07.はちみつ



鮎香との約束の時間を前に、俺は妙にソワソワとしていた。
あと十五分待てば彼女は姿を現す。
しかし、たったそれだけの時間だというのに、一分と黙っていられないのだ。
結局、ソファーに座って彼女を待っていたが、どうにも落ち着かなくて席を立った。
向かったのは、バスルームの鏡の前。


うん、悪くはない。
鮎香を身構えさせないようにと、あまり普段とは変わらぬシンプルな服装。
それでも、自分の中で一番お気に入りのシャツとジャケットを選んだ。
それは、ただの自己満足に過ぎないと分かってはいるが、しかし、女と出掛けるのに、服装にまで気を遣ったのは初めての事。
相手が鮎香となると、何もかもが違うのだ。
この俺が、こうも念入りに身支度するとはな……。
そんな自分に対して、抑え切れない苦笑が零れた。


鏡の前に置いてあった櫛を手に取り、軽く髪を撫で付ける。
何処にも乱れたところはない、寝癖など以ての外だ。
良し、大丈夫だな。
覗き込んだ鏡の中の自分をジッと見つめ、気合いの意を籠めて両手で両頬をパンッと挟み叩いた。
鏡に映るのは、いつもと同じ仏頂面の自分の顔。
だが、身綺麗に整えた姿と、やる気満々な表情は、いつもと同じであるとは、とても言えない。
そんな自分の姿に、一瞬だけ我に返った。


全く、どうかしているぞ、シュラよ。
女と手も握った経験もないようなティーンエイジャーでもあるまいし、こうもソワソワ落ち着かないとは情けない。
これが鮎香以外の女であれば、こんなに気を揉む事もないではないか。
いや、元より鮎香以外の女と出掛ける事自体、俺にとっては百パーセント有り得ない話なのだが……。


「……シュラ様、おはようございます。」


鏡の中の自分と脳内会話を繰り広げていた俺は、聞き慣れた鮎香の声を聞き付け、慌ててバスルームを飛び出した。
彼女はリビングの入口に立ち尽くし、中に入るべきか否か、迷っているようだった。
こういうところは、呼んでもいないのに勝手にズカズカと部屋の中まで入り込んでくる女官共とは大違いだ。
その謙遜の心は、鮎香が日本人だからか、それとも、彼女自身の性質か。
どちらにしても、そんな鮎香の性格が好ましく、強く惹かれている要因の一つでもあった。


「少し早く来過ぎてしまいましたか?」
「いや、問題ない。出掛ける準備は済んでいる。」
「良かった。シュラ様を急かしてしまったかと……。」


ホッと息を吐く鮎香を、俺は目を細めて眺めた。
普段は真っ白な女官服ばかりの鮎香が、今日はホンの少し違って見える。
普段はお目に掛かれない細身のパンツ姿、肩先にリボンをあしらったトップスを合わせ、カジュアルになり過ぎないよう、上手く演出された女らしい甘さ。
清楚で愛らしい、いつもの鮎香に、少しだけ加わった大人っぽさ。
そして、失われない可愛らしさ。
その見事に調和したフェミニンカジュアルな姿に、どうにも目が離せなくなる。


「……シュラ様?」
「あ、いや、すまん。」


お前に見惚れてボーッとしていた。
そう言ってしまえれば、何の苦労もないのだろうが。
流石に、今、それを言ってしまったなら、これまで時間を掛けて距離を縮めた事が、全て無駄になってしまう。
俺は「なら、行こうか。」と、型通りの言葉を掛けて、鮎香と連れ立って自宮を出た。





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