その夜



「今夜は随分と、ご機嫌斜めね。」
「……ンな事はねぇだろ。」


嘘。
長年、ずっと一緒にいて、彼の機嫌の上がり下がりが分からない私じゃない。
こうして力尽くでソファーに組み伏して、問答無用で圧し掛かってくる事自体が既に、ご機嫌斜めな証拠。


「ね、ちゃんと夕食は食べたの?」
「食ったに決まってンだろが。」
「本当に?」
「なら、確認してみりゃイイだろ。」


ご機嫌斜めな原因の一つに、空腹だという事も考えられる。
空腹にお酒を煽れば、そりゃあ不機嫌にもなるだろう、横暴さにも拍車が掛かるだろう。
アテナ様への謁見の後、私はディナーに誘われたが、デスはそうではなかった。
それはつまり、彼は一人で巨蟹宮に戻らざるを得なかったという訳で。
戻った後に、この人がちゃんと食事を摂ったかは、かなり怪しいところだと思う。
私が傍に居ないと、平気で一食でも二食でも抜いてしまうのだから。


ディナーの席で、アテナ様は一つの提案を私に持ち掛けてきた。
それは私にとっては予想外のお話だった。
正直に言えば、寝耳に水、最初は驚きで言葉が出なかった。
もう一度、巫女の地位に戻らないかと勧められたのだ。


「盟お兄さまも一人前の聖闘士になりました。シチリアの地はお兄さまにお任せして、デスマスクは聖域に戻って来てはどうかと思いますの。ココを拠点にしていた方が、デスマスクにとっても、任務の際などには動き易いでしょう。」
「ココに、戻って来る……。」
「空いている時間だけで構いません。ミカさんには私の補佐をしていただきたいのです。勿論、巨蟹宮での家事仕事などもあるでしょうから、無理しない範囲で良いですから。」


私は首を傾げた。
アテナ神殿には、今も数多くの巫女が存在している。
アテナ様には傍近く仕えるメイドも、事務仕事を補佐する女官や、日本から連れてきた秘書もいると聞く。
今更、私に何が出来るというのだろう?
私はアテナ様のために、何の役にも立てない。
既に巫女の力は失われ、自らの意志で、『あの人』のものとなってから、六年もの歳月が流れた。
そんな私には、巫女の地位に戻れる資格など有りはしないのだから。


「貴女の力は失われてなどいないでしょう。違いますか?」
「っ?!」
「今いる現役の巫女達、その誰もが貴女の力に及ばない。力を失った筈のミカさん、今の貴女に。」
「そ、そんな筈は……。」
「恐らくの話ですが、貴女程の強力な力ともなると、非処女であっても関係ないのでしょう。そうではなくて、どうしてデスマスクの引き寄せる、あの強い怨霊に対抗出来ますか?」


確かにそうだった。
処女を失っても、私の霊に対する除霊の力は何一つ変わっていなかった。
死仮面を浄化してしまえるだけの力は、私には元々ない。
だけど、怨念を宿した強い霊魂が、あの人に近付こうとするのを阻む事は出来た。
私が傍にいるだけで、彼に近寄る事すら出来ないでいるのだ、あの霊達は。


「少しで良いのです。私のために、ミカさんのお力を貸してください。」
「…………。」


今でこそ、ただの蟹座の囲われ人である私だけど、元はアテナ神殿の巫女であった身。
アテナ様からの直々の申し出を断れる身分ではない。
例え囲われ人であったとしても、聖域に属している事に代わりはないのだ。


それでも、今の私の全ては、あの横暴で、俺様で、身勝手で、どうしようもなく我が儘な子供みたいな『彼』のものなのだ。
あの人の願いのままに生きていく事を、私は遙か遠い昔に決めた。
だから、彼が……、デスが望まない事は、私には出来ない。
例え、それがアテナ様の願いで、望みであったとしても。





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