不死川実弥
2024/03/27 00:01

曇りの日の夕方、街の隅で蹲っている女性を見つけた。弟たちの元を離れ、青白い顔色で口元を押さえるその人の荷物を持ってやり、家まで送る。その人は町はずれのやけに大きな屋敷に独りで暮らしているという。自分の母より若い娘が住むには随分不釣り合いに見えた。

駄賃を渡され、その金額の大きさに辞そうとしたが握らされた。また手伝いに来てくれたら良いから、と。
度々その屋敷を訪れては、空いた部屋の埃を払ったり床を磨いたりして駄賃を貰うようになった。直接的に家計を助けられるのはなんだか誇らしかった。

けれど、一番下の弟を背負って訪ねた時は眉を顰められ、屋敷には入れてくれなかった。その時は外の落ち葉を掃いた。曰く、子供は嫌いなのだと言う。
その人が屋敷の外に出ることは少ないようだった。稀に入り用になれば買い出しを頼まれ、買って戻った飴玉はそのまま、家族とお食べ、と包まれた。

そういえばこの人が日々の食材を買う姿は見たことが無い。大きな頭巾は屋敷の中でしか外さないようだ。
渡された駄賃や菓子の数々に、母が礼に伺った時は向こうの方が申し訳無さそうだった。長男の優しさに甘えて雑用をさせているのはこちらだからせめてもの償いだと。
一家の労働力を奪っている対価だと。




ある日、その人の屋敷に忘れ物をしてしまった。駄賃の一部をこっそり貯めた巾着袋。いつか立派な簪を今までの御礼に渡すつもりで。
気付いた頃にはとっくに日が暮れていた。真っ暗でも屋敷までの道を間違うことなど無い。

辿り着いた屋敷は寝室以外の灯りは点っていないようだった。暗くなってからここへ来たのは初めてだ。なんだか気味が悪い、と過ぎった考えを首を振って振り払い、一声かけてから探そうと庭を回って灯りのある部屋を目指した。明日にしておけば良かったものを。

戸を叩こうとした手が止まった。聞いた事のない声が響いていたからだ。いや、知っている人の声だ。その声色が、普段聞けるはずもないようなものだったという話で。
息を飲んだ。僅かに開いていた障子の隙間から、部屋の中が見えた。

いつもは布に覆われている青白い肌が淡く色づいて晒されている。くぐもった吐息が鼓膜を揺らす。灯りが浮き彫りにする影は二人分ある。
その行為が何を意味するかは知っていた。あの親父が母を組み敷いているのを見たことがあるからだ。

けれど、目の前の光景に苦痛は感じられず、同じものとは思えなかった。

あ、あ、と響く嬌声に、心臓がばくばくと音を立てる。目を逸らせないのに、見ていたくない。男の背中に僅かに爪が立てられた時、とうとうその場から逃げ出した。してはいけないことをしてしまった気分だった。

事実、見てはいけないものを見た。屋敷の掃除をする時もあの部屋には入らないようにと言い含められていたことに後から気付いた。



昨日、来ていたの?
何も無かったと忘れることにして、次の日いつものように訪ねれば開口一番にそう問われた。ごめんなさい、と消え入りそうな声で呟く。

昨日見たことは、誰にも言っちゃいけないよ。
誰にも言えるわけがない。彼女の言葉に頷くと、そっと微笑んで頭を撫でられた。駄賃を貰う時以外の接触は初めてだった。

実弥くんがちゃんと大きくなったら、その時に食べてあげるからねぇ。
旅人の男が行方知れずになったことを気付く者はいなかった。




その後、家族を失ってからはその町に帰ることはしなかったから、その人がどうしているかは分からなくなった。
ただ、気付かないふりをしていたことに、いくつか思い至った。
闇雲に鬼を狩るようになってから、陽の光が鬼を確実に殺す方法だと知った。そして、自身の特異な体質のことも。

子供嫌いのあの人が、特別目にかけて自分を傍に置いておこうとした理由。日中に外に出たがらず、他人に買い物を任せていた理由。

二度と会いたくなかった。
会ってしまえばこの手でその真っ白な首を落とすことになってしまうから。

もう、何処か遠くに移り住んでいればいい。とっくに、せめて誰かにその首を取られていればいい。
懐に忍ばせた簪と矛盾した気持ちを抱えたまま、果たして相対したのは、柱と成った自身と同じ歳の頃ほどの、あの頃と変わらない姿のあの人だった。


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