本日は菓子日和



窓から差し込む日差しと、微かな鳥の鳴き声で目が覚めた。
だが、ベッドの上には、もう飛鳥の姿はなかった。
シーツに手を這わすが、彼女の眠っていた場所は既に冷たく変わっている。
それでも寂しさは感じられなかった。
代わりに、寝室の中まで仄かに漂ってくる、甘い香りに気付いていたからだ。


シャワーを浴び、身支度を整えてから、キッチンへと向かう。
飛鳥が俺よりも先に起きて向かう場所といったら、そこしかない。
案の定、覗き込んだキッチンの中に、鼻歌混じりに作業をする彼女の姿があった。


「……随分と早起きだな。」
「わっ?! シュラ、おはよう! シュラこそ早起きね。もっと、ゆっくり眠っていて良かったのに。」
「お前のいないベッドに、一人で寝てろと言うのか? 飛鳥こそ、俺の誕生日だというのに、こんなに早く起きる必要はないだろう。」
「馬鹿ね。シュラの誕生日だから、忙しいんじゃないの。早起きして、準備しなきゃいけない事が沢山あるのよ。」


そうこう言っている間にも、彼女はキッチンの中をクルクルと動き回り、オーブンの扉を勢い良く開ける。
と同時に、キッチンのみならず、その外にまで、香ばしい空気が解き放たれて広がった。
いつも、この俺の心をザワザワと擽るのは、甘さと刺激をブレンドした、飛鳥だけが作り上げる事の出来る、この香りだけだ。
無意識に鼻をクンクンと鳴らして、鼻孔いっぱいに甘い香りを取り込んだ。


「ジンジャークッキー……、か?」
「シュラの大好物だもの、いっぱい焼いたの。あ、冷めるまでは摘み食いは駄目よ。」


取り出されたクッキーに向かって俺の足が向いたのに気付き、ピシャリと釘を打つ事も忘れない。
それでも、作業の手は止めずに、今は油の張った鍋と睨めっこ。
ジュワジュワと耳に響くのは、何かを揚げている音。
と思いきや、同時に横に置いたボウルの中身を手早く混ぜている。
一体、幾つの事を同時に行っているのだろう、飛鳥は。


「……チュロスを作っているのか?」
「うん。これは朝食に食べよう。ほら、チョコも溶かしたし、新しい蜂蜜とクリームもあるから。あ、シュラは紅茶淹れてくれる? 新しいディンブラの茶葉があるの。あと、サラダとヨーグルトの用意もお願いね。」


キッチンの中では、主導権は百パーセント飛鳥にある。
この中では、俺に自由は与えられない。
例え今日が俺の誕生日であろうと、彼女の助手に成り下がる。
とはいえ、流石に今日という日だけは、そのまま従うのも癪なので、抗議の声を上げてみた。


「誕生日なのだから、俺はゆっくりしていても良いのではないか?」
「だったら、私は何のために、朝早くからキッチンに籠っているのでしょうか?」
「……菓子を作るためだな。」
「誰のための?」
「俺……、だな。」
「大正解。という事なので、朝食の準備はお願いします。」


つまり、飛鳥の言葉に逆らえば、今、彼女が作っているジンジャークッキーもチュロスも食べさせてはもらえないという事。
このキッチンの中は、彼女にとっての聖域。
誕生日に飛鳥の作った菓子を食べられないという事ほど、酷い拷問はない。
俺は渋々ながらも、飛鳥のお願いを聞き入れて、サラダと紅茶の準備に取り掛かった。
ついでに、彼女の大好きなフワフワ玉子のオムレツも作った事は内緒の話。
それに大喜びした飛鳥に、頬にキスのお礼をされた事も、悪友二人には内緒の話だ。





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