16Q 3
 突然だった。事は、起こった。

「うわああっ!」

「っ――!」

 ラインを出そうになったボールを必死に追いかけた小金井が、勢い余ってベンチに突っ込み、そのままひっくり返って地面に頭をぶつけてしまった。

 白美も黒子たちも飛び込んでくる小金井に「ハッ」と反応したのはいいが、あまりの突然の事態に成す術もなく。
 白美は弾かれた様にベンチから腰を上げた後、立ち尽くす。
 リコや火神たちも一瞬フリーズした後、倒れた小金井の貌を慌てて覗き込むが、もう遅い。

「小金井くん、大丈夫――じゃないっ!?」

「うわあああ! 目ぇ回してる!!」

 ベンチに両足を引っ掛けたまま、コートと反対側の地面に上向きに背を横たえる小金井。
 ピピピッと審判が笛を鳴らす音を傍らに、リコと白美は慌てて動く。
 リコはベンチを回り込んで小金井の貌を覗き込み、白美は咄嗟にベンチを飛び越え、小金井を挟んでリコと向い合せに地面に膝をついた。

「小金井くん! 小金井くん!」

「小金井先輩!! 先輩!」

 しかし、呼びかけても小金井からは反応が無い。
 力なくその場に倒れて目を回しているままだ。

(こんな時に――……アクシデントでメンバーチェンジって。笑えねェな)

 白美は小金井の貌を覗き込んだまま微かに舌打ちをすると、直ぐ傍で困った顔をしているリコと目を合わせた。

「……っ」

 両者ともに苦々しげな表情で、しかし速やかに思案を始める。

「先輩っ、大丈夫なんスか?」

 慌てた声音で尋ねる火神を、リコは浮かない顔で見返した。

「軽い脳震盪だと思うけど……、交代しかないかも」

 リコの口から「交代」という言葉を聞いて、白美は反射的に火神の貌を見上げた。
 そうすればやはり、火神は眉間に皺をよせて前のめりに要求する。

「じゃあ、俺を出してくれ! ――ださいっ!」

(それがベストだが、火神は4ファウル……)

 いくら緊急の事態といえ、4ファウルの時点で火神を使うことは論外だった。
 白美が目配せするまでもなく、日向が一歩踏み出して火神に睨みをきかせる。

「何をいってんだ! お前はダメだ! その元気は何のためにとってあんのか忘れたのか! ちゃんとケリつけてくっから、待っとけ!」

 だが火神は拳を握りしめ、より力を以て前にのめった。

「だからって、じっとしてらんねえよ!」

(っち――)

 確かに試合に出たい気持ちもわかるが、なんだってもう少し頭は冷えないのかと、白美は貌を顰めてベンチを跨ぐ。

「俺だって、先輩たちの力になり――、だうふっ!」

 しかし白美が物申そうと火神に寄ろうとしたちょうどその時、傍らの黒子がベチン、と火神の貌に強く掌を押し当てた。

(うわ、テッちゃんGJ〜)

 火神の口を中心に、彼を封じて黒子は口を開く。

「僕もそう思います。だから、4ファウルの人はすっこんでください」

 次の瞬間、火神は黒子の貌に向かって思いっ切り掌を突き出したが、生憎傍らから伸びた白美の手に阻まれた。
 火神はムッとした表情で腕を掴んだ手の持ち主を一睨みするが、予想外にもどこか困ったような白美に突き当ってしまった。
 突発的な苛立ちを向ける先を失った火神は、小さく舌打ちをすると黒子を睨みつける。

「んだと黒子、てめぇ――!」

「出ても津川君にまたファウルしたら、側退場じゃないですか」

「っ……!」

 火神はうっと詰まる。

「しねえよ、だから、俺は津川にも借りがあんだよ!」

 それでも、火神は負けじと吠えたてる。
 これには白美は軽く頭を押さえたが、黒子はいつもの無表情で「わかりました」と返した。

「っ?」

 一同が注目する中、黒子は言う。

「じゃあ津川くんは僕が代わりに倒しときます」

 黒子の言葉に白美はついと目を細め、対して火神は「ハァ?」と両手でジェスチャーをとった。

「何言ってんだ、お前が倒しても意味ねえだろ!」

 火神が相変わらず大声で反論を続ける傍で、白美と日向はそれぞれスコアボードに目をやっていた。

 第4Q。4:51、58‐64。6点差だ。

(この試合、絶対勝利は必須――……)

 白美が決断をするのと、日向が決断をするのは、ほぼ同時だった。
 とはいえ、実際に口を開いたのは、日向の方が一瞬先だったが。

「わかった。じゃあ1年生同士、津川は頼むわ。黒子」

「んえっ!?」

 日向の言葉に黒子は小さく頷き、火神は大きくリアクションをとる。
 リコやほかの面々も頷き、その場は黒子に交代するという流れで満場一致に思えた。

 だが、一拍置いたタイミングで、白美が「ちょっと待ってください」と声をあげた。

「なんだ、どうかしたのか、橙野」

 白美は日向に向かって頷くと、素早く一同に視線を巡らせ、最後に黒子の目をじっと見つめる。

「消耗を気にしなければならないのは、何も火神だけではありません。黒子とて温存が必要です」

「まぁ……、そうだけど、でも」

――でも、黒子が出ないことには。そう言おうとしたリコを遮るように、白美は声の大きさを少し吊り上げて言葉を続けることにした。

「だから。だから、自分が行きます。温存の為にも、確実な勝利の為にも、自分を使うことが一番の選択です。ちょうど小金井先輩はF、自分はSFですし」

 白美は、双眸に強い光を湛えて、ハッキリと全員に向かって言った。
 しかしその申し出に、リコは首を横に振る。

「でも、橙野くんは既に試合で足に負担をかけているはずよ。いくら許可されているからといって、無茶をするかもしれないからって、試合への出場はそもそもなるべく控える方針なんでしょう? これ以上の出場は、今後のことも考えると――」

 リコは、気まずそうに、それでもしっかりと言った。
 自分のことを思ってくれているが故の言葉であることは、勿論わかっていた。
 だが、そうこう言っていられる場合でもないのだと、白美はリコに迫る。
 先程の火神と同様、いやそれ以上に引く気は全くない。

「お願いします。どうしてもお願いします。この試合、この試合で確実に勝って、次の秀徳戦につなげていくためには、今ここで自分が出るのが一番です。尊敬する先輩達の後輩としても、自分はこの試合の勝率を、極限まで100%に近づける為に動くべきだと思うんです」

 誠実に、必死に、まるで懇願でもするかのように、言葉を紡ぐ。

「それでも駄目だと言うなら、自分はアシストに徹します。それに津川に借りも返さないと。――自分が返したって一緒だよ、火神。だって同じ誠凛バスケ部の選手なんだから」

「しらが……」

 火神はその言葉に、ようやくハッとして眉間のしわを消した。
 白美は火神に向かって穏やかに一度頷いて見せると、再び真剣な表情をしてリコや日向に向き合う。

「先輩、お願いします。怪我のことは心配には及びません。それに俺は――、目的の為なら、この身も投げうつくらいのつもりでバスケをしている。だから、どうかお願いします」

 白美はそう言って、その場で深く頭を下げた。
 背中に流れていたひとくくりにされた白髪が、肩から胸にするりと垂れ下がる。

 そのまま頭を下げ続けること数秒、白美の心意気に、リコは押し負けた。

「……わかったわ」

「っ、有難うございます!」

 聞こえた静かな声に、白美は勢いよく頭を起こして破顔する。

(ほんとに、嬉しそうな貌するのね……)

(クールに見えるが、ったく中身はマジ熱いな、橙野は)

(ぜってー、やり返せよ)

 それでも彼の言葉を聞いてもまだ不安がぬぐえずにいたリコや日向だったが、白美のその笑顔を見たとき、心配は自ずから吹き飛んだ。

 火神の中でもまた、試合に出られないことへの不満や苛立ちが、すうっと引いていった。

 改めて、この男になら、この熱くて誠実な男になら、任せられると思ったのだ。



 
 ただ。
 黒子だけは、微かに顔を顰めていた。

(キミは、何をするつもりなんですか……? 橙野くん)

(He is as sincere as any)

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