れーくん
2023/04/14 23:56

ねえさんが逃げ出した後、察庁で赤井と会う
「やあ、降谷くん。彼女は元気か? 志保が気にしていてな……」
ねえさんと志保さんは友人関係にあった。事件があって監禁してからは一切の連絡を絶っていたから、赤井へ探りを入れているのだろう。
「……そんなことを言うってことは、匿っているのはあなたじゃないんですね」
「……? 何を言っている? 彼女は君が隠しているんだろう?」
「ええ、先日まではね。逃げられてしまいましたよ。他の男のところにでもいるんじゃないですか」
「は……」
声も出ないみたいで絶句している。
「彼女が何をされたのか知っているはずだろう? 被害者の、妻のケアすら出来ないような男だったのか?」
「奴を求めたのは彼女自身だ! 他でもないあの人が、そう言ったんだ……」
「……これを、君に」
渡されたのは一枚のディスクだった
「君は彼女の言葉を信じているんだな」


「残党の一人が持っていた。脅迫の材料か、スナッフビデオにでもするつもりだったんだろう。あの日の映像が入っている」
あの日の、と言われて、肌を晒して倒れ伏していた光景が浮かんで、また全身の血が抜け落ちたような感覚になる。
「っまさか、貴様、見たのか!?」
「落ち着け! 中身が何かわかった時点で女性が担当した。内容は報告を受けただけだ」

「何があったか分かっていないのなら、君はこれを見た方がいい」どれだけ傷付くことになったとしても。
「……いったい、何が、」
「……ひどい、命乞いだったと」





『いやっ、さわらないで! 』
『大人しくしろ!』
男に囲まれた彼女は全身を使って暴れていた。
腕を掴まれる前に振りほどき、 めちゃくちゃに振り回して蹴りを入れる。髪を乱してなりふり構わず抵抗する姿は、その全てで拒絶を示していた。数度殴られてもやめようとはしなかった。
彼女の腕がカメラに当たり、ガシャン!と音をたてて三脚ごと倒れた。
『ああクソ、壊れたらどうすんだ』
撮影者がカメラを起こし、先程よりも離れた位置に置く。全員の動きがよく見えるようになった。
カメラが無事なことを確認してから、撮影者の男も彼女のところへ向かった。
『いってえ!』
彼女の胸ぐらを掴みあげたがすぐさま彼女が噛みついた。噛んで離そうとしない彼女の横面を男が殴り飛ばす。
その勢いで床に叩きつけられた彼女の背中を男が踏み付ける。
『大人しくしろって、言ってんだ!』
『っあ”』
鈍い音がして彼女の右前腕の骨が折られた。続けざまに数度腹を蹴られ、そこでとうとう抵抗をやめた。
『ちょっと遊んでやろうと思ったのに、とんだじゃじゃ馬だ』
『つまんねぇからさっさと殺しちまうか?』
『それもそうだな』
『これを見る奴の顔が楽しみだ』
倒れ伏して動かない彼女の口元が、僅かに動いた。
『――――』
光を失い、淀んだ瞳。涙の筋が頬を滑る。
声は聞こえなかった。それでも、何を言ったのか分かってしまった。
「――っ!!」
褒める時も、叱る時も、いつだってそうして呼んでもらった。
れーくん
そうだ、彼女はいつだって、
『ころさないで……』
自分のことよりも、僕のことばかりだった。
『おとなしくします、楽しませてあげます、何でもします。だから、だからころさないでください』
あれほど嫌がっていた行為を受け入れる決意をしたのは、僕の元へ生きて帰るためだ。






彼以外に触れられるなど決して受け入れられることではなかった。この身を汚されるなど冗談ではない。いくら暴力を振るわれようと、そんなことは瑣末なことだ。だって汚されるくらいなら死んだ方がマシだった。けれど。
『つまんねぇからさっさと殺しちまうか?』
『それもそうだな』
『これを見る奴の顔が楽しみだ』
──ああ、死ぬのか。
きっと彼は助けに来てくれる。わかっている。どれだけ遅れたとしても、何があったとしても、きっと彼は来てくれるのだろう。
ねえ、でも、それは、いつ?
その時に、私は生きているのだろうか。

バーボンを苦しませることが目的の男たち。性具にすらならない女を前に、回っている録画。心を壊すなら殺してしまうのが手っ取り早い。
彼が来た時に、動かなくなった亡き骸を見せることになるのか。
また、彼を、泣かせて。苦しませて。ひとりに、するのか。

『おとなしくします、楽しませてあげます、何でもします。だから、だからころさないでください』
彼が来るまで、少しでも時間を稼がないといけない。貞節を棄ててでも、生きて。
ああ、でも、こんな姿は、見られたくないな。







見れば全てを理解した。
彼女は娼婦のように啼いていた。僕との行為では上げないような声だ。だって彼女はいつも演技をしている余裕なんかないほど乱れているから。他の男に触れられている間、彼女はずっと冷えた頭で男が悦びそうな声を繕っているのだろう。勘違いした男たちはこぞって彼女に群がった。よく出来た性玩具を殺す考えなどもうなかったろう。
痛みを感じた時の僅かな震え、表情の変化も。見れば全てを理解した。見なければ何も解ろうとしなかった。赤井ですら、見なくても彼女の真意に気付いていたと言うのに。
彼女に会いに行かないといけない。
連れ戻してまた閉じ込めることが正解とは思えない。けれど、彼女にこんなことをさせた僕が、探し出して謝らないといけない。
彼女の生を望んだのが僕の罪なのだから。




彼女が逃げてすぐに血眼で探し回った時には痕跡すら見つけられなかった。彼女の身体能力は高くはないから誰かの手を借りているはずだ。
冷静になった今、考える。彼女が僕から逃げて身を寄せるとしたら。彼女を掬いあげた恩人である上司、秘密を共有し心通わせた親友、利用し合い腹の中を探り合う友人、現在の実親、どこを探してもいなかった。そのどれでもない。

接触している可能性は一番低かった。なぜなら彼女が転生してから今に至るまで、一度として連絡を取り合おうとはしていなかったから。そんな素振りを見せたことはなかったから。
彼女は周囲を信用はすれど、信頼は滅多にしなかった。信じて頼る対象は、その基準はひとつだけ。僕の父親で、彼女の前世の実兄。血縁者であるあの人なら。
彼女が細く求めた助けを確実に受け取る。




十数年ぶりに訪れた実家は、しばらく前に改装していたらしい。足を悪くした父が生活するためだ。面影を残しながらも記憶とは違う佇まいに、深呼吸をしてから呼び鈴を押した。
「……何をしに来た」
程なくして迎えた声は硬い。車椅子で視線が低い位置にあるにも関わらず、押し潰されそうな程の緊張感に襲われた。
「あの人を、探しに来ました」
「探して、どうする? ──妻を今度こそ自分の手で殺すために探すのか」
「っ違う!」
叫ぶように否定して、一瞬で理解した。この人は全て知っているのだ。彼女がもう一度生まれて還ってきたことも、僕と結婚していることも、彼女が逃げ出したことも。あの部屋からの逃亡に手を貸したのもこの人かもしれない。僕の知らないところで繋がっている絆に歯噛みをした。
そして、確実に彼女はここに居るのだと示された。
焦る気持ちを押さえ付けて、息をゆっくり吐き出した。
「ちゃんと謝らないといけないんです。酷い誤解をして傷付けてしまったから」
「……甘やかしすぎたな」
父の顔が見れない。僕はうつむいたまま、聞こえた声に肩が震わせた。
「反省して謝ったら許すのがあの子の教育方針だったか」

厳しい人だった。褒められたことなど数える程しかなかった。この人に認められるために努力していた頃もあった。努力の方向性を変えたのは、父が決して冷たい人ではないと気付いたからだ。
僕は物心ついた時から平均以上のことは出来て、その先はねえさんが整えた環境によって着実に才を伸ばしていった。誉めそやす声ばかり聞いていた。父のように厳しくしてくれる人がいなければ、天狗になって失敗していたかもしれない。もちろん、ねえさんだって道を外す前に引き留めてくれたけれど。
自分を顧みず歩き続ける人の足を、止めさせてくれる存在なのだ。
厳しさは、僕を心配するが故だった。ちゃんと大切にされていた。僕のためだった。全部。……そんなところが、彼女とそっくりなんだ。
「許されないことを覚悟しなさい」
スっと指し示された方角には海がある。
「日中はずっと港にいる。……兄妹喧嘩をした時は、いつもそこに居た。お前が産まれてからはそんなこともなくなったが」
僕の知らないねえさんの話をするこの人が羨ましかった。過去を懐かしむよりも今の彼女を思って眉を寄せる父。
この人の威圧的な態度は、たった一人の妹を守るためなんだ。




もうすぐ日が暮れる。
彼女は防波堤の上に座っていた。ぼうっと海を眺めているようだ。
「……見つかっちゃった」
あーあ、と諦めたように息をついていた。先程の父と同じように、僕が彼女を手に掛けるために探していたと思っているのかもしれない。
「……もう暗くなるよ。帰ろう」
「帰るって、どこに?」
彼女を引き留めようとした腕は躊躇って下げた。
やっと見つけたこの人を抱きしめることが出来ない。僕にはそんなことをする資格はない。そして、そんなことをしたところで傷付くのは彼女だ。
「あの部屋に戻るの? いやだよ、わたし」
この人が僕を拒絶する言葉を使ったのは二度目だった。けれど、あの時は二人のため。今は、彼女が自分自身を守るためだった。
「わかってよ。わたし、あなたの顔をみることすら辛いの」
彼女の心の傷は、これまで僕のことを愛していた分深いものだ。それだけ愛されていた。それほどに傷付けた。
「他の誰でもない、あなたが、私のことを否定するなら」
緩慢な動作で彼女は立ち上がる。
「なんで私はあんなことをされなくちゃいけなかったの」
彼女は悲愴に歪んだ表情を見られまいとするかのように、両手で顔を覆った。
「わ、たしだって、あんなことされるくらいなら、死んだ方がマシだった」
そっと顔を上げた時、彼女は無理に作ったと分かる引き攣った笑顔で言葉を繋いだ。まるで子供に教えるように。
「れーくんもきっと知ってるよね。テトラポットって、隙間に落ちたら登れなくなって、溺れて死んじゃうんだって」

波の音が聞こえなくなった。
大きく手を広げた彼女の身体が、防波堤の向こう側へと傾いでいく。

「ねえさんっ!!」

叫んだ声はみっともなく裏返っていた。かまうものか。この人を目の前で失うくらいならば。
伸ばした手で彼女の服を掴んで引き寄せる。その身体を抱き込んで、防波堤の下へ──こちら側のコンクリートの地面へ背中から落ちた。
受身を取ることも出来ずに叩き付けられる。
この高さから落ちたのだから、頭が割れていてもおかしくなかった。
「れーくん、人の頭は、2メートルの高さから落ちただけでも死んじゃうの」
僕の後頭部には彼女の両手が回されていた。
あぁ、彼女の手に傷がついてしまった。酷い痣が出来てしまうだろう。骨は折れていないだろうか。
「れーくんが死んじゃったらどうす、ぅ、っ、うぅっ」
僕の顔を見ることすら辛いと言った今でさえ、彼女は咄嗟に僕のことを守る。
「やだ、れーくん、れーくんは死んじゃだめなんだよ」
ああ、まだ愛してくれている、と歪んだ安堵が滲んだ。


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