Sleep03
インペルダウンでお化け屋敷より何万倍も怖い思いをして、そして俺は何事もなくベッドで目が覚めた。
胸の内側にまだある恐怖と、守ってもらった優しさと、エースの暖かさ。
あんな地獄に置いてきてしまう悲しさ。
いろんな感情を短い間にいっぺんに味わった。
助けたいのに助けられてばっかりで、どうやったらあんな地獄から助け出せるのだろう。
level5.5に逃げ込めばイワちゃんが助けてくれたりしないだろうか。いや、それで性別変えられちゃったらそれもそれで地獄か。
ベッドから力なく起き上がる。
カーテンの先には曇の多い青空だった。
空気の入れ替えの為に窓を開けると少しだけ寒く身震いしたものの、顔を洗うために階下に降りた。
頭はすっきりしているがぼろぼろ泣いたせいか目が重かった。何度も強めに瞬きしながら、今日はエース来てくれるかなと考えていた。
1日の終わりに。
今日はエースは来てくれなかった。
何かあったのだろうか。それともあの夢のような奇跡は打ち止めで、もう会えないのかもしれない。エースは「会えてよかった」って言ってくれた。俺も、似たような言葉を返せたはずだけど、もしかしたらエースは会えなくなることを予見してて、それで言ってくれたのかもしれない。
もう二度と会えない?
そう思うと悲しかった。苦しい。悔しい。辛い。思う事は多々あった。
暗い部屋の中ベッドに入りながら目を閉じる。エースを助けたい。3回祈って眠りについた。
「あ」
「……」
目が覚めると、というか意識が開くと、というか、とにかくそこはインペルダウンの中だった。
正面にはエースがいて、驚きで目を丸くしているのに、すぐにその顔は怒りに満ちていく。え、どうしてなの。
「……お前、また来たのか」
「い、いや、来たくて来てるわけじゃ……いや、来たくて来てはいるけど、なんというか……」
もごもご小さく言い訳めいた事を言いながら、けどどっちも本音だったからなんと言ったらいいのか分からない。来ようと思ってきてるわけじゃない。けど、エースに会いたいのも当然本音で。インペルダウンには怖いから来たくはないけど、エースには会いたくて。できたら安全な場所にいるエースと会いたい。あ、これだ。
自分の中の感情が収まったことに満足してスッキリとした充実感を味わっていると、エースが口を開いた。
「……危ないから、ここへは来るな」
「で、でも、俺エースに会いたくて」
「っ、……お前なんてまた泣くぞ」
「今度は、今度は泣かないよ!」
「どうだかな」
最初は怒っているように見えたのに、今は呆れたように首を振る。
危なくて心配だから来るなって言ってるのかな。それとも俺とはもう会いたくないってことかな。けど前は、会えてよかったって言ってくれた。お世辞だったのかな。いやでも俺の知ってるエースはお世辞なんて言うキャラじゃない、はず。
「どうやったら元の世界に戻るんだよ…」
「俺もわかんないよ……」
「じゃあどうやってこっち来たんだよ」
「わ、分かんないよ……」
「……はあ」
でっかい溜息をついてエースは項垂れて、俺も同じように項垂れた。
迷惑をかけていることは分かるけど、エースに会いたいからこの状況は俺にとってすっごく嬉しいし、原因やきっかけは分からないけどちゃんと来れるし戻れるし、取りあえず問題はなさそうなんだけどな。
「モビーディックの上だったら歓迎するが、ここはな……」
「う、うん……」
インペルダウンの危険性は分かっているから、エースの心配とか危惧とか、そういうのは一応分かるのだけど。
そこで、はた、と気づいてエースにいつの間にかしていた正座のまま近づいた。
「そういえば、エースは今日来なかったね」
「ああ……そういえば」
「今日も来てくれるのかと思ってずっと待ってたのに」
「わ、悪ぃ」
エースが謝ったのを見て、「べ、別に責めてるわけじゃないんだ」と慌てて訂正する。
こうなるとタイミングというか、きっかけが分からないね、という感じの話だったのだが、どうも話の方向が。
「なんか、痴話喧嘩みたいだな」
「そ、そんなつもりじゃ……!」
エースがどうやらからかったようだった。普段は真面目な感じでいるのにたまにそういう事をされると妙に慌ててしまう。恨みがましい目で睨んでみると、エースは楽しそうに笑った。
「全然怖くねーな」
「う、うるせーやい!」
昔から怒っても誰も怖がってくれなかった俺にとってそれは禁句。禁句だ!ちくしょう。
正座から体育座りになって項垂れていると、エースも何故か噛み殺したみたいな笑いを漏らした。そりゃ海の荒くれ者、海賊さんにとっちゃケンカのひとつもしたことのない俺の人睨み何て兎がプンプンしてるようにしか見えないんだろうけど、なんだろうちょっと悔しい。
「なあ、航夜」
「う、……はい?」
まだ少しぷくーとしたままエースを見ると、エースは少し考えるそぶりを見せながら口を開いた。
「その、お前んトコとここを行き来するのって、眠るのと何か関係あんじゃねぇかな」
エースの言葉に、はたと気づいて居住まいを直した。
そういえば、最初にエースが来た時も、気絶するように寝たらここだった、と言っていた。
俺がインペルダウンに来たときは、そのどれもが寝た直後だった。ものすごく頭の中がすっきりして身を乗り出して「あ!!」と大きい声を出してしまい、それが思いのほか響いて慌てて口を塞ぐ。
「そ、そうだ!それだ!エースすごい!」
「一人の時に考えてたんだ。夢見てるだけかとも思ったが、そうじゃないならこれは、そうとしか思えねぇ」
俺とのことを真面目に考えてくれていたという事が嬉しくて、俺も考えてみたけど不思議な世界に生きてるエースの方がやっぱり経験値は上で、自分で仮説さえ考えられなかったのは悔しかったけど、エースの考えた可能性に俺は手放しで乗っかった。
そうだとしたら。もし、エースの言うとおりだとしたら。
「エース、俺と寝よ」
「な、」
「そしたら、また向こうで手当てもできるし、ご飯も食べれるし、少しは元気になってくれるかと、思ったんだけど……」
インペルダウンに戻ってきたら俺の世界でのあれこれがリセットされてしまうのだとしても、気持ちが変われば少しは違うはずだと、妙な確信があった。
おずおず提案すると、エースは驚いた顔からため息でも吐きそうな顔で首を横に振った。
俺は提案が拒絶されてしまったのかと思ってしゅーんとしていると、エースは仕方のないやつだなというような顔で笑った。
「そっちの意味かよびびらせんな」
「そっち?」
「あーいいなんでもねぇ。そうだな、今日は色々あって寝てねぇから……そうするか」
「うん!!」
優しい笑顔のエースに俺も嬉しくなってありえないくらいにっこにっこしてしまいながら、エースの隣に座って密着する。
「心配だから、航夜が先に寝ろよ」
「うん……」
もしかしたらエースは来てくれないんじゃないかという不安がそのまま顔に出てしまっていたようで、エースは小さく喉で笑った。
「おれもすぐ行く」
「わかったー」
その言葉を聞いて安心して、エースに寄りかかって寝ようとしたところでハッとした。
怪我酷いのに負担掛けるようなことしちゃダメだ。それに気付いてズリズリと少し距離を取って並んで座り、背後の壁に寄りかかった。体育座りの感じで膝を抱えるように座ったまま丸くなる。
「なんで離れるんだよ」
寝ようと目を閉じてすぐ、エースの声がして顔を上げる。
なんで、と言われるのが不思議できょとんとしてしまいながらエースを見つめたり体の怪我を見たりと視線が忙しない。
「だってきっと寝たらエースに寄りかかっちゃうし、そしたら怪我してるのに痛いだろ」
「そんなの気にしなくていいから離れんな」
「っ、っ」
真摯な表情で真っ直ぐ俺を見つめながらそんなことを言われてしまって俺はもう大変なことになってしまった。
足の先から頭のてっぺんまで何か熱い感じのものが突き抜けていくような感じで、うっすら涙の膜も張った感じで、視線を伏せておろおろする事しかできなかった。
きっと顔が真っ赤にでもなってたんだろう俺を見て、ぷっと噴き出して笑ったエースはものすごく男前でした。
「こっち来いよ」
「い、いいの?」
「早く」
「うん……」
四つん這いになる感じでまたエースに近づいて、さっきみたいに密着して、少しだけ寄りかかった。
どうしよう、さっきは全然思わなかったのに、今はすごくドキドキする。エースに近づいて、エースの温もりがして、エースの息遣いが聞こえる。ドキドキするのに安心して、驚くほどすぐに眠くなる。
「おやすみ、エース……」
「おやすみ、航夜」
胸に暖かいものがじんわり広がる。色で例えると赤とかピンクとかそんな感じだ。エースの温もりと、間近で聞こえたエースの優しい声にどうしようもなく安心して、驚くほどすんなり眠りについた。
おはようございます。
寝たままの姿でベッドで寝ていた俺は、そのままの姿で目が覚めて、ベッドからもそもそ起き上がってそわそわと自分の部屋を忙しなくうろうろしていた。
完全なる恋する乙女な数分前の自分に恥ずかしくなって、うろうろしていた足を止めて部屋の真ん中で蹲る。お、思い出しても恥ずかしいぎゃああ。
でも、離れんな、と言ったエースの、なんというか、もう、カッコ良すぎてやばい。イケボすぎてやばい。おかしいな、俺はエースが大好きだったけど、別に恋をしていたわけではなかったのに。
恋。
こい?
その言葉にまたしても足の先から頭のてっぺんまでまた熱が突き抜けた。
嘘。
嘘だよ、まさか。
でも。
答えの出ない事で頭の中が爆発しそうになる。エースの顔と声と言葉を全部同時に思い出すたびに、心臓が爆発しそうになる。どうしたらいいのか分からない。今まで家の手伝いが忙しくて恋なんて二の次で、してきたことなんてなかったんだ。
恋。
もし。もしこれが恋なのだとしたら、初恋、って。
ことになるのかな。
エースに?
漫画の、キャラクターに?
「ひゃあああああ!?!?」
急に耳がひたり、と冷やされて、驚いて部屋の隅まですっ飛んだ。
慌てて色々確認すると、ベッドから手を伸ばした状態で固まるエースがじっとこっちを見ていて。
そっか、触られた。触られたんだ、エースに、耳を!
「な、なにするんだよおお」
触られた耳を手で覆いながら、体が熱いままエースを見上げる。
エースはまだ固まったままで、俺の様子を見てぷっと噴き出して、伸ばしたままだった手を引っ込めた。
「悪い悪い、そんなに驚くと思わなかったんだ」
「ううう」
少し意地悪なのにそれでも優しい顔で、エースは俺をじっとみつめていたので俺はもうそれだけで驚きじゃないドキドキで心臓がまた早鐘を打つ。最初に言ったのに。
「そんなに見るなってば〜……」
「まだ真っ赤だな」
「どうやったら治るんだよー……もうエースがいるだけで俺は大変だ」
「治し方知ってる」
「……どうやるの?」
エースはにやりと笑って、ベッドに腰掛け俺に向かって両手を軽く広げて見せた。
な、なんだその、この胸に飛び込んで来い、な感じは。
でも、その腕に抱きしめられているところを想像してしまって、俺はまたボン!と効果音が付きそうなほど熱が突き抜けて、それを見たエースは今度こそ盛大に噴き出して声を立てて笑って、そこで俺はからかわれていたことに気付いた。
「酷い!エースは酷いやつだ!」
「わ、悪か、ぶふっ!」
「なんだよもー!」
怒りながら立ち上がって部屋を出ようとすると、エースは「おい、」と声を掛けて俺を引き留めた。
ぷんぷんしたまま振り向くと、エースは少しだけ笑いを引っ込めて口を開く。
「どこ行くんだよ」
「救急箱取りに行くんだ!あと体拭くやつ!最後にごはん!」
全部を一気に答えて部屋から出る。
全く。エースにからかわれて遊ばれてもそれでもエースが心配で大好きだなんて俺、終わってないだろうか。大丈夫だろうか。
このころにはさっきまで考えていた事なんてすっかり吹っ飛んで、エースの怪我の事とか腹具合とか、そんなことで頭がいっぱいになっていた。
若干まだプンプンしたままエースの体を拭いて、あまりよくないと分かってはいるけど傷口を洗えないので仕方なく消毒液で洗ってから塗り薬をそっと塗って、買い置きの包帯を巻く。
包帯で痛々しいものの、血とか埃とかのない綺麗な肌しか見えていないので幾分健康的に見える。やんちゃっこ的な。エースの顔色も良さそうに見えて安堵して、俺もぺたりと座り込んだ。
「できたー」
「ありがとう」
「っ、う、」
不意打ちの笑顔とありがとうに俺はもう自分でも「またか」と思うくらい足の先から頭のてっぺんまで熱が突き抜けたのが分かったので両手で顔を覆う。
エースが笑ってるのが分かったけどどうしても顔を上げられずにうーうー唸っていた。
「ご、ご飯用意するから待ってて」
「おう」
エースを部屋に残してご飯の準備をするためにキッチンに向かう。
あんまり待たせちゃ悪いからと、出来合いのものや昨日の残り物とかも織り交ぜつつ、ものすごく急いでご飯を用意して、ダイニングに呼んでエースと向かい合わせで一緒に食べる。
誰かと一緒に食べるなんて今まであっただろうかなんて感慨にふけりながら、確かに今だけは幸せだって、夫婦ってこんな感じかななんてバカみたいなことまで考えて、小さいのか大きいのか分からないけど、確かに俺は幸せという奇跡を噛み締めていた。
食後はのんびりと過ごして、エースからいろんな話を聞いて、それは主に弟とか白ひげの家族の話が多かった。今までの冒険の話も聞かせてくれて、楽しそうに笑ってるエースを見てるだけで幸せで、俺もワンピースの世界に迷い込んで一緒に冒険したような気持ちになる。
時間が刻々と過ぎていく。
それはつまり、寝る時間が近づいているということで。
急に黙り込んで俯いた俺を覗き込むエースは、俺が急にそんな状況に陥った事の察しがついたのか、無言でぽんぽんと頭を叩く。
ずっと一緒にいられたらいいのに。
何度も願って、何度も祈ったのにそれだけは叶えてくれない。
いや、エースと会えただけでも奇跡すぎる奇跡で感謝して満足しなきゃいけないんだけど。
どうしても、安全な場所で、これからも危険のない場所にいるエースと、できたら会いたいと思ってしまう。ずっと笑っていてほしいと思ってしまう。その時隣にいるのが俺じゃなくても。
色々な事を静かに祈っていると、エースはぽんぽん、と俺の頭を叩いた。
優しい力加減に俺の体の力も抜けて、ほう、とエースを見上げる。
「まだ時間はあるから、また会える」
「……、うん」
まだ。
そう言ったエースの事を考えると胸が痛んだ。一体どういう気持ちで「まだ」と言ったんだろう。
そして俺は後何度、こうやって優しいエースの胸に棘を刺し続けてしまうのだろう。本当に悔しいのは、悲しいのは俺じゃなくてエースなのに。
「この世界もできたら見て回りたいって思ってるんだけどな」
「それにゃあ時間が足りないかな」と笑ってみせるエースが、どうしようもなく好きだと思った。
どうしたらそこまで強くなれるんだ。他人の為に、自分が苦しい思いをすることを厭わないこの人は、一体どれだけの苦痛を味わってきたんだ。こんな、他人にまでどうしてそんなに。
「い、行こう!近所くらいしか回れないかもしれないけど、それでも!」
しどろもどろになりながら、それでもエースが希望を口にしてくれたことが嬉しくて俺は躍起になってその言葉に飛びついた。そうしたらもしかしたら、この世界でずっと生きていくことができるのかもしれなかった。叶わない願いでも希望をひとつも言わずに死を受け入れていることが悲しいから。もしかしたら、願っていれば叶うかもしれないから。何度もこっちに来るのは、もしかしたらこの世界に馴染むための準備期間なのかも知れなくて、それならずっと、もしかしたら眠ってもいつかはこの世界で目覚めてくれるのかもしれなかった。
楽観的だと思わないでもなかったが、絶望するよりは自分にとって随分ましで、現実逃避と思われても可能性があるのならずっと道化でいたいとも思っていた。
エースは笑いながら「それいいな」と返してくれた。
傍にいるのが俺じゃなくていいんだ。エースが俺の事なんて忘れてしまってもいいんだ。エースがあの世界に戻ってしまってもいいんだ。
ただ、生きていてくれさえすれば、俺はそれでいいんだ。
そこにあるのは子供じみた願いだけだった。それでも願えば叶うんじゃないかと、願う事を諦めきれずにいた。
「今は夏だから、夏と言えば海かな。でも海賊だから海はあれかな。山とか!綺麗な渓流もあるよ、今が春や秋だったら京都とかも良かったんだけど」
俺は無理にでも明るく取り繕った。
希望さえ捨てなければ何とかなるという思いももちろんあったけど。最後を。最後までの時間を考えたくなかったんだ。どうしても指折り数えてしまう。あと何度エースとこうして会えるのかとか。あと何度エースの笑顔を見られるだろうかとか。あと何度、エースは俺の名前を呼んでくれるだろうかとか、そういう事を考えだしてしまうともうダメで、それだけでその先の事まで考えてしまって悲しくなってしまうから。
エースは全て分かってる顔で笑いながら俺に合わせてくれた。
その笑顔に全てを許されながら俺も笑う。
そしてついにいよいよ寝る事も我慢できなくなってしまった頃。
「こうやって誰かと寝るなんて、あいつら以来だ」
「あいつら?」
エースと俺のベッドに横になりながら、エースは静かに話し出した。
狭いベッドで向かい合い、息遣いさえも聞こえる距離だった。いつもならまた真っ赤になって狼狽える場面だけど、今ばかりは夜の闇と静けさに流されて、赤くはなっているかもしれないがとても穏やかに見つめ合っていられた。染み渡るような空気だった。空気を吸うたび、体の中がまろやかになって、息を吐くたび、不安や恐怖が目減りする。エースは自分の腕を枕にしながら、手のやり場に困っているのか俺の髪を静かに撫でていた。
その仕草を目の端で追いながら、エースの夜空みたいな目を見つめる。
「ルフィと、……サボだ」
「サボ?」
「もう一人の兄弟だ。どっちが兄かは分かんねぇけど、俺達二人はルフィの兄で、俺とサボは親友だった」
「……」
エースは遠い昔話を語るように話していた。
初めて知る話だった。少なくとも取り上げられた59巻までにはそんな話はなかった。俺は何も言わずにエースの言葉の続きを待つ。過去形で語った親友は今はどうしているのだろう。
「一緒に海賊になろうって言ってたんだ。けど、海に出る前にあいつは天竜人に殺されて死んだ」
「……」
「悔しかったと思う。だからおれ達は、"くい"の無いように生きようって決めたんだ」
「そっか」
「でも」
「ん?」
エースは言葉を選ぶようにそこで一旦言葉を区切った。
どう話そうか迷ってるみたいに視線も左右させて、心を決めるみたいに目を閉じ、静かに目を開いて俺を見た。
俺は何も言わずに言葉を待つ。困ったように眉根を寄せて笑みを刻みながら、再び俺の髪を撫で始めた。
「"くい"はねぇけど、どれだけ頑張っても心残りってのは無くなんねぇのかもな」
「あ……」
そこで俺は、さっき言ってたこの世界を見て回りたいという言葉と、「お前の夢の果てを見られない事だ」と漫画で言っていた事を思い出していた。
そこでエースは、目を伏せながらため息ではない大き目の息を吐いて、俺の髪を撫でていた手をどけた。
頭が急に寒くなったような心地を味わいながら、離れていくエースの手を目で追う。横になってる自分の体にそのまま重ねて、頭の収まりを確かめるように腕の枕を何度か動かして、また困ったように笑った。
「なんか、眠れそうにねぇや」
子供みたいな言い様に俺も笑って、「じゃあ、」と俺は自分の腕を持ち上げた。
「エースが寝るまで、俺が頭を撫でてあげるよ」
「ええ?」
少し笑いながら聞き返したエースに俺も笑みを深めて、少しだけ無理な体制ではあったものの、静かに、ゆっくり、そのまま眠りにつけるように、さっきエースがしてくれたみたいに頭を撫で続けた。
エースは戸惑いながらもふにゃりと力の抜けた、穏やかな笑顔で笑って目を閉じた。
「そんなことしてもらうの、初めてだ」
「俺も初めてだよ」
「ふはは、そっか、じゃあ航夜のハジメテはおれがもらった」
「じゃあエースのハジメテも、俺がもらった」
お互い静かに空気を漏らすように笑って、そのまま目を閉じたエースを見つめる。
まだ寝てはいないのか、エースはまだここにいる。
寝たら向こうに戻ってしまうというのはとても辛かった。共に夜を明かすことができないというのは、とても寂しい。
けど俺は、何度となくエースの頭を撫で続けた。眠りにつくまで約束通り、ずっと。
眠って向こうに戻ってもいいから、お願いだからエースは生かしてください。俺の一生分の運とか、そういうのあげるから。お願いだよカミサマ。
願いと祈りをごっちゃにしながらエースを見つめる。
「……!?」
頭を撫でている、掌。
そこが、ぽう、と明るく光ってエースを照らしていた。
驚いてエースの頭に触れたまま凝視していると、「ん……」とむずがるように身じろいで、エースは静かな寝息を立てた。
そして、俺の前から姿を消した。
今のは、一体なんだろう。
俺の手のひらが光った、のは、見た。
今は何事も無かったかのように光は止んで、いつも通りの自分の手があるだけだった。
表裏何度見比べても何の変化もなく俺の手があるだけで、振ってみても抓ってみても何の変化もなかった。
そこまで考えて、もしかしたら変化があったのは俺の手のひらじゃなくてエースだったのかもしれないと思う。現代人にさっきみたいな不思議な力があるはずがないのだから、そう思っても不思議じゃない。
そうだ、きっとエースだったんだ。
そういえば俺は、エースが向こうの世界に変える時の様子を、今初めて見たんだった。
もしかしたら異世界の行き来は今みたいな光が現れるのかもしれない。
どこか腑に落ちないが、そういう事にしておこうと、俺はエースの温もりが消えないうちに眠りについた。
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2015/08/13 gauge.
≪ OP ≫
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