審神者の香りに本丸の皆が慣れ始めた頃、演練へ参加することになった。もちろん初期にやってきたメンバーの部隊だ。その道中、あまり気乗りしない様子の審神者は頬に手を当てて息を吐いた。

「あまり行きたくないのだけど、仕方ないのよね」

演練に参加すれば勝敗に関わらず賞与がつく。手入れはタダでやってもらえる上に刀装だって保障される。
参加しないのは上の評価に関わることや、そもそも審神者は闘いが好きではないから、そう言っているのだろうと部隊の面々は解釈した。

その理由はすぐに理解することになる。
会場に到着し、受付へと向かっていたときだ。審神者の後ろに控えて、周囲の審神者や刀剣を見回していた。そこにいた人間に声を掛けられ視認した瞬間、審神者の足が止まりかけたのを同田貫は見逃さない。

「あ、新人の子! こっちこっち!」
「……お久しぶりです」

長く会っていなかったのだから、まだ顕現した刀剣の数が少ないにしてももう新人という程度の審神者ではない。そんな僅かな反発が感じ取れた。
受付のカウンターでにこにこと笑う男は、審神者ではないようだ。公的な場で近侍をつけない審神者はいない。

「はいここ記入ね、相変わらず字も綺麗だねぇ」
「ありがとうございます」

淡々と答える審神者にも慣れているようだ。もしくはどんな相手にも同じように対応されているか。
ふと顔を上げた男が指の背で審神者の仮面の頬に触れた。

「あれ、香水つけてくれてないの?」

その手を叩き落とすため踏み出そうとしたが、陸奥守に肩を抑えられる。

「駄目じゃ、待て」
「……陸奥守、アンタ知ってたな」

陸奥守に小声で宥められて、同田貫は顔を歪めて振り返る。
審神者がここに来たくなかった理由も、香水を渡してきた男がいることも。

「建前がないと断れないち言いゆうきに」

顎で示されてまた審神者を見れば、僅かに視線が交わった気がした。
審神者はカウンターから身体を離して男の手から逃れる。

「恋人から新しく貰ってしまったので。彼に悪くてつけられないんです」
「彼氏いないって言ってたじゃーん」
「それがあの後すぐ……ふふふ」

全くの嘘を述べた審神者はまるで照れているように仮面に手を当てる。男に触れられたのとは逆の頬だ。
男はなおも食い下がろうと身を乗り出したが、受付の書類に記入を済ませた審神者はサッと離れる。

「それでは、さようなら」
「主さま、あちらを見に行ってみたいです」
「はい、行きましょうか」

間髪入れずに秋田や今剣が間に入り、遠くへと誘導した。一連のやり取りを見ていた部隊の他の面々も、思うところがあったらしい。



演練の相手本丸が決まるまで控え室を使ってもいいらしく、そこに腰を落ち着けた。

「いた、ちょっと、せめて仮面取って」

同田貫が審神者の仮面を袖でゴシゴシと擦る。もちろん男が触れた頬のあたりだ。
審神者はずれてしまった仮面を頭の上にはずす。最近は初期メンバーの前では素顔を晒すことに抵抗を見せなくなっていた。

「秋田も今剣も、ありがとうね。助かったよ」
「はい! とうぜんのことをしたまでです」

二人を撫でてから、審神者は長椅子にぐったりと項垂れる。

「こら、みっともないぜよ」
「だあってあの男しつこいんだもん〜。今日はあんまりなかったけどベタベタ触ってくるし……同田貫の香水が無かったらもっとキてたかも」

あ、と審神者が起き上がり同田貫に向き直る。

「あんな嘘ついてごめんね。せっかくくれた香水、利用するようなことして」
「それは構わねえが、……アンタ、俺らにちゃんと言えよ」

建前がないと断れない相手というのは、下手に刺激するとこちらが不利になるということだ。政府のお役人というだけでこちらは下手には出れず、逆らえない。それならばせめて対抗策くらいは練るべきだったろう。

「俺は今日はもう出ねえからな」

六振りが皆出払えば、演練の観覧席で審神者は一人になってしまう。それくらい、審神者はわかっていたはずだ。

「恋人から貰ったことにしたんだろ。俺じゃ不満だろうが、役割くらいはこなしてやるよ」
「……ありがとう」

部屋の外からの足音に、咄嗟に審神者の仮面を被せる。
ノックのあと扉を開けたのは、先程の男ではない役人だった。役人は手元の書類を確認しながら言った。

「******番本丸の審神者さまですね、演練相手が決まりました。刀剣男士の準備と移動をお願いします」
「はい、わかりました。――それでは皆さん」
「ほら」

同田貫に手を差し出されて、審神者は首をかしげる。

「……行くんだろ」
「ええ、行きましょうか」

今度こそは、彼らの教育の賜物だと言っていいだろうか。思わず口許がゆるむが仮面に隠れている。
同田貫の手をとる。皮が厚くガサガサした男の手だった。この手で武器を振るっているのだ。
細い審神者の手は、握りつぶされることなく引かれた。




観覧席は演練場の周りを囲むように設置されている。スポーツの競技場をいくらか小さくしたような形だ。
同田貫は移動中も役人の男と遭遇しないように気を張っていた。奇襲を警戒し逃げ道を確保しやすいよう、周りの見えやすい人の少ない辺りに座った。

「演練を見に来たのだけど」
「アイツが何してくるかわからねえだろ」

闘う部隊の様子が見えにくい。人がいないわけだ、と納得する。
ほら、と飲み物を渡される。季節の変わり目で冷えてきたからだろう、温かいお茶だった。ありがたく受け取り一口飲む。
演練を行っているのは審神者たちの一つ前の部隊だった。それもそろそろ終盤だ。

「今回はもう大丈夫よ。あの香水、妙な成分が混じってたのがわかったから、今日の帰りにはもういないんじゃないかしら」

もて余した香水を友人に譲ったところ、男が怪しいと感じていた友人が成分分析したのだという。

「……刀剣男士の毒になる成分も入ってたって」

私の大事な刀(ひと)たちを害なそうとしていたのは許せそうにないよ。
仮面の下で苦々しく呟く。

「あぁ、もう出番ですね。この話はもうおしまい」

演練場に目をやれば部隊が入場してきたところだった。審神者は見るため身を乗り出そうとした。しかし同田貫が後ろから腕を回し、頭を引き寄せて肩に乗せられた。肩枕というやつだろうか。

「気ィ張って疲れてんだろ。仮面でバレねぇんだから少しくらい休んでろ」
「……仮面を居眠りに使うのは初めて」

肩の武具が頬に当たって少し痛いけれど、ありがたく休ませてもらうことにした。
同田貫の隣。ここならば、多少気を抜いたって大丈夫だろう。
 

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