16Q 7
 プレイをする白美の姿に、尊敬の眼差しを向ける火神。

 だが、様子を秀徳のベンチから見ていた緑間は、今や白美に、火神の眼とはまるで正反対の冷然たる眼光を向けていた。

 先程までは静かなだけのそれだったが、高尾は彼の眼差しが秒毎に冷ややかになっていくのを――白美が津川に悲痛に物申した時からだ――ハッキリと読み取っていた。

 高尾は津川が『トリックスター』についてバラした時こそどうなるかと思っていたが、その後の白美の派手な『パフォーマンス』を前にして、『トリックスター』に対してかなりの好感や期待感さえ覚えてすらいた。
 そのプレイも一流モノで彼は本当に怪我上がりなのか疑いたくなる程だと、高尾は白美をカナリ高く評価していた。

 成る程、この試合は。



 なのに、緑間はこの態度だ。高尾は解せぬと腹の中で疑問に思い、緑間に訊くことにした。

「っちょ、真ちゃん……、んだよそんな見下したみてえな貌して。橙野がどうしたってんだよ?」

 すると、緑間はチラッと高尾に目線だけ向け、再びコートの白美に標的を移す。
 眼鏡のブリッジをあげ、フンと鼻を鳴らした。

「フン、そうだな。お前にはわかるまい」

「んあ?」

 高尾の声に滲み出ていた疑問符を感じとったのだろう、緑間はついと細めた目を高尾に向けた。

「まさか。橙野の事を高く評価などしていないだろうな」

「さっきから思ってたけど、真ちゃんアイツがどうしたんだよ」

 図星だった高尾は、さりげなく、緑間に尋ね返す。
 すると、緑間は「おまえがわからなくて当然なのだよ」と言った。

「どういうことだよ」

 一拍を置いて、緑間は次の言葉を紡ぐ。

「橙野は中学時代、公式試合で時たま使われる以外、PG/SFとして主に俺達の出ない練習試合のチームを牽引していたのだよ。奴の得意技は、ズバリ『心理戦』。さっきのゴミの言い合いを見ただろう。アレもやつの十八番だ。だがそれもさることながら、ストバスを源流としたトリッキーなプレイ、頭脳を生かした緻密なゲームメイク……、俺達の中にはそれぞれを得意とするプレイヤーが別にいたが、奴は彼等と張り合える才覚すら持っていた。身体能力は無論俺達と似たようなものだ。才能では『キセキの7人目』と言って相応しかったのだよ」

 緑間の言葉を聞いて、高尾はそこまでは知らないと目を丸くする。

「なんだよ、それ、っつかハイスペックにも程があんだろ」

 高尾の言葉に、緑間は小さく頷く。

「だが根本的に、奴のバスケは俺達とは大きく異なっていた。お前も知っているかもしれないが、奴は、勝つためのバスケは決してしようとしなかった。奴は、『楽しむ』為にバスケをしていたのだよ。……『相手を潰して』楽しむために、だ」

 キセキの世代の本人から、世間に出回っている白美の噂が真実だと聞いている現状に、高尾は少し表情を厳しくした。
 緑間は、言葉を続ける。

「初めの頃はまだよかった。だが、時間が経つにつれて奴の力は更に増大し、間もなく奴は主に練習試合の場で、その力を以て相手校を徹底的にいたぶり始めた。勝敗の域を越え、必要以上にだ。選手達の心を、片端からへし折り始めたのだよ」

 その後も、緑間の話は続いた。
 その内容はやはり、明るみで語るには気が引ける程のもので、流石の高尾もこれには軽く言葉を失った。

 だが、それが何故、緑間の見下すような視線に繋がるのか。高尾はわからなかった。
 そして改めて尋ねれば、緑間は小さな声で、全中三連覇のその日に起こった「転落事故」について語った。





――あの日、白美は試合終了後、試合会場の敷地となる場所の一画にある階段から、転落して怪我を負ったという。
 怪我は重症で、白美はそれ以来バスケ部を去り、二度と戻ることは無く、それどころか学校、日本からすら姿を消した。

 噂では、白美はアメリカにて怪我の治療をしているなどと言われていたが、実の所その日以来、誰も白美とまともに連絡を取っていなかった。

 そして時は過ぎ一同は中学を卒業、高校に入学。

 自分が白美の存在に気付いて、その変貌を疑問に思ったのはごく最近の事。無論、考えていることは全く分からぬまま今に至った――というのが、自分の今しがたまでだった、と。緑間は語る。

「だが……、この試合を観て、謎が解けたのだよ」

「なんでアイツが、誠凛なんかでこんな教科書みたいなプレーしてるのかって?」

「嗚呼……、結論から言えば奴は――」

――過去の悪行を恐れ、アイデンティティを捨てたのだよ。プレイからも、恐らく日常からも。

 しかしここへ来て、緑間の言葉を聞いた高尾は「は?」と呆気に取られた。

「何言ってんだよ、明らかにアイツは――。それに前に会った時だって、アイツは」

 それは違うだろう、と反論する。しかし、緑間の目は確信を示していて、高尾は困惑する。

「奴は、『トリックスター』としての自分を捨てて悔い改めたいのだろう。大方、怪我をして漸く自分の過ちに気付いたというところか。そしてどういう経緯からは知らないが誠凛に入った。――その方が奴にとって都合がよかったのだろう。だが『トリックスター』であったことがバレれば、簡単には行かなくなる。対して俺達に『トリックスター』を捨てたとバレれば、不利になる。よって奴は、自分の正体を隠しつつ、俺たちにあたかも何か企んでいるかのように見せる行為をはたらいた――。どうあがいても本質は変わらないというのにな。奴は自覚の上で、自分自身から逃げているのだよ」

 緑間は続けた。
――「その通り、アイツは『トリックスター』等ではない。ただの愚者だ。その程度の輩、脅威ではないのだよ。警戒した俺が愚かだった」と。

 その眼差しは鋭く白美を射抜くようで、なるほどそうなのだと思わせる力を持っていた。

(成る程、真ちゃんの言わんとすることはわかった。が……)

 だが、高尾は自分の目が認知したものを否定できなかった。
 緑間と同様の無言で、コートを駆ける白美の姿を片目に追う。

 初戦の日、火神が緑間に挨拶をした直後、高尾と白美の間に交わされた小さなやり取り。
――奴は、知っていた。自分の「目」の存在を。その上で、「初対面」にも関わらず利用した。と、同時に恐らく奴は。

 高尾はスッと目を細め、思い出す。

――それに試合前のアレ。アレがフェイクだなんて到底思えなかった。あの時自分が感じたうすら寒いものも、偽物ではないだろう。リアルに見えたのは、先程の叫びも同じではあったが、違う。

(ともかく、そんな十字架に押しつぶされてる奴に、今の橙野みてーな振る舞いができるとは到底おもえねぇな。のに、真ちゃんはアイツが逃げてると確信してる……そりゃ、真ちゃんの方が俺よりよっぽどアイツの事知ってるだろうけどな)

 ただそれすら、緑間の推測すら彼にとっては計算内かもしれないと、高尾は思った。
 結局、高尾は緑間の言葉を聞いても、白美への警戒を緩めようとはしなかった。

 否、それ以上に、高尾の白美を見る眼差しは鋭く強くなったくらいだ。

(まあいいぜ……たとえ真ちゃんが間違ってても、俺がみてりゃいい。負けねえぜ)

 彼のそれとはまた違うオレンジ瞳に、闘志が燃え上がる。
 傍らの緑間はチラッとそれを見て、貌を顰めたが何も言わなかった。

 と、暫くした時。高尾は白美が一瞬自分に視線を向けてきた気がして、眉間を寄せた。




 一方、黄瀬は緑間とは異なり、椅子から身を乗り出すようにして白美の姿を熱心に追っていた。
 そこには普段なかなか見ることのない驚きと動揺が見受けられて、笠松は白美が叫んでから暫くの後、話しかけられなかった。
 暫くして、そろそろ良いかと思い、ようやく黄瀬に「橙野をどう見る?」と尋ねた。

 すると黄瀬は、急に真顔になって笠松の方に顔を向ける。
 いきなりじっと見つめられて、笠松は「な、なんだよ」と顔を顰めた。

 数拍を置いて、黄瀬は口を開く。

「先輩、俺――、……」

「おう」

「俺――、わかんないッス〜!」

 突然ヘラッと笑って言った黄瀬に、笠松は思わず目を三角にして拳を振り上げた。

「あ゛!?」

「っ、あっ、っちょ、止めて先輩! すんません!」

「真顔で溜めといて何言うかと思えば、『わかんねえ』ってなんだよオイッ!」

 笠松に胸倉を掴みかけられながら、黄瀬は苦笑いで「でも!」と言い足した。
 笠松は黄瀬の声に腕を引っ込め、何だと尋ねる。

 すると黄瀬は、襟元を直しながら、真顔になってコートの白美にじっと目を落した。

「混水摸魚……」

 ポツリ、とした小さな黄瀬の呟きに、笠松は首をかしげる。

「こんすい――ぼぎょ……、なんだそれ」

 尋ねた笠松に、黄瀬は「知らないんスか〜?」とからかうように言った。
 笠松は再びむっとした様子で、「シバくぞ」と言う。
 黄瀬は、すいませんッスと笑いながら、説明を始める。

「『混水摸魚』っていうのは、中国に伝わる兵法三十六計っていうのの一つで、『水を混ぜて魚を摸(と)る』。つまり、 まずは水をかき混ぜて魚を混乱させる。で、その魚を狙って捕まえる、って意味ッス。 弱体化させたり、作戦行動を誤らせたり、自分の望む行動を取らせるよう仕向ける戦術ってとこッスかね」

 黄瀬が言うと、笠松は目を丸めて「よく知ってるな」と感心した。
 そして腕を組み、コートの白美を見下ろす。

「で――、お前はアイツが、それをやってるって言いてぇのか」

「いや、だから『わかんない』んスけど」

「は?」

「中学の頃、うのっちが教えてくれた『混水摸魚』ってのは、もしかしたらこういう事なんじゃないかな、って。なんとなく思ったッス」

 それを聞いて、笠松は驚きの混じった眼で、コートを微笑みながら見下ろす黄瀬を一瞥した。

(コイツには、俺に見えてない何かが見えてやがるのか)

――橙野に関する何かを、自分にはわかりそうもない何かを、黄瀬は見抜いている。

 と、笠松がそんなことを考えていると、黄瀬がまたフッと小さく笑った。

「ん?」

 笠松が黄瀬に目をやれば、黄瀬は頬杖をついて、くしゃっと破顔していた。

「うのっちのあの笑顔は、偽物じゃない」

 コートでは丁度、白美がシュートを決めて、先輩達と笑い合っているところだった。


(Disturb the water and catch a fish)

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