23Q 4
 監督には伊月が交代の旨を伝えに動いた。
 白美も白美で立ち上がり、火神といる黒子に近づく。
 すると黒子は白美の顔を見て、なにやら迷ったような素振りを見せた。
 
「話は後で、聞かせて」

 白美が言えば、一拍の沈黙の後、「わかりました」と頷いた。

「橙野くん、交代するんですか」

 問われて白美は、肩を竦めて小さく笑う。

「『これ以上、無理はさせられない』ってさ」

「『無理』を」

「……、……ねェ、テッちゃん」

 ふと放たれた声は、懐かしいものだった。
 黒子は動作を止めて、白美の目に視線を合わせる。

「はい?」

 白美は、やけに神妙な顔をしていた。

「……ねェ、俺ってこんなに大人しかったっけ」

 三拍、黒子は首を振る。

「いいえ」

 すると白美は、難しい顔をしたままうんうんと頷く。

「だよねェ」

「はい」

「……まァ、テッちゃん、わかってんだろうな」

「出来る限りのことはやります」

「うーん」

 とはいったものの、やはり白美は作戦会議の場で、強く口を挟まずにはいられなかった。
 白美は、火神がもう(ほぼ)ガス欠であることは既に看破されている上で、今からの秀徳は徹底的に緑間を中心に使ってくるだろう、と指摘する。残りのメンバーが徹底的に守備に回る以上、点を取ることは今まで以上に困難であろうとも発言した。誠凛の得意とするランガンスタイルが封じられれば、その先の勝負は一体どうなるのか。

 最後には、『キセキの世代』の勝負強さは予想を超えるようなものである、と。



 
 果たして、その後の試合は白美が言った通りの展開をみせる。

 緑間に集中するボールを、黒子がミスディレクションで奪い、誠凛がカウンターを仕掛ける。
 しかし3年のプライドを、ベンチ外メンバーの思いを――勝利へのプライドを背負った秀徳の上級生達のディフェンスに、誠凛のそれは妨げられる。
 そして、スコアが凍りつく。
 時間が迫る中、ためにためてできた一瞬の隙を突いた緑間のスリーが決まった。
 残り30秒で5点差、負けじと伊月からのパスを受けて、日向がスリーを返す。

 2点差、しかし後は18秒。
 白美は眉間に皺を寄せて、身を乗り出すようにコートを睨む。
 「時間がない、あたって」と傍らでリコが立ち上がって叫んだ声も届いていないほどに、白美は集中していた。

 コート上では、黒子が高尾からボールを奪った。
 それを伊月が追いかけるが、伸びてきた秀徳の手がそれを外にとばす。

 残り15秒、最後のチャンスに、しかし大坪が日向の前に立ちふさがった。
 ここで逆転するには、スリーしかない。
 スリーと言えば日向、自分が居れば、と白美は己でも気付かぬうちに歯をギリリと鳴らしていた。
 それでも、自分はベンチにいる。誠凛にはスリーしかない。

――日向が決められなければ、終わり。

 白美は、一瞬日向と目があった気がした。
 しかしそうではなく、自分たち全員を見たのだろうと思い直す。

 コート上では、ボールを持った伊月が鷲の眼を駆使して、この極めて重要な局面を計算していた。
 
 
 日向が、リングに背を向けて走り出した。
 咄嗟に後を追おうとする大坪を、火神がスクリーンで止める。
 大坪は、かかりの甘いそれでは日向に追いつけると判断した。
 だが、日向の向かった先は、ラインから遥か遠く。

「――!!」

 白美は息を呑んだ。
 自分なら、間違いなくあの距離でも決められる。現に、今日試合中にそれを放っている。

――しかし。

 そこまで考えて、浮きかけていた腰を再びベンチに預けた。

(俺がここにと決めた以上、そんな風に思うのは移り気か……)

 けれども白美は、自らの大腿の上に載せられた掌が、いつの間にかきつく拳を形作っていたことに気が付いていなかった。


 残り6秒か5秒と言う時、伊月は日向にボールを渡した。
 日向から放たれたボールは、息を呑む秀徳の面々の頭上を越えて、リングを綺麗に通過する。

 ブザーが鳴った。

――これで、決まった。

 うおお、と客席が一斉にどよめく。
 リコや小金井も、声を上げて歓喜する。

「残りあと三秒で、誠凛が勝った!!」

 勝ったのか、と呆然とする選手たち。

 しかし、白美はドオッと腹の底から流れ差したような、全身の毛孔から這い上がるような、激烈な感覚に反射的に立ち上がっていた。

 その瞬間、隣にいたリコは白美が勝利への喜びに立ち上がったのかと思った。
 
 けれどもその拳がギリギリと震えていることに、脚が今にも飛び出しそうなのをなんとか耐えているかのように震えていることに気付いて、その表情を見上げる。

 そしてリコは、白美がその目に宿るオレンジを苛烈に燃え上がらせて、歯をむき出しに般若の如き恐ろしい顔をしているのを目の当たりにした。

 そのあまりの形相に、言葉を失う。
 
 彼が睨みつける先、「まだ勝ってねえよ」と声を絞り出したのは誰だったろうか。

 コート上で、再びボールが動いた。
 高尾が、緑間にパスをしたのだ。
 
「ッ緑間!!」

 正面に立っていた火神が咄嗟に反応するが、緑間は既にシュートモーションに入っていた。
 雷鳴が、遠く建物の外から聞こえてくる。

――ブザービーターでとどめを刺す、それが、人事を尽くすということ。
 
(そう、わかっていた! 俺なら、俺ならあれを止められる、そもそもボールなんて渡さなかった、なのに――!!)

 黒子も、他の面々も不意を突かれていた。動けない。
 では、火神は。
 

――ダメだ、跳んではいけない!!

  
 白美はそれを声に出したか、出さなかったか、わかっていなかった。 
 けれどもその時既に、火神の足は宙に浮いていた。
 果たして、緑間は、足を離すどころか深く沈み込む。

「信じていたのだよ、たとえ限界でも、お前はそれを超えて跳ぶと」

 緑間はそういう男だと知っていた。知っていて、警告もした。
 けれども、もう。

(終わっ――た……)

 白美はふらふらと後ずさり、崩れ落ちるようにベンチに腰を下ろす。
 緑間は絶対にスリーを外さない。
 
「ッ――!!」

 白美は、ぐしゃっと髪を掻き上げた。




「僕は信じてました、火神くんなら跳べると」



 そして見えたものに、白美は口を押さえて絶句した。


――黒子が、緑間の手からボールを叩き落としていた。

「そして、それを信じた緑間くんが、もう一度ボールを下げると」

 1が、0に変わった。ブザーが鳴り響く。

 観客がそろって口を開き唖然とする中、誠凛の選手たちは跳び上がって「やったー」と口々に叫ぶ。

 「よっしゃー」とリコやベンチの面々も飛び跳ねて喜ぶ。


 けれどもその喜びも、笑顔も、何故か白美には遥か遠いものに思えた。
 それよりは、敗北した秀徳の面々の方が、余程近いのではないかと思った。

「82対81、誠凛!」

「ありがとうございました!」

 試合は終わったというのに、白美はベンチから暫く腰を上げることができなかった。

(What is this?)

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