華麗なるシーニュ



目を覚ますとベッドに一人だった。
傍らの時計を見れば、既に九時を越えている。
隣に飛鳥がいないのも当然だった。
久し振りの休みに、ゆっくり寝坊を決め込んだ俺と違い、飛鳥は今日も朝から菓子作りに勤しんでいるのだから。
そして、飛鳥の他にも、もう一人――。


起き上がったベッドの上で、暫しボーッとしていた俺は、その瞬間、完全に覚醒した。
そうだ、今日は飛鳥一人ではない。
彼女の仕事場であるキッチンに、彼女と俺以外の、別の人間がいるのだ。
しかも、この聖域で一番信用ならない相手が。
俺は慌てて服を着替え、身支度を整えると、ダイニングテーブルに乗っていたパンを一つ引っ掴み、キッチンへと飛び込んだ。


――ガチャガチャッ!


「あー、面倒臭ぇ! なンで俺がこンな事っ!」
「ああっ、駄目ですよ、デスさん! そんなに乱暴に掻き回しちゃ! もっと丁寧に!」
「あぁ?! うっせーよ!」


そこで繰り広げられていたのは、俺が心配するような危険極まりないものではなく、寧ろ、全く逆の光景。
甘い香りが立ち籠める中、小さく華奢な飛鳥が、黄金聖闘士の一人にアレやコレやと指示を出している。
そして、指示を受けている男は、見るからに苛々しながら鍋を揺すっている。
まるで、ちょっとしたドタバタコメディーだ。
俺はパンを咥えたまま立ち止まり、暫し呆然と、その光景を眺めた。


「……フ、ククッ。」
「ぁあ? テメェ、今頃、起きてきやがって、何、笑ってンだ? あ、この堕落山羊が。」
「フン。貴様が飛鳥に扱き使われてる姿は見物だ。良いザマだと思ってな。」


心配して損をした気分だ。
が、相手は腐っても蟹。
今、この時までは何事もなくても、いつ飛鳥を襲うかもしれない、そういう危険な男。
自他共に認める女好き、兎に角、見境がない発情蟹なのだから。
俺は急ぎダイニングに戻り、紅茶のカップと読み掛けの本を手にすると、持ち運びの出来るスツールを一脚、キッチンに運び入れて、それに腰を落ち着けた。
うん、これで良い。
ここなら遮るものなくヤツの行動を監視出来る。


「オイ、コラ。何、一人で寛いでやがる。暇なら手伝え。」
「駄目よ。シュラは今日、お休みなんだから。」
「俺だって休みだっつーの。なのに、なンでこンなトコでこンな事をせにゃならん。」
「自業自得だろ。」


怒りに任せて、ガチャガチャと鍋を振るデスマスク。
その乱暴な遣り方を見て、慌てて注意する飛鳥。
一見、微笑ましい程の光景なのだが、相手がデスマスクというだけで、こうも苛立つのはどういう事だろうな。
これなら、下心丸見えのアフロディーテの奴が手伝っている様子を見ている方が、まだマシだ。


いや、分かっている。
苛立ちの原因は、デスマスクの女癖の悪さに起因するものではない。
そもそも飛鳥のような、どちらかといえば可愛らしいタイプの東洋人の女は、コイツの好みではなく、普段であれば目も向けないだろう。
それを、こうも警戒するのは、やはり彼女がプロのパティシエであり、アテナ以下、教皇も、他の仲間も、皆が認める腕と業を持っているからだ。


飛鳥の作る菓子は絶品であり、それは俺が一番分かっている。
ならばこそ、料理に対して必要以上の情熱を傾けるコイツが、飛鳥に興味を示す可能性は大きい。
デスマスクの興味は料理全般、それはドルチェにまで及ぶのだから、尚更だった。


コイツは彼女の作った甘いスイーツに興味を抱いて、彼女の仕事を手伝う内に、飛鳥本人にまで興味を持つのではないか?
その危惧は、永遠に消えそうもない。
キッカケや動機が何であれ、飛鳥を不純な目で見て良いのは、この世に俺だけ。
腐った蟹には、指一本、触れさせてなるものか。





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