37.天へ届いた刃


とある兵士が居た。

彼は呂布と同郷の、貧しい農村に生まれた。
病気がちの父と働き者の母、そして沢山のきょうだい達と暮らしていた彼は、貧しい生活の中でも体格に恵まれ、やがてその力を活かすべく徴兵に応じ、呂布配下の兵士となった。

学のない彼は腕を磨くことだけが生きる道だと、我武者羅に戦った。
そして運良く彼は生き残っていた。
ある時、呂布が養父である董卓を斬り、都を追われることとなった。
兵士もなし崩しに呂布について長安を脱出した。
長安を襲った李カクと郭シは呂布と同郷の配下を皆殺しにしたというし、混乱の中にあっては選択肢は無かったのだ。

本拠を持たない落ち目の呂布軍からは多数の脱走兵が出た。
実際、彼も軍を抜けて故郷に帰ろうかと考えたりもした。
だが、故郷に帰っても待っているのは疲れきった両親と、腹を空かせたきょうだいたちとの貧乏生活。
ならば、軍に残って少しでも食い扶持を稼いだ方が、家族のためにもなる。
彼はそんな一心で武器を振るい続けたのだった。


あれから、どれくらいの時が経っただろう。

はじめは、先の見えない放浪生活だった。
北の名族に養われたかと思えば、曹操軍から寝返ってきた軍師の提案により、濮陽を急襲したこともあった。
怒った曹操が定陶に攻め寄せた時は、一時の安寧もここまでかと覚悟した。
だが呂布は負けなかった。
軍師陳宮、そして千軍万馬の猛者たちの活躍により無事曹操を撃退することが出来た。

そこからは、末端の兵士でも感じ取れるほど軍中の雰囲気が替わったように思う。
劉備を助け、呂布が心を寄せた美女・貂蝉が陣営に加わった。
南の袁術、孫策の軍勢も蹴散らした。呂布軍の士気は鰻登りだった。
危機感を覚えた北の名族の強襲も跳ね除けた。天下が見えたと確信した。

そして。

「天下よ!! この俺が、最強の呂奉先だ!!!」

呂布の突き上げた刃はとうとう、天へと届いたのだ。

こうして乱世は終焉を迎え、呂布は帝となり、新しい時代が幕を開けることとなった。


とある兵士は、そんな長い旅路を振り返りながら、ゆっくりと空を見上げていた。

そうしてしばし思い出に浸ると、突然はっとしたように佇まいを正した。
彼はその日、城壁の上を巡回しながら偵察に勤しんでいたからだ。

乱世が終わったとはいえ、城の防衛を疎かにするわけにはいかない。
怪しい動きがないか、油断せずに目を光らせる必要があるのだ。

とはいえ、地方での小競り合いならともかく、最強の鬼神――もとい、最強の帝がいる都に殴り込んでくる命知らずな輩などそうはいまい。

そんなわけで、重要な仕事とはいえどこか弛緩したものを感じていた彼は、かつて従軍した時に戦場で見た勇猛果敢な将軍たちの姿を、再び脳裏に浮かべながら歩を進めていくのであった。

鬼神と呼ばれた人中最強の武。
はじめは故郷に仕送りをするためだけに軍に加わった。
だがいつしかその背中に、それがもたらす武に惹かれていた。
彼の元には、様々な将がいた。

あの反董卓包囲網の前線を生き延び、定陶で呂布への借りを返した猛将。
主である鬼神に負けず峻烈な武を発揮し、双鉞を手足のように振るう真の武人。
陥陣営の異名を持つ精鋭部隊を率いる、忠義に厚い清廉な武将。
女だてらに腕一本で戦場を駆け抜けた万夫不当の女傑。
そういえば彼女には人間ではない血が混じっていると聞いたことがある。
しかしその強さは本物だ。

彼ら将の武勇は、その背を追う兵士たちに多大なる勇気と闘志を与えた。

呂布と、それが率いる軍についてきて本当に良かったと。

――とある兵士は、そんなことを考え、一人朴訥な笑みを浮かべたのだった。


そんな時。
巡回を続けていた彼の目が、ふとこちらへ歩いてくる人影を捉える。
だが危機感よりも先に、彼は自分の目を疑う羽目になった。

その人影は、ひと組の男女だった。
立派な体躯をした男が女を大事そうに抱きかかえ、女は嬉しそうに男の首筋に腕を絡めてしがみついている。

兵士はその男女を知っていた。
男の方は、かつて戦場で何度もその背を追った、泣く子も黙る一騎当千、張文遠。
女の方は、同じく万夫不当で知られる女武将、龍英瑠だったのだ。

兵士は息を呑んだ。

そして、目上の彼らに対して無視をするわけにもいかず、戸惑いながら拱手をすると、彼らはそれに気付いて兵士の方に近づいて来た。

自分は見てはいけないものを見てしまったのだろうか。
兵士がそんなことを考えた時だった。

「巡回御苦労! 彼女は今日から私の妻だ!」
「っ、文遠様!」

すれ違いざま、張遼はたしかに大声でそう言った。
兵士の方を見て、戦場とは似ても似つかない笑顔を浮かべながら。

それを慌てて咎めた英瑠は、彼の腕に抱えられながら照れたように頬を赤らめていた。
その顔はただ、幸せそうだった。

ぽかんと口を開いたまま硬直した兵士は、直後に我に返って、去っていく彼らの背中に言葉を返す。

たった一言だけ。

「お幸せに!」

祝福の言葉に応えた英瑠が手を振って兵士に応え、両手が塞がった張遼は笑顔のまま少しだけ彼を振り返った。

そんな二人の背中を、兵士はいつまでも見つめ続けていた。

彼らの往く道に幸多からんことを。
帝がもぎ取ったこの繁栄が、とこしえに続くように。

そんな祈りを込めて。

いつまでも、いつまでも――――




「文遠様、やっぱり人に見られるとちょっと恥ずかしいです、もう下ろしていただいても……」

「英瑠殿は手を離すとすぐ逃げてしまう鳥のようなお人だからな。
もう暫くこの止まり木に止まっていてもらいたい」

「まぁ……! 私の翼と目はもう片方ずつしかありませんよ。
もう片方は文遠様が持っているのですから」

「さようか。ではこれより先は、共に寄り添って果てなき空を飛んで行こうぞ」




――緩やかな風が吹き渡り、人々の頬を撫でていく。

彼らは、市井で、軍中で、政庁で、宮城で。
あるいは家庭で、木陰で、河のほとりで、世界の果てで。

様々な暮らしを営み、様々に語り合い、手を取り合いながら各々の人生を生きていく。


歴史は絶え間なく紡がれ、時は河のように流れ流れていく。

それは、永遠のように――――

いつまでも、いつまでも――――――








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