アネモネを咲かせて ○


なまえの様子がおかしいと連絡を受け、承太郎はすぐに病院へ駆け付けた。
ベッドの端で小さく震えていたなまえは立ち竦む承太郎を認めて口を開く。

「誰、ですか。あなたは……私は……」

訳がわからない、となまえは酷く怯えていた。
突然現れた男どころか、自身の名前すら思い出せない。

「お前の名前はなまえだ。……俺は、空条承太郎」

傍に歩み寄り、頬に手を触れるとびくりとなまえの肩が揺れる。後ろに逃げようとした体を承太郎は腕のなかに閉じ込めた。

「大丈夫だ」

何が、どうして、とは口にしなかったが、それでもなまえは今にも泣き出しそうな顔で、安心したように。その腕の中から逃れようとはしなかった。


「……中庭の、花を見に行かないか」

綺麗な花が好きだったろう。
そう呟けばこくりと頷いたなまえの、手をとって歩き出す。
前回と比べて咲いた花が少しだけ増えたようだ。
ふとなまえの視線が一点にとまる。その先を見やれば、紫と赤の花がそれぞれ咲いていた。

「この花が気になるのか?」

視線を上げれば承太郎の優しげな表情が見える。

「以前ここに来たときも、この花を見ていた」
「……わかりません」

ただ、この花を見ていると少し寂しくなる。不思議な気分だ。

「空条さん、私のことを教えて下さい」

きっとあなたは知っているのでしょう。なまえは承太郎と目を合わせた。

「私の何もかもを知っている……
空条さん、あなたは……私の何だったんですか?」

なまえの言葉に目を伏せる。

「俺は……」

前回は友人だと言った。しかし本当にそれでいいのか。
なまえの頬を指先でなぞった。

「お前を愛している」

なまえは微かに目を見開く。

「なに、を……」
「お前と日々を過ごせるならそれでよかった。お前が同じことを思っていたのも知っていた。だがな、俺はもうそんなことをしていられねぇんだ」

離れていくなまえを縛りつけて閉じ込めてしまいたい。しかしそれは感情は違えどやっていることはあの犯人と同じだ。それならせめて、なまえが傍から離れずにすむ立場と理由が欲しい。
なまえの肩に顔をうずめて、この感情がより伝わるようにと抱きしめる。

「……でも」

どくりどくりとなまえの心臓の音が響く。緊張や恥じらい、喜びの類いではない。嫌な予感ばかりが胸の内を引っ掻く。

「あなたには……他の人がいるんでしょう」

がつりと背中を鈍器で殴られたかのようだった。同じ言葉を、記憶をなくしたなまえから言われていた。

「……俺に恋人はいない」
「嘘です」
「本当だ」
「嘘……です」

押し問答が続くかと思われたその時、なまえが頭を押さえて崩れるようにうずくまった。

「どうした、痛むのか」

以前、思い出そうとすると頭痛がしてしまうと言っていた。今も、なまえの忘れてしまったことに関係のある話だった。なまえが無意識に思いだそうとしていたのなら、また頭痛がするのだろう。
承太郎はなまえの肩を抱く。顔を上げさせるが、その目は承太郎を見ていない。

「おい、なまえ!」

──警鐘が止まない。頭が割れそうなほどの痛みが目の前を揺らしていく。
だれか、だれか。

「たす、け……て」

救いを求めた先には誰もいない。
ただひとりの後ろ姿は見えるはずもない。ひたすらに伸ばした手は空を切った。

「承太郎」

微かな声を絞り出し、なまえは息絶えるように気を失った。

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