焼き立てのクッキーの香りと、スパイシーなジンジャーの香りが絶妙に混じり合った甘ったるい空気の中を、淹れたばかりの紅茶の湯気がふわりと立ち昇った。
先程は角砂糖を入れていたシュラ様も、今はストレートで香り立つダージリンを嗅覚と味覚の両方で楽しみながら、ゆっくりとカップを傾けている。
こんがりと良い色に焼き上がったジンジャークッキーをご機嫌な様子で摘むと、シュラ様はボソリと呟いた。


「俺は運が良かったな。」
「……え?」
「デスマスクが最初に声を掛けたのが俺でなかったら、アンヌはココには来てなかったかもしれないだろ?」


シュラ様が言っているのは、デスマスク様が私に暇(イトマ)を出すと決めた後、次の働き口を探してくれていた時の事だろう、きっと。
まだ、この宮に移って数時間しか経っていないけれど、『女=面倒』だと思い込んでいたシュラ様が、私の女官としての仕事振りに対して、とても満足してくださっているのだと、その言葉から分かる。


「でも、それならば、ラッキーだったのは私の方だと思います。シュラ様が雇ってくださらなければ、私には働く場所が他には見当たりませんでしたから。今頃は失業真っ最中で途方に暮れているところでした。」
「それはないだろう。アンヌが来てくれるというのであれば、今の女官なり従者なりを解雇してでも、雇いたいと思う輩は多いと思うが?」
「流石に、それはないかと。」
「謙遜するな。アンヌには、それだけの価値がある。」


言葉だけ聞けば、痺れるような台詞だ。
これが愛の告白であるのなら……、の話だけれども。
実際は女官としての私の『仕事振り』に価値があるのであって、私自身に価値があるという訳ではない。
それくらいは分かっているし、弁(ワキマ)えてもいる。


「シュラ様も、そう思ってくださっているのですか?」
「愚問だな。アンヌじゃなければ雇おうとは思わなかったし、アンヌならば喜んで雇うと決めた。言っただろ、運が良かったと。」


これがデスマスク様なら、いつもの調子でニヤリと笑って、冗談半分に茶化しながらの言葉になるのだろう。
でも、シュラ様はといえば、真剣な眼差しで真っ直ぐ見つめながら、そんな事をサラリと伝えてくるものだから、私の頬が無意識に赤く染まっていくのが、カッと熱くなる顔の温度で分かる。


先程とは、また違った意味で調子が狂うわ。
愛の告白をされている訳でもないのに、何だかとても恥ずかしくて照れ臭い気分。
全く、相手がデスマスク様なら軽口でも叩きながら適当に流せるのに。
シュラ様のこの素敵過ぎる真剣顔で言われては、流すどころか初心な少女みたいにマトモな返事も返せなくなってしまう。
反則も反則、身体に毒だわ、これは。


「あの、そう仰って頂けて嬉しいです。でも、そうまで言われてしまうと、これから気が抜けないですね。シュラ様の期待に応えられるよう、しっかりと勤めます。」
「あ、いや、すまん……。余計な気を遣わせてしまったか? そんなに畏(カシコ)まるな。気楽にやってくれて良い。」


慌てて私を気遣うように言葉を繋ぐシュラ様に、私は軽く微笑んで頷いてみせた。
シュラ様の、あのぼんやりとノロノロした態度は、今日が休みだったからか、まだ午前中だったからか。
実際は、皆が思っている通り、しっかりとした真面目な方なんだなと、今の彼の様子を見て思う。
そうは言っても、部屋が『アレな状態』だったというのは、変わりようのない事実なのだけれども……。





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