07Q 4
ピー、と審判の鳴らした笛の音が、誠凛メンバーチェンジを告げる。
己の代わりに入っていた小金井とハイタッチをして、黒子は火神の待つコートに進み出た。
「……」
「……」
火神と黒子は、暫し無言で互いを見つめ合う。
そして。
「行くぜ」
火神の言葉に、黒子は「はい」、と頷いた。
「さァ、ここからが山だ――」
白美は、その双眼の奥深くに焔を宿し、ベンチから鬼気迫る表情でコートを睨む。
それは、黄瀬も同様に。
誠凛と海常は、白美やリコ、大勢が見守る中で、全力でぶつかりあった。
日向が点を取り、黄瀬に取られ、また火神が取り返す。
黒子のパスによって放たれたボールがコートを幾度も飛び、誠凛の攻撃は確実に息を吹き返していた。
「慣れかかっていたのに、またもとの薄さに引っ込んでやがる! 第2第3Q、まるまる引っ込んでいたからか!!!」
一時は効果も薄れていたミスディレクションも、黒子が一旦引っ込んでいたことによって、その効力を取り戻していた。
叫ぶ笠松の目に、黒子の姿は簡単には映らない。
残り、5:17。
スコア、80-82。海常の2点リード。
たった1シュートの差。
「うわっ」
「マジかよ!? 80-82!?」
「差が詰まってる!!」
外野が、ボードを見て詰め寄る誠凛に、驚きの声をあげた。
火神も、黒子も、全身から汗を散らして全力でコートを駆け抜ける。
汗だくになりながらも日向が放ったボールが、綺麗にリングへと落ちていく。
「っ」
「嘘だろ!?」
上から試合を見守っていた海常のレギュラー外メンバーたちは、想像を超えた展開に目の前の手すりをぎゅっと握りしめた。
リコと白美は、ベンチで強気に微笑む。
――ボールは、リングを通ってネットを揺らした。
「フッ――」
日向は、シュートモーションから地に降りるまでの間で、口角を上げて笑う。
ピーッと音が響き、ボードの赤い文字が告げるスコアは――。
4:29。
82-82。
同点。
「同点!? だぁあああっ!!」
「誠凛がついに追いついたぞ!!!」
笠松をはじめとする海常の面々は、コート内で愕然と固まり、ベンチでは武内があまりの驚愕のあまりにもの凄い貌で何の言葉も発せずにいた。
一方誠凛の面々は、目を輝かせてコートを見守る。
酷く舐められたところから始まった、この試合。
確かに各々のスペックには、海常と誠凛では大きな差があった。
苦戦に苦戦を重ねても、誠凛は海常に食らいつくのが背一杯だった今まで。
――追いついた、というだけでも、本当に大きな意味があった。
小さく微笑みながらコートを抜かりなく見ていた白美は、不意に目に入った黄瀬の姿に、急に身体を強張らせた。
黄瀬は、間抜け面をして、呆然とコートに立ち尽くしていた。
(同点……? ……同点)
かくて、黄瀬の全身の血が騒ぎ出す。
「――フッ」
黄瀬が、笑った。
その直後だった。
「涼ちゃん……ッ」
白美は、ギリ、と小さく歯ぎしりをすると、何の前触れもなく、突如として膨大な量の殺気を放ちながら立ち上がった。
これは、白美らしくない、全く以って無意識に近い行動。
――彼等の間でしかわからない「何か」を、白美が悟った故の本能的な反応だ。
「……?」
リコや誠凛の面々、海常の面々でさえも、ハッとして白美の方を見る。
そして、白美の殺気が放たれている先を辿り――、否が応でも、もう一つの圧倒的なオーラに気が付いた。
黒子も珍しく目を見開いて、その方向を見る。
そして、彼の身に何が起こったのか気が付いた。
誠凛の同点シュートにざわついていた体育館に、再び、否、今までなかった猛烈な緊張感が漂い始めた。
火神も、ハッとして振り向く、先。
「黄瀬ェっ!!!!」
笠松が投げたボールを受け取った黄瀬は、その瞬間目にもとまらぬ瞬光の様なスピードで、黒子の横を突き抜けた。
「黒子っ!」
火神が咄嗟に黒子の名を呼ぶが、黒子が手を伸ばした瞬間、黄瀬はボールを反対の手に持ち替えた。
「んなっ!?!?」
突如として起こった予期せぬ事態に、リコは身を乗り出して目を見開き、言葉を失う。
それは、火神も黒子も、同じことだ。
2人が反応できない間に黄瀬は一気にゴールへと駆け抜け、「だああっつ!」と叫ぶとダンクを決めた。
着地する黄瀬と、転がるボール。
黒子は、それらを依然として目を見開いたまま見つめる。
――『黄瀬の成長速度は想定より早い』。
白美の言葉が、黒子の脳内に蘇った。
そして白美がベンチから立ち上がり鋭く黄瀬を睨んでいる辺り、黄瀬の中で今また何かが変わったのだろう。
黄瀬は、猛烈な速度で進化している――そう、この試合中にさえ。
(ここにきて、まだ強くなんのか!? 黒子も見切ったってのかよ!?)
「オレは負けねぇッスよ、誰にも、――黒子っちにも!!」
黄瀬は、目の瞳孔が開いた状態でどこを見るとでもなく吠えた、否――。
「……もちろん……」
――うのっちにも。
そこから先は、口パクだったのだろう。
しかし、黄瀬は確かに、白美の方を睨んでいた。睨んで、そう言った。
白美の眼は、眼鏡の下ですうっと細まる。
白美はそのままベンチに腰かけたものの、その様子は普段の落ち着いた白美とはまるで違い、それこそリコが更衣室前で垣間見たような、否、それ以上の何かを纏っている。
リコやベンチの面々は、予期せぬ白美の殺気に、ごくり、と固唾を呑んだ。
残り、3分。
スコア、82-84。
「やっべーな」
しかし、そこは流石主将だ。
日向はユニフォームで顔の汗を拭くと、アグレッシヴな笑みを浮かべる。
「全員気ぃ入れろ! こっから試合終了まで、第1Qと同じ、点の取りあい、ランガン勝負だ!!」
進化した黄瀬と、海常に。
チームでまとまって、持てる全てを尽くして対抗する。
全力のOFで護りながら、更に、全力で相手の盾を突き破る。
どちらの矛が、どちらの盾をより深くまで突き破るか。
全力でぶつかりあわなければ、勝利は見えない。
同時に、どちらにも、勝利の可能性があるということ。
「――こうなったら、結末は自分にもわかりません」
白美は呟き、応援に全力を注ぎはじめた。
「デイフェンス急げェ!!!」
日向が叫び、「日向くん急いで!!」、「水戸部先輩、ポスト走って!」とリコや白美も声を張る。
「火神〜!」
「行け行け〜!」
ベンチメンバーも、全力で声をあげて誠凛を応援する。
「なーにをやっているんだ! 戻り遅いだろうがァっ!!!!」
一方海常の武内も、負けじと海常選手を一喝する。
ボールが飛び交い、何度もリングを通過し、攻守は幾度も幾度もめまぐるしく交替する。
――残り2:11秒、91-92。
選手が全力でコートを駆け抜ける。
――残り1分、91-93。
残り30秒の時点で、ラストスパートをかけた互いが、ゴールを何本も立て続けに決める。
――22秒、98-98、また同点。
「んなっ、しぶといっ!! 止め刺すぞ!」
ボールを持った笠松が、叫ぶと同時に動き出す。
「時間ねぇぞ当たれ!!! ここでボール取れなきゃ終わりだぞッ!!!!!」
切羽詰まった最後の大勝負。
日向が叫ぶ奥、火神はなんだか煮え切らない表情をしていた。
「火神くん」
黒子は、それでも踏み出そうとしていた火神の横から、冷静な貌つきで一歩踏み出す。
「ここを取れれば、黄瀬君にコピーされない手がもう1つあります」
「っ?」
「一回きりの、単純な手ですけど……」
黒子は、一瞬だけ白美と視線を交差させると、強い目でコートを見据えた。
一方リコは、崖っぷちの状態に瞳を揺らしながら、張りつめた表情でコートを見守る。
(残り10秒切った――、もううちに延長戦を戦う体力はない……!)
「守れ守れ! 守るんだ!」
聞こえてくる、日向達の叫び。
リコは必死に言い返す。
「守るんじゃ駄目ッ!!!!! 攻めてッ!!!!!」
日向は八ッと目を見開くが、残り、7秒、6秒――。
ボールは、海常笠松の手の中に。
(このヘタレッ……!!!)
日向は、歯を食い縛り笠松の前に飛び出した。
だが、笠松はそのまま日向の背より遥か高く、ボールを持ってジャンプする。
(ハッ、しまった!!)
日向が身構えるが、もう遅い。
笠松の手から、ボールがリングめがけて放たれる。
が。
笠松より遥か高く跳躍した火神が、笠松の手からボールを叩き落とした。
「うあっ!!」
笠松は落下しながら瞠目するが、ボールはもう手の中には無い。
「うわっ」
「取った!」
「マジかよ!」
海常の非レギュラー3人も、手すりから身を乗り出して驚く。
「うああああああああっ!」
ボールを受け取った日向は、咆哮を上げながらそれを、全力で走る火神と黒子に向かって強く放った。
「抜かせるなァアッ!!!」
笠松が叫ぶその先では、火神が黒子と並走しながら、ドリブルでゴールに向かって駆け抜けていた。
そこに、汗を散らしてハンパじゃないオーラを放つ黄瀬が、立ちはだかる。
――黄瀬VS火神、かと思いきや。
黄瀬が迫る火神に反応した瞬間、「黒子!」という声と共に、ボールが黒子の手に移った。
「黒子っちにシュートは無い! 2人だったら、火神にリターンするしかないッスよ!」
急な事態に黄瀬は驚きながらも、消去法で先を読む。
だが。
黒子の手から離れたボールは、リング目がけて宙に飛んでいた。
「シュート!?」
黄瀬は硬直する。
黒子が、シュートを打てるはずがない。
なのに。
――カウント、残り2秒、1秒――。
全員が、ボールと黒子に括目する。
「じゃねぇ……」
そして、笠松は何が起ころうとしているかに気が付いた。
火神が、黒子のあげたボール目がけて両腕を上げ、高く宙に跳躍する。
「アリウープだっ!!!!」
しかし気が付いたところで、最早笠松は動けない、
「させネェエエエエエエエエエエエエッスよォオッ!!!」
代わりに動いたのは、一番近くにいて、かつ瞬発力を持った黄瀬だった。
先程の日向のそれをも超える咆哮を上げると、火神に負けじと跳躍する。
――だが。
火神が未だ上昇しているというのに、先に落下し始めたのは、黄瀬だった。
黄瀬は、目を皿の様に丸くする。
(まだ……!? いつまで!? 同時に飛んだのに、先にオレが落ちてる――! なんなんだ、お前のその宙にいる長さは!!!!!!)
落ちていく黄瀬の目に映ったのは、白いユニフォームに映える、黒い「10」の番号。
「勝った……」
白美は、ベンチでリコや誠凛の面々よりも一足早く、その整った貌に満面の笑みを浮かべた。
火神の手が、ボールに触れる。
――一回きりの、単純な手ですけど。
真っ直ぐな、黒子の目と声。
「テメェのお返しは、もういんねぇよ!!!! 何故なら!」
火神は、宙で身体の向きを変えながら、叫ぶ。
――ブザービーターで、決めちゃえばいいんです。
「これで、終わりだからなァアッ!!!!」
火神はリングに片手を置き、ボールのその中に叩き込んだ。
――その瞬間、試合終了の音が体育館一杯に響き渡る。
誠凛VS海常
100-98
00:00。
――時が、止まった。
(Game set)
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