?


「だったら、どういう意味だ? あ?」
「デスはさぁ、最後の時、往生際が悪いように見せ掛けて、実は、物凄くアッサリ退いてるって言うか、簡単に死んじゃってるんだもの。もうちょっと本当に往生際が悪くても良いんじゃないかなぁ、って……。」


私のためにも、そんなに簡単に死んで欲しくない。
紫龍クンに負けた時も、ムウさんに追い返された時も、ラダマンティスさんに冥界に落とされた時も、その姿は全く持って彼らしくない格好悪さだったと聞いた。
私はそれは『演技』じゃないかと思ってる。
人伝に聞いた話で、実際に自分がこの目で見た訳じゃないけれど、そうとしか思えないのだ。


「…………。」
「私は、もう二度と、デスを失う悲しさを味わいたくないよ。だから、もがいても縋っても良い、もっと生への執着を持って欲しいの。」


私のためにも。
私を愛してるなら、これ以上、悲しい思いはさせないで。


「……しゃあねぇだろ。」
「デス?」
「ちょっと外、出るぞ。」


促されて家の外へと向かう。
夕陽に染まるエトナ山を目を細めて見上げ、それから、前を歩く彼の背中に視線を向けた。
着ている白いシャツも、風に揺れる銀の髪も、視界の中の全てが夕陽の赤に染まる様に、胸がギュッと締め付けられる。


「アリア。役割分担って言葉、分かるか?」
「え?」
「例え裏切り者だろうと、この十三年間、聖域を統治し守ってきたサガをだ。誰かが支える必要があった。」


そして、そこに膿のように溜まっていた不平不満を、誰かが被らなければならない。
二つの人格の狭間で苦しんでいたサガ様が背負うには、余りに過酷な誹謗中傷の数々を。


「必要悪って言うだろ? 誰かが悪者になっておかねぇと、戦いが終わった後、そこに残ったヤツ等の気持ちが晴れねぇ。誰も悪くなかったなンて、そンな綺麗事は通じないのが現実ってモンだ。」
「だったら、残された私は、どうだって良かったの?」
「悪かったとは思ってる。だが、俺以外、適任者がいなかった。あの時、もがく事も縋る事も出来たが、それで死に損なったら意味がねぇ。」


だから、精一杯、格好悪い振りをして、惨めな姿をワザと曝して、そして、死んでいったの?
貴方は、貴方の役割を最後まで演じ切って。


ゆっくりとデスの横に並ぶ。
エトナ山をジッと見上げていた彼は、こちらをチラとも見ずに、伸ばした腕で私の肩を抱いた。


表情も態度も掛ける言葉も、全てが冷たいデスだけど、触れる肌は、とても温かい。
手を繋げば、包み込む大きな手が。
唇が触れ合えば、探ってくる舌先が。
肌を重ねれば、私の奥深くまで潜り込んでくる彼の情熱が、とてもとても温かくて、熱い事。
私は、私だけは知っている。


「生に執着を持てっつったな、アリア?」
「…………。」
「俺は修行して小宇宙に目覚めたヤツ等とは、ちょっと違う。生まれた時から、変な能力が宿ってて、幼い頃から人の魂やら霊魂やら、見たくもねぇモンばかり見えちまって。ずっと、死の世界を眼前にしながら生きてきた。」


黄泉比良坂で、死ぬに死にきれず彷徨い続ける亡者達を、飽きる程に眺めてきたデスだからこそ、生に固執する事がなかった。
生きる事への執着が、他の人よりも淡泊なのは、死の世界を知り過ぎているから。
だけど、それはつまり『私』という存在は、彼をこの世界に引き留める程には、大きくなかったって事だ。
そう言われているようで、胸がひたすらに痛む。


「違ぇよ。オマエだって、ホントは分かってンだろが。」
「分からないよ。」
「嘘吐け。俺がオマエを大事だっての、よ〜く分かってンだろ? 俺が下手に生き残ってたら、アリアも、どンだけの被害を被ってたか……。あン時ぁ、アレがベストだった。あの時は、な。」


風が吹く。
だが、どんなに強い風が吹いても、世界を赤く染める夕陽が、そこから揺らぐ事はない。
同じなのかもしれない。
デスの紅い瞳は、この夕陽と同じ朱に輝き、揺らぐ事のない彼なりの信念を抱き続けて、そこにあるのだ。


「今は悪者でいる必要もねぇ。悪に徹する事も、死ぬ事も、もう俺の役割じゃねぇンだ。だから、もがいても足掻いても、敵に縋っても……、生き残ってみせる。アリアがそう望むなら、な。」
「デス……。」


大きな戦いを前に、私は酷くナーバスになっていた。
だからこそ、デスはいつも簡単に死んでしまうだなんて、冗談事のように言っていたのだ。
そうでもしないと不安が無尽蔵に広がっていきそうだったから。
そんな私の心を見透かしたように、デスは肩を抱いていた腕に力を籠めて、今度は私の身体全部を強く抱き締めてくれた。


「今度は死ぬ気なンてねぇ。オマエを置いていくのは不安しかねぇしな。だから……。」


彼の声が途切れる。
途切れた間に吹き抜けた風に、数度、パチパチと瞬きをしていると、耳元に寄せられた彼の唇から、擽るような声が聞こえてきた。



「待ってろ。」



息を飲み、デスを見上げる。
腕の中から見た彼は、未だ山の頂上を見上げていて、朱に染まる凛々しい表情と真剣な眼差しが、印象的に映った。


「この家で、この山の麓で、俺の帰り、信じて待ってろ。」
「うん、待ってる。ずっとずっと待ってる。」


エトナ山の麓、誰もいない危険な岸壁地帯にある、この家。
貴方が待っててくれと言うのなら、私は死ぬまで孤独だろうと、ずっとずっとココに居よう、そう思った。
吹き抜ける穏やかな風、夕陽に眩む雄大な山のシルエット。
私達二人以外は誰もいない静寂の中、抱き締め合う優しさは、失う痛みを忘れてしまいそうなくらい甘やかだった。



‐end‐



→Dへつづく


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