14Q 4
試合直前、正邦高校控室には、先程の調整の時とは一変、静かな雰囲気が漂っていた。
ただ――、白美による脅しの効果は確かにあった。
一見落ち着いて見える彼等だったが、動揺や緊張といったものが、拭いきれていなかった。
岩村も主将としてどしっと構えてすらいたものの、実は細かいところで、靴ひもを2回も結びなおしたりしてしまっていた。
どこか落ち着かなくて、もう1人の三年、春日の背中に声をかける。
「――どうだった、春日。あいつ等の印象」
「何ってまずは、あのしらがの印象が強すぎたけどね」
春日は、笑い気味に言った。だがその声の芯には警戒が滲み出ていて、岩村は彼も内心は動じているのだと、思う。
「ああ」
共に春日は、短い彼の返事を耳に、彼もああ見えてかなり揺らがされているのだと認識する。
だからこそ、今はそんな素振りを見せられないと、心をなんとか落ち着かせようとしていた。
「上級生は、やっぱ力つけてそうだよ。あと、一年の火神が要注意かも。――しらがくんは怪我のハンデがあるみたいで今まで試合には出てなかったみたいだけど……、要注意だね」
「じゃ、同じ一年だし、あいつ等は津川に任す」
津川は先ほど、あの白髪にあっさり敗れた。それどころか、脅しの材料にすら使われた。
だが――試合で勝てばいい、それだけのことだ。
火神とやらも、同様。
「今のお前なら、どんな奴でも止められんだろ……?」
岩村の問いに、津川は即座に反応して立ち上がった。
「はい! やったー、楽しくなってきたー!」
津川は、テンション高めの大声をあげると、ガッツポーズをして笑う。
津川自身、自分が動じていることはよくわかっていた。
だが彼の傍らを離れて、彼に対する恐怖が少し引いたのだ。
今は先ほどの恐怖に支配された自分が不思議だと思うくらいに、津川はリベンジに燃えていた。
――今の自分なら、アイツも止められる。
実際にはまったく確証はなかったが、そう思うしかなかった。
与えられたチャンスに挑むことしか、津川にはできなかった。
周りでは、他の部員が「うわー、でた津川スマイル!」と明るい声を出す。
「ってーか、世界中探してもお前だけだよ笑顔でディフェンス奴」
岩村が言う。
実際には白美も笑顔でディフェンスする奴だと津川は知っていたが、今は何も言わなかった。
★
一方、誠凛高校の部室には、シーンとした空気が流れていた。
まずは相手チームの存在感や実力に対する不安。
そして橙野の行為に起因する、喋りづらい空気の継続が原因だ。
(この静けさは、正直想定外だなぁ――)
この空気は、やはりよろしくない。
白美は独り黙って壁に凭れていたが、ハァ、と小さく溜息をつくと壁から身を離して口を開いた。
「あの、先程は勝手な行動をしてすみませんでした」
いつもの調子で、静かに深く頭を下げる。
その姿を見て、彼等はそろって、嗚呼、何時もの橙野だと安心感を憶えた。
しかし同時に、先程の白美を思い出し、それにしても、と各々思う。
「――あのままでは、メンタル面でこちらに不利になると判断したので。あのような行為に出ました。驚かせてしまったのなら、すみません」
やはり彼はかなりの狡猾な策士なのか、一同は――とりわけ2年は思いつつ、しかし彼の律儀さに感服した。
こういう風に頭を下げたりするところは、本当に真面目な奴だと思った。
――実際、今でもあの時の彼の様子、態度、台詞などに今でも疑問は残っていた。
自己完結のスタンドプレイ、手段も綺麗なものではない。
実のところ2年の面子は、白美にそういう面があることを理解した上で、彼が行動せざるを得ない状況を見過ごしてしまったことに責任を感じていたのだが、確かに効果的だったことは間違いないのだ。
彼は彼なりに、勝つ為に動いている。
確かに強硬派かもしれないが、真剣にバスケに向き合っていることは変わりない。
そういうところを含めて、橙野は橙野である。
後の細かい事は今じゃなくてもいい。
彼らは各々、そう結論付けていた。
そんな中だ。
日向が、申し訳なさそうな顔をしながらもフッと笑いを漏らす。
「悪ぃ、なんつーか、そうだな、ちょっと戸惑ってたっていうか、俺達までビビってたってか……、んまぁ、そんなとこだ。お前は悪くねえ――むしろ、かなりのGJだ。お前なりに考えてやったんだろ。だから、頭あげとけ」
「先輩――」
(想像以上に、寛容――か?)
「んだよ、その眼は。キョトンとしやがって」
「いや……、そう言って貰えるなら、ちょっと目立ったかいがあったな、と……」
「フッ。勝手にやる前に、一声かけてくれてもよかったんだけどな?」
「――善処します」
日向や白美を中心に、控室には少し和んだような柔らかい空気が流れ始めた。
しかしまだ、彼等の調子はどこか暗いままだ。
何故ならば、もう一つの原因。相手に対する不安が残っている。
ならそれは、自分が打破しよう。白美に続いて、リコが動いた。
パンパンと手を叩き、一同の注意を自分に促す。
「それにしても全員ちょっと気負いすぎよ! 元気が出るように、ご褒美一つ考えたわ」
何だろう。一同は不思議そうにリコを見つめる。
すると――驚いたことにリコは、うふふなオーラを漂わせた。
「んふ。次の試合に勝ったら、皆のほっぺにちゅーしてあげる! どうだ?」
ウィンク付きで、リコは頑張った。
しかし、一同の――とりわけ二年たちの反応は薄かった。
如何にも引きましたと言わんばかりの貌の伊月や小金井が、良い例だ。
「……うふって何だよ」
「押し出しちゃだめだろ〜」
それを聞いて、途端にリコは項垂れる。
「バカヤロー! 義理でもそこは喜べよ!!」
その様子を前に、咄嗟に日向は拳を握り声を張った。
無論、それがリコを更に打ちのめすことは知らない。
それが、リコに火をつけた。
「ふ、ふ、ふふふ」
「ん?」
どこか不気味な笑い声。
それに続いて、相変わらず静かな控室を、烈火の如く大声でぶち抜く。
「ガタガタ言わんとシャキッとせんかい!!! 去年の仮返すんだろうが!! えぇ!? おい!! 一年分利子ついて、偉い額になってんぞゴラァ!!」
涙目で叫んだリコに、日向は苦笑気味ながらも微笑みを向けた。
「わりいわりい、わかってるよ」
そして、気合いを入れる。
自分が主将だ。リコや白美にこんな風に任せているだけではだめだ、まずは自分がコイツらのモチベーションを上げなければ。
日向は、好戦的な笑顔を浮かべると、「おっしゃあ!!」と大声を上げた。
「行く前に改めて言っとく。試合始まればすぐ体感するけど、一年はちゃんと腹くくっとけよ。正邦は強い! ぶっちゃけ去年の大敗で、俺らはバスケが嫌になって、もうちょいでバスケやめそうになった」
それを聞いた途端に一年達の貌が暗くなり、日向は慌てて「っあ、暗くなんな!」と慌ててフォローする。
「立ち直ったし、元気だし! むしろ喜んでんだよ!」
そう言う頃には、特に二年衆の貌には明るさと自信が戻ってきていて、それにつられて一年たちも不安な表情を忘れていく。
「去年と同じには絶対ならねえ! それだけは確信できるくらい、強くなった自信があるからなぁ! 後は勝つだけだ! 行くぞ!」
「おう!!」
覇気を取り戻した彼等は、揃って威勢の良い声をあげた。
但し――黒子と、白美だけは。
「バスケを嫌いになった」というその言葉に、其々思う事があった。
白美は少し控えめでどこかにがにがしげな表情――いわば「黒歴史」を思い出しているような様子だったが、黒子はそれよりも暗い、と言った方が正しい表情をしていた。
黒子も白美も、互いに互いの過去を知っていた。
だから控室を出て、先輩たちが揃って歩いて行っても、二人は暫く控室の前から動かずにいた。
気持ちの整理を、つけたかったのだ。
「どうかしたか?」
二人が動かないことに気付き、火神が振り返る。
――これは、自分たちにとって少しデリケートな問題。
白美は、思わず「なんでもない」と言いかけた。
けれど、黒子にそれを遮られ、口をつぐむ。
白美は、彼がそうしたいなら、そうすればいいと思った。
それに――彼にはそのうち、心を開かねばならない時がくるだろうから。
一歩下がり、壁に凭れて俯く。
「火神くん――、バスケを嫌いになったこと、ありますか?」
黒子は、遠くを見つめながら、火神に尋ねた。
突拍子もないような質問に、火神はぽかんと口をあける。
「は? いや、ねえけど……」
対し、黒子は間をおいて口を開いた。
「僕は……あります」
その声が低く沈んでいたのも、彼の表情が髪に隠れてよく見えなかったのもあるのだろうが、火神はつと目を細める。
「実は、俺も」
続いて、白美も黒子の億でそんなことをいうものだから、火神はますます怪訝そうな顔をした。
「理由はもちろん違う。でも、俺もテッちゃんも、先輩たちの気持ちはよくわかる。――今はあんなに明るいけど、好きなものを嫌いになるのは、凄く辛い事だよ。とはいえ、今は俺達も、バスケ、大好きだけどね。只――、今でもこの苦しみにもがいてる連中は、いるけどさ」
白美は、独りそう言った。
彼は黒子以上に俯いていて、貌も陰になっていて、表情は一切火神からはわからなかったが、笑っているようにも見えたし、辛い顔をしているようにも見えた。
この2人には――とりわけ、しらがには、何か深い影がついている。
直感した火神は、無言で黒子と白美の前に立ち尽くす。
黒子は、また暫くしたところで貌をあげて、口を開いた。
「それはそれとして。緑間くんと話したとき、過去と未来は違うと言ったけれど、切り離されているわけじゃありません。この試合は、先輩たちが過去を乗り越える大事な試合だと思うんです。だから――」
(just before the game)
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