19Q 2
 3:40、スコア、1-11。

 早々にして、誠凛はタイムアウトを取った。

 誠凛において試合の勝敗の鍵を握るほど大切な、黒子のミスディレクションが封じられるということは、順当に考えて普通に緊急事態だ。

 誠凛のベンチには、切迫した不穏な空気が漂っている。

(まさか、黒子を捉えるなんて)

(あんな天敵がいるとはね……。ぶっちゃけ、ピンチだわ。でも……)

 リコは左を向いて秀徳ベンチの様子を窺っていたが、高尾のマークの指示が出された時を思い出して、ビデオカメラ片手に傍らで佇んでいる白美に顔を向けた。

 他の選手や部員たちも同様に、白美のことを思いだしたようだ。
 白美は皆から注目されていることに気付き、彼等をぐるりと見返して監督と視線を合わせる。

「橙野くん、さっき言ってたのは、このことで合ってるわね? もしかして、あらかじめわかっていたのに黙っていたの……? それは、対処ができるから?」

 怪訝そうに尋ねられて、白美は真顔で頷いた。

「じゃあ、その方法っていうのは……?」

 この危機を乗り越える術を、彼女が問わない方がおかしいということは白美もわかっていた。
 だが、今はまだ期ではないとわかっているのは自分だけのようで、口を閉ざす。

「……」

「黒子くん、何か知ってるの?」

 白美が返事をしないので、リコは黒子に尋ねた。
 だが、黒子は白美の眼を確認して、首を振る。

 白美は、相変わらず普段浮かべている微笑み無くして、口を開いた。

「――今はまだ、期ではありません。第3、第4Qから対処すればいい話です。今、我々がとりわけ対処しなければならないことは主に2つ――、高尾の眼と、より警戒すべきは、キセキの世代、緑間真太郎の存在です。高尾の眼はともかく、まさか、緑間の能力があの程度だと思ってはいませんよね……?」

 白美は、目をつと細めると、先輩達を一瞥した。 
 やけに重々しい声音が、彼等に染み入る。

「あの程度――って?」

 反射的に、同じ3Pシューターである日向が尋ねた。
 百発百中、外さないシュートと言うだけで恐ろしいこと限りないというのに、どういうことだ、と。

 白美は、日向の怪訝な表情を見て、フッと口角を上げる。
 見る者が見れば、それは嘲笑と受け取られてもおかしくないものだった。
 白美の笑いに数人が顔を顰めれば、白美はハァ、と小さく溜息をつく。

――「甘い」。

 白美は、ゆるゆると首を振って言い放った。

「っは? どういうことだよ」

 何が甘いというのか。
 火神の困惑と苛立ちが混ざった問いに、白美は今度こそ、明らかに嘲笑うような笑みをみせる。

「ッハ、『秀徳』というチームに対しての認識が『甘い』と言っているんじゃないですよ。『キセキの世代』に対しての認識も警戒も、甘すぎる、と言っているんです」

 白美の言葉を聞いて、黒子は拳を握りしめる。

「我々は海常を1度くだしましたが、正直黄瀬涼太は、彼自身言うとおりキセキの世代で一番新入りです。そして、今だ発展途上に他ならない。まだ未完成なんですよ。それに比べて、緑間たちは違う。各々なかなかに至高のプレイを行使してきます。更に、そこから進化すらしている。とりわけ緑間は、才能に努力をこの上なく重ねる男です。それこそ、猛者が心を折られてしまう――皆さんにとってしてみれば、化け物ですよ」

「……」

「高尾の能力も確かに脅威ではありますが、比べたらまだ軽い。所詮秀才のそれです。事前に言っておきます。俄かには信じがたいかもしれませんが、緑間は全中の時点で、ハーフコート全てがシュート範囲でした。進化した今、例えば『誠凛のゴール下から3Pを放って決める』なんてことをしても、何らおかしくはない」

 白美が言えば、日向達は「そんなバカなこと」とでも言いたそうな表情をする。
 だが、それが行い得るのが緑間という男だと白美は知っていた。

「我々が倒さなければならないのは、そんな相手であるということを、もう一度肝に銘じてください。動揺したまま優位に立てる程、秀徳は弱くありませんし。正直、今のままだと危ないかと」

 そう言って白美は、火神に視線を合わせた。

「わかってるよね、火神。本当にヤバいのは、黒子じゃない。お前だ。俺はお前なら、緑間を止められると信じてる。――お前が、緑間を倒すんだ。いいな?」

 真っ直ぐなオレンジの眼差しを、火神は強い意志を以て見返した。

「嗚呼、わかってるぜ」

 さり気なく、拳を合わせる。
 白美の、キセキの世代に対する並々ならぬ強い闘志を、火神をはじめとした誠凛の面々は知っていた。

 白美の真っ直ぐな思いに、答えなければ。目指す頂点の為に、絶対に勝たなければ。

 誠凛のチームとしての団結と、並みならぬ闘志は、より一層高まった。

 とはいえ、それからリコが、元々の秀徳と誠凛との基本スペック差を踏まえた戦術に話を切り替えたことで、傍から見ると一同をまた重々しい深刻な空気が覆っているかのようになった。



 対して、秀徳側のベンチ。
 緑間の傍らで給水していた高尾は、ボトルから口を離すと何やら白美の話を聞いているらしい誠凛を横目で見た。

「あーらら、誠凛案外困っちゃったね〜。橙野はそうでもないみたいだけどさ〜」

 いつも通り軽い口調の彼を、隣の緑間は横目で見下ろす。

「気を抜くな。橙野はともかく、黒子はコレで終わるような奴じゃない」

「大丈夫だって〜。影の薄さ取ったら、只の雑魚だろ〜? それに比べたら、橙野の方がよっぽど厄介じゃねえ?」

 高尾が良い返し、一拍置いて、真正面を見据えて緑間は口を開く。

「……俺がアイツらの事を何故気に喰わないか、わかるか」

「あん?」

「黒子の場合、それは黒子の事を認めているからだ。身体能力で優れているところは一つもない。1人では何もできない。にも拘らず、帝光で俺達と同じユニフォームを来て、チームを勝利に導いた。アイツの強さは俺達とは全く違う。異質の強さなのだよ」

 そう言って、緑間は誠凛のベンチに腰掛ける黒子の横顔に目をやる。

「だから気に喰わない。俺の認めた男が、力を生かしきれないチームで、望んで埋もれようとしているのだから」

「じゃあ、橙野は?」

 高尾に訊かれて、緑間は一瞬遠くを見て、それから白美の白髪に隠れた横顔を見た。

「アイツの持つ才能や実力は、間違いなく俺にすら計り知れない。だが奴は、何事にも絶対に全力を尽くさず、浅ましくも運命から逃げ回る。望んで力を持て余した挙句、あの様だ」

 緑間の胸の内を聞いて、高尾は眉間を寄せた。

「なぁ、真ちゃん、それ橙野に嫉妬してんのかよ」

「……かもしれんな」

 緑間は、一瞬驚いたように微かに睫毛を揺らし、それから小さく肯定した。
 Yesという答えを聞いて、高尾はまじましと緑間の横顔を見つめる。

 この男も、憎しみに近い嫉妬心などというものを抱くのかと、驚いたのだ。
 それと同時に、これほどの圧倒的な才能と努力を礎とした常識はずれの力を持った緑間を嫉妬させる程の、彼の更にその上を行くものを秘めているとは、一体白美はどれほどまでの選手なのかと、高尾は心の内で密かに畏れを抱いた。



 タイムアウトの時間もかなり消耗したところで、対ミスディレクション破り以外の誠凛の主な戦略が固まった。

 そこで、火神が黒子の頭をぐしゃっと掴む。

「でも橙野、まさか黒子はこのままやられっぱなしじゃないだろうな」

 対処はまだ後でいい、とは言ったものだが、どういうことだと尋ねたのだ。

「まあ、僕もやっぱちょっとやです」

 黒子が困り顔で言うのを見て、目の前にリコと並んで立っていた白美も、肩を竦めて微笑む。

「安心して。このままで済ます訳ないから」

 それらを聞いて、火神は「よく言った!」と破顔した。
 余所を向いていた監督に声をかける。

「ん?」

 自分たちの方を向いた監督に向かって、火神は黒子の頭を更に引っ張ると、強い眼差しで「このままいかせてくれ――ださい」と願った。

「……このまま? 高尾くんにはミスディレクションは効かないのよ? 大丈夫?」

「……大丈夫……じゃないです。困りました」

 黒子のボソッとした答えに、リコは一瞬「うん、そう」と納得しかける。
 そして、「ってか、おい! どうすんだ」と我に返った。

 そこにすかさず、白美が「黒子は今までのまま動いていればいい」と口を出す。
 
 リコは、いい加減どういうことか詳しく尋ねようとした。だが口に出す前に、ブザーが鳴ってタイムアウトが終わってしまった。

 日向達がぞろぞろとコートに戻る中、立ち上がりかけながら火神が黒子を見下ろす。

「取り敢えず、高尾はまかせたぞ。それでいいんだな? しらが」

「はい」

「大丈夫だ、行って来い」

 2人の返事を聞いて、火神は全身に闘志をみなぎらせるとスクッと立ち上がった。
 秀徳側のベンチから、コートに入る緑間に視線を向ける。

(んじゃ、こっちも挨拶しようか。手土産の新技もあるしな)



 彼等が出て行った直後、白美はビデオの録画を再開する前に、何か尋ねたいような素振りをしているリコに向き直った。

「そうだ、それで対処のことだけど」

「はい、その話をしようと思って」

 ベンチの他の面々も、興味深そうに白美に注意を向ける。

 白美は、「火神や黒子の前では話せないから」と一言断り、素早く小さな声で説明を始めた。

「この試合、先輩方の実力もありますが、勝敗を決定づけるのは黒子と火神ということはわかりますね?」

「ええ」

「けれど――、先程話した様に半端じゃない緑間は今この瞬間の火神には止められない」

「……」

「それは、黒子が火神の補助として存在する為に、今だ発展途上である火神の真の力が抑制されているからです。しかし、今、黒子は無力だ。この先、黒子はまた何度も高尾に阻まれる。それは誠凛にとって痛手になり得る。けれど、その度に火神は黒子にばかり頼ってはいられないと、もっと強くなろうとするはずです。そして火神が緑間を止められた時――、そこからが勝負です」

 白美の考えを聞いて、リコ達はハッと息を呑んだ。

「じゃあ……」

「はい。緑間を火神が倒すためには、黒子のミスディレクションが高尾に封じられなければならない。だからそれまで、敢えて高尾を自由にしておくんです。それから――」

 白美の策に驚いているリコの耳に、白美は素早く口を寄せて囁いた。

「試合終盤――、俺を伊月先輩の代わりに、PGとして出してください」

(This is the best way to raise the morale of the men)

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