3.苛立ちと焦燥



鬼神との対峙から数十分。
私達は教皇宮に戻ってきていた。
言葉少なに、張り詰めた空気がピリピリと息苦しい。
沈黙が横たわる中、それでも、皆が何処かソワソワと落ち着かない様子で座っている。
その中でも、腕組みをして壁に寄り掛かった体勢のまま、呆れ顔で皆の様子を眺めているサガ様が、実は一番焦れているのではないだろうか。
鬼神の気配を感じ取りながらも、この教皇宮を空ける訳にはいかず、現場に駆け付ける事が出来ないジレンマ。
しかも、結局、何も出来ぬままに、鬼神には逃げられてしまったのだ。


「……兄さんは、本気で歩美を射るつもりだったのか?」
「誤解だ、アイオリア。俺は彼女を射る気など微塵もなかった。そんな事、お前も分かっているだろう。俺が射ようとしていたのは鬼神の方だった。」
「だがっ……!」


元から、ぎこちなかった部屋の空気が、更に緊迫したものへと変わる。
普段が仲の良い兄弟二人の言い争いだけに、誰も、ムウ様ですら口を挟めないでいる。
私は目立たぬように自身の気配を限りなく消して、こっそりと皆様に温かなお茶を配って回りながら、彼等の様子を窺っていた。


こういう時、女官は空気にならなければいけない。
その場に居合わせても、そこに自分が居るようには感じさせないように振る舞う。
私達は、そのように訓練されているのだ。
黄金聖闘士達の思考を、議論を、途中で途切れさせないように、彼等の意識に捉えられぬよう努める。


私自身は、長い間、巨蟹宮の宮付きであった事もあって、こういった緊迫した場面に遭遇した経験は少ない。
それでも勿論、基本的な訓練は受けているし、どういう対応を取るべきかの心構えも、しっかりと叩き込まれている。
だからこそ、皆様にタオルや着替えを配り、お茶を渡し終えた後は、声を出さぬよう口を噤んだまま、彼等の視界に入り難い部屋の隅の方で、黙って佇んでいた。


「彼女と鬼神の融合部、その境目を狙って射れば、上手く分離出来ていたかもしれないんだ。なのに、アイオリア、お前というヤツは……。」
「そんなもの、相手が身動ぎでもしようものなら、簡単に標準がズレてしまうじゃないか! それで結果、歩美に傷を負わせてしまっていたら、どうする気だったんだ?! スマンなどという言葉だけじゃ済まないんだぞ!」
「バカを言うな。この俺が狙いを外すなんて有り得ん。」
「いくら兄さんとて、確実に、百パーセント、絶対に大丈夫だとは、決して言えない! 違うか?!」


アイオリア様が激昂するのも当然だ。
あの時、鬼神はカミュ様の氷の拘束を振り解こうと、暴れもがいていた。
完全に動きを止めていたならまだしも、派手に動き、もがく相手。
しかも、決して外す事の許されない一点を狙って、矢で射抜かなければならないのだ。
例えアイオロス様といえど、確実に当てる事は至難の業だっただろうと、素人の私ですら思う。


「この世に『絶対』などという言葉があるとは、思えんがな。」
「それは、ただの屁理屈だ!」
「アイオロス、アイオリア……。悪いが、口を挟ませてもらうぞ。」


誰一人、二人の争いを止める事が出来ずに、気まずそうに彼等から視線を逸らしている中で、ただサガ様だけが呆れ返った表情を崩さずに、兄弟の会話へ割り込んできた。
バサリと翻る法衣の音が、妙に大きく部屋の中に響く。
その無駄がなく静かでいて、不思議と威厳に満ちた動作。
部屋の中にいた全員が顔を上げ、息を飲み、目を見開き、サガ様の一挙手一投足に注目した。





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