ごくり
「どうすんのよ、円堂」
「どうするって…。なまえが中に出してって言ったんじゃないかあ」
「私が中に出してって言ったら中に出すのー?」
円堂と少しだけ口喧嘩をする。
断じて仲が悪いわけではない。
お互いに結婚した今も、寝てしまうくらいの仲なのだから。
そんなこと、他の人になんか言えないけど。
「まあいいや。私、堕ろすつもりないし。ちゃんと可愛がるよ」
「涼野にはなんて言うんだよ」
「パパは円堂ですうって言う?」
「アウトだろ、それは」
「冗談。嘘吐くよ」
「大丈夫なのかよ」
円堂は心配そうな顔を一つ私に向けて、コーヒーを啜った。
「へーき」
玄関の方でガチャンと扉が開く音がした。
「夏未かな?」
「ただいまー」
「夏未だっ!」
そちらから聞こえた声は夏未のもので、私は駆け足で廊下に向かった。
「夏未、おかえりー!」
「あら、なまえ来てたのね」
「うん、近くまで来たから夏未とお茶したいなと思って」
「ごめんなさいね、お買い物に行っていたの」
夏未の荷物を半分奪い取って、キッチンまで持っていくと、夏未が持っているもう半分は円堂が持って、夏未が幸せそうに微笑んだ。
「ありがとう、円堂くん」
「おう」
冷蔵庫に買い物バッグの中身を詰めながら、夏未が言う。
「なまえ、じゃあ今日はうちで晩ごはんを食べて行ったらどうかしら」
「うん、私もそうしたいところなんだけど、家でお腹を空かせた旦那さんが待ってるから」
「そうね、なまえは彼にお夕飯作ってあげなきゃいけないわね」
夏未は幸せそうだ、とても。
私がその間に入り込む隙間なんて、もとから少しだって無かった。
「また二人でいらっしゃいよ」
「うん、また来るね、夏未」
「じゃあな、なまえ」
「ばいばい」
買い物をしてから家に帰った。
風介は仕事からまっすぐ帰ってくるだろうから、そろそろ帰ってくる頃だ。
晩ごはんの準備でも始めようか。
「ただいま」
「おかえりー、風介」
風介はキッチンに来て、私を抱き締める。
「なまえ、愛してるよ」
「うん、ありがとう」
風介は寂しそうな顔をして、私を抱き締める腕の力をさらに強くした。
「…なまえは。言ってくれないのか?」
「どうしたの、急に。そんなの言わなくても分かるでしょ?」
「うん」
「愛してるよ、風介」
「うん…」
「大丈夫だよ、風介。大丈夫だよ」
「…うん、」
それから、私は風介の腕を引いてソファーに座らせた。
「何、なまえ」
「話があるの。あのね…」
風介は嫌な予感など少しも感じていない様子だ。
「私のお腹にね、赤ちゃんが居るの」
だからその言葉を聞いて、風介は目を丸くした。
「え、」
「風介と私の、赤ちゃんだよ」
「…うん」
風介がとてつもなく辛い顔をして何度も何度も、頷いた。
そして涙で濡れた目を細めて綺麗に、笑った。
「うん。良かった…本当に、良かった…」
ついに、風介の目から大粒の涙がこぼれ落ちて、風介は慌ててそれを拭う。
「風介、泣いてる…」
「違うんだよ、なまえ。嬉しいんだよ。嬉しくて、幸せで、仕方ないんだよ」
風介が何も言えないのをいいことに、私はたくさん彼を傷つける。
風介は、私のことを本当に愛してるのに。
もう10年前の彼じゃない。
他に女なんていないし、体の関係を持っている奴だっていない。
仕事からはまっすぐ家に帰り、毎日私に愛を囁く。
本当は風介だって分かってる。
私のお腹のこの子が自分の遺伝子なんか受け継いで居ないことも、私が自分以外の他の男と、円堂と寝ていることも。
「風介、しよう…?」
「…あぁ、」
風介が私の肩を掴んでソファーに押し倒す。
それは私にすがっているようにも見えた。
「風介、きっとこの子はいいサッカー選手になるね」
「そうだね」
風介を感じたのは久しぶりだった。
気持ちがいい。
満たされるな、風介の苦しそうな顔を見るのが、楽しくて仕方がないよ。
ね、風介。
私との2年ぶりの愛のお味はどうですか。

「こんなことをしても誰一人、報われないよ、なまえ」
そんな魔法のことばを口に出せるほど、私は綺麗じゃないから、何も言えずに、ただぼやけた視界の向こうの愛しい人を見つめて、喉を鳴らして、全てを呑み込んだ。

ごくり、と。

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