天使が笑った
コレの続き。

なまえとは、記憶の始まりからずっと一緒のような気さえする。
生まれつき体が弱かったなまえは、同じ年の子たちと走り回ったりすることが少なく、いつも家のベランダからぼんやりと外を眺めていた。
なまえの家と俺の家は隣で、サッカーをしようと家を出ると、ふと目に入ったのは俺より一つ年下のお隣の娘さん。
ぱちり、目が合うと、彼女は恥ずかしそうにしながらも目を反らそうとはしなかった。
じっと見つめて、ニヤリと笑い、片手をあげて手を振ってみた。
女の子はびくりと震えて、それでも恐る恐るという具合に手を振り返してくれた。
これが、俺となまえの出会いだ。

‐‐‐‐‐‐

なまえは呼吸がへたくそだった。
走ったり、大声でゲラゲラ笑ったり、なまえはどれもこれもが未経験。
なまえと頻繁に遊ぶようになった俺は、次第になまえのことが可愛くて仕方なくなってきた。
俺以外の子供とは遊ぼうとしなくて、幼なじみの俺のあとを「あつしおにーちゃん、あつしおにーちゃん」と付いて回っていた。
小学校に入っても、中学校に入っても、さらに拍車がかかるばかりで全く改善されることのないなまえの人見知り。
恥ずかしがって、頬を染めて、もじもじ俺の背中に貼り付くなまえが可愛くて可愛くて。
俺に迫ってくる品の欠片もないような女よりも、幼なじみで、体が弱くて、運動音痴で、何より俺のことが大好きななまえが一番可愛い。
そして俺はついに、ずっと想い続けていたこの気持ちをなまえに伝えたんだ。

「好きだぜ、なまえ」

なまえは泣いた。
理由を聞けば、「嬉し泣き」なんて言うもんだから困ったものだ。
なまえは俺の前でだけは良く笑うようになった。
なまえの両親は彼女の様子に酷く喜び、篤志くんが居て良かった、篤志くんがなまえと仲良くしてくれて本当に良かったと何度も何度も呟いていた。
そして、この一言で俺を縛り付けたんだ。
「これからもなまえをよろしくね」

‐‐‐‐‐‐

なまえの様子がおかしい。
なまえの様子が明らかにおかしい。
中学に入って俺のことを人前ではお兄ちゃんとは呼ばなくなったなまえの様子が。
「なまえ、最近、何かあったか?」
真っ白い肌でこちらを向いて、なまえが微笑む。
「何言ってるんですか、南沢先輩。よく分かんないです」
なまえは数少ない学校の友達とは喋らなくなり、両親の前でも喋らなくなり、それから演技をするようになった。
なまえが怖くなったのは、その頃だ。
気付けばなまえからの視線を感じ、俺への依存は度を超えていた。
俺はもう恋人としてのなまえを愛せなくなっていた。
なまえに別れを持ち掛けるのに戸惑いはない。
なまえの病気はとっくに良い方向に歩を進めていたはずなのに…。
「なまえ、もう別れてくれ」
なまえの喉がひゅうひゅうと音をたてる。
なまえが四つん這いになって、涙を流して、俺を見上げて、苦しそうに咳をした。
「あ、くるし…苦しいよう。あつしおにいちゃん…たすけて」

‐‐‐‐‐‐
決意した。
なまえは俺以外を頼ろうとはしない。
自ら周りの人間を突き放して、俺だけをなまえの世界に引きずり込もうとしているように思える。
怖い、怖い。
愛しかったはずのなまえが怖い。
俺が好きだったのは幼なじみだったなまえなのだと気付いた。
俺が好きになったのは、こんな狂ったなまえじゃない。
屋上の縁にたって、最後に一粒の涙を流す。
「ありがとう、なまえ」
何への感謝かはわからない。
返事は返ってこないとばかり思っていた感謝の言葉に、やはり背後の気配は声を上げた。
「何がですか、南沢せんぱい…」
振り返ると、なまえが泣いていた。
「何してるんですか、南沢先輩」
「なまえ…、ごめん」
「酷い…酷いです、あんまりですっ」
俺から数歩離れた所で、なまえが叫ぶように言う。
「私を一人にするんですか?私は、南沢先輩が居なくなったら何もなくなっちゃうのに、私を一人にするんですかっ!?先輩は、私のことが、大切じゃあないんですかっ?」
足は勝手に動いていた。
縁から下りて、一歩だけ。
「先輩!南沢先輩っ」
なまえがさらに声を大きくして、涙の量も増やして。
「あつし、おにいちゃん!死なないでっ!!」
走っていた。
なまえを思いきり抱きしめて、頭を撫でてやった。
なまえの小さな手が、俺の背中のシャツをぎゅうと握る。
「篤志お兄ちゃん、お願い、聞いて欲しいな」
「なんだ、なまえ?」
「私のこと、一人にしないで、お願い」
なまえはやっぱり俺の可愛い幼なじみだ。
それはやっぱり変わらない。
いつもは少しだけ我が儘をしているだけで、なまえは俺が大好きなだけで、なまえは俺だけが欲しいだけなんだ。
「うん、分かった。もうお前を一人にはしないよ」
なまえが笑った。
せめてこのなまえの笑顔が悪魔のようであったなら、俺はなまえを見捨てられたのに。

「だからもう二度と、別れようだなんて言わないでくださいね」

なまえはいつだって、天使のように笑って見せるから、やっぱり俺はなまえが好きなんだな。

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