鎌鼬
遠野。
柳田國男が多くの河童伝説や座敷童子などの妖怪譚を集めた「遠野物語」···。その書によって大正以降よくその名を知られるようになった。
山にかこまれた隔絶の小天地は「妖怪の聖地」と呼ばれ······実際、妖世界においても最も重要な土地として一目置かれた存在である。
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ドカンッ地響きと共にそこから大量の土煙が噴き上がる。その中から飛び出して来たのは、金色の髪を靡かせた私。顔を覆っていた腕を退かし、翡翠の瞳を開くと、私は後ろから迫ってくる遠野の妖怪を首だけで振り返った。
「神夜、ちょっと腕が落ちたんじゃねぇのか?やっぱりあっちだと稽古相手がいねぇのかよ」
『そんなんじゃないけど···』
木から飛び下りて稽古用の大きな切り株が四つに区切られた一つの場所に飛び下りる。私達の横で淡島と雨造が闘っているが、そんなの気にしないで派手に私と対戦相手はその場所に着地した。
「さっさと本気見せろよ」
『やあよ、疲れるもん』
「相変わらずね神夜」私を見ていた冷麗の声が聞こえた。私はその言葉にニヤリと笑みを浮かべて、体を相手へと向けた。しょうがねぇなぁ。
「やっと本気出すか?」
『本気出さないと、そっちも本気で来ないでしょ』
「まあな」
相手と睨み合ったその時、私達の隣で闘う淡島と雨造の方から、ドッと強い妖気を感じた。“畏”だ。
妖怪というものは人をおどかすために存在し始めたものだ。
恐がらせたり、威圧したり···尊敬の念を抱かせたり。それを総称して妖怪の力を“畏”と呼ぶ。
畏の発動とは、簡単に言うとびびらしたり気圧したり妖怪としての存在感を一段階上に上げるものだ。
大気の流れを自分のものにする。怪談とかでよくあるものだ。ひんやりとまわりの空気が変わる···そこでやっと妖怪は能力を発揮できるわけだ。
でもこれはあくまで対人間用の話。
時は過ぎて妖は増え······いつしかなわばり争いをするようになった。
そのときに必要になったのが対妖用の戦い方。それがおじいちゃんが言っていた“次の段階”だ。
「余所見してる暇あんのか!?」
『一発でケリつけたらぁ!!』
お互いの畏れをぶつけ合う。その結果、私の畏れの方が上回り相手は隣の稽古場所に吹っ飛んだ。周りにいた妖怪達から「さすがぁ!」と声をかけられながら冷麗たちが集まる場所に向かう。
「マジで!?」
「奴良組の若頭が───?」
「ありえないわ、妖怪なら」
「おぼっちゃんなんだろ」
近づくにつれて口々に言う皆の声が聞こえてくる。そして淡島たちの間から見えたのは見知った顔の二人組で。
リクオと······あれはイタクだ!!
『ちょっとあんまり言わないであげてくれる?』
私のその声に淡島たちがバッと振り返った。腰に片手を当てながら首を傾げてそう言う私に冷麗は「あら、稽古は?」と問いかけて来たので『私の勝ち』と不敵な笑みを浮かべて言うと、淡島が私の首に腕を回して「さすがだなぁ、神夜!」と耳元で叫んできた。
「やっぱりあそこでやってたの、神夜か」
『やっほ、リクオ。にしても本当にリクオの指導係にされたんだね、イタク』
「言うなよ!」
照れたように顔を赤くしてそう言うイタクに、べーと舌を出す。会いに来てくれなかった仕返しだ。
私とイタクの遣り取りを笑って見ていた冷麗が紫と共に私の隣に並ぶ。それを横目に目の前のリクオを見つめた。彼は腰に手を当ててきっぱりと言う。
「······“畏の発動”くらいならできるぜ」
その言葉にその場の遠野妖怪が反応する。
「へぇ、お前が?やってみろよ」
挑発するようにイタクが言った。
「神夜」
『はいはい。こっちにおいで、リクオ』
イタクに名前を呼ばれたので意図がわかった私はリクオを手招きした。不思議そうに此方に来るリクオに安心させるように笑みを浮かべてパチンッと指を鳴らした。
その瞬間、大量の桜がリクオの体を包み込んだ。
「おい、神夜···っ」
『大丈夫よ、着替えるだけ』
さすがにその白い格好のままだと、動きにくいだろうしね。イタクとやるならそれ相応の服に着替えた方がいい。
『紫、あの着物借りていい?』
「うん」
一応紫の許可を取って、私は紫の持つ着物を頭に浮かべた。あぁ、確か···あの服だ。
パチンッともう一度指を鳴らすと、リクオの周りに舞っていた桜が弾け散った。それと同時に姿を見せたリクオは先程の寝巻姿ではなく、しっかりと動ける服。
「これは···」
『さあ、いってらっしゃい!』
左手をイタクの方に向けるとリクオは、私に近寄って来た。いや、イタクの方に行けって······。
「ありがとな」
リクオのその言葉と同時にこめかみに感じた柔らかい感触とチュッという音。
「「「「なっ!?」」」」
『ッ!!リクオォォォ!』
その場にいた遠野妖怪たちから驚きの声が上がると同時に私はこめかみを押さえてイタクの元に歩み寄るリクオの後ろ姿に声を上げた。
顔が赤い···。