船尾に沈んだアフロディーテ号は、その傾きが徐々に大きくなっていった。
海水が下層のキャビンの窓を突き破って流れ込み、あっという間に通路へ広がっていく。
花恋は階段を駆け上がって六階の通路を船尾に向かって走った。
小五郎とコナンも懸命に花恋の後を追う。
「花恋!!どこに行くんだ!?」
「お、おい!蘭はどこなんだ!?おい!!」
***
リドルデッキの収納スペースで気を失っていた蘭は、ようやく目を覚ました。
壁にぶつけた頭に手を当てながらゆっくりと体を起こし、周囲を見回す。
が、暗くてよく見えない。
頭がズキズキと痛んでぼんやりとする中、床についた右手が何かに触れた。
目を凝らすと、それは子どもたちが貝殻で作った金メダルだった。
そうだ。これを捜しにこの収納スペースに来たのだ───。
蘭は金メダルのブレスレットを左腕にはめると、頭上を見上げた。
いつの間にか扉が閉まっている。
おそらく船が揺れて自分が気絶したときに、扉が閉まってしまったのだ。
蘭はハシゴに上り、手を伸ばして扉を押した。
しかし、扉はビクともしない。
「誰かー!!誰かいませんかー!?」
蘭は扉を必死で叩いた。
するとそのとき、船が左に大きく傾いた。
「うわ······っ!」
ハシゴから落ちた蘭は壁に激突し、ずるずると床に座り込んだ。
もうろうとする中、頭に浮かんだのは·······体育館収納スペースの扉を開けて自分を見つけてくれた蓮華───······。
『あ、蘭。やっぱりここにい
たんだ』あのときみたいに、また。絶対、わたしを見つけてくれるよね。蓮華───············。***
通路を走り抜けてスポーツデッキに飛び出した花恋は、鯨の壁画の前で立ち止まって周囲を見回した。
後を追ってきた小五郎とコナンも立ち止まる。
「おい!いったい蘭はどこに───」
『蘭姉ちゃん、私がその先のスペースでバスケをしてたのを知ってたの!』
「ボクがここでずっとボールを蹴ってたのも知ってたよ!」
「ってことは······この上か!!」
周囲を見回した小五郎は、奥の階段を駆け出した。
コナンと花恋も後を追う。
(見つける······絶対見つけるから待ってて、蘭······!!)
(······そういえば······)
花恋はふと、蘭の隠れ場所を見つけた日の帰り道のことを思い出した。
「どうしてわたしの居場所がわかったの?バスケやサッカーボールを蹴るのに夢中だったくせに」あのとき、蘭は体育館の舞台横の収納スペースに隠れながら、蓮華と新一がバスケとサッカーボールを蹴る音を聞いていた。
そして、今日のかくれんぼのときも───。
「コナン君、ずっとサッカーボール蹴ってたでしょ?花恋ちゃんはバスケしてたかな。ちゃんと知ってるんだから」蘭の言葉を思い出したコナンと花恋は、ハッと目を見開いた。
((そうか!あのときも今日も、ボールの音を聞いてたんだ······!!))
だとしたら、蘭が隠れられそうな場所は───······!!
「『オジさん!その辺の床に隠れられそうなところない!?』」
コナンと花恋にそう言われた小五郎は辺りを見回した。
すると、散らばったテーブルの椅子の下に扉がある───!!
「あったぞ!」
小五郎は扉の上のテーブルや椅子をどかすと、回転取手をつかんで引っ張った。
しかし、扉はビクともしない。
「クソッ!開かねぇ!!ん〜〜〜っ!!」
再び力を込めて引く小五郎の横で、コナンと花恋は辺りを見回した。
すると、サンデッキへ上がる階段の横に消防用具入れがあった。
「『オジさん!』」
コナンと花恋は用具入れから斧を取り出し、小五郎に手渡した。
アフロディーテ号は徐々に大きく傾き、浸水は六階まで達していた。
さっきまでコナンたちがいたスポーツデッキにも海水が流れ込み、鯨の壁画がみるみる沈んでいく。
小五郎は扉に向かって何度も斧を振り下ろした。
少しずつ亀裂が入り、ついに扉を突き破る。
「開いた!」
「蘭!!いるか、蘭!?」
小五郎が扉の裂け目から下をのぞいた。
すると、倒れている蘭の姿が見えた。
小五郎の声に気づいて、うっすらと目を開ける。
「······お······父さん······」
「いたぞ!」
安堵した小五郎が体を起こすと、
『急がないとヤバイよ、オジさん』
花恋とコナンは険しい顔で前を向いていた。
すでにスポーツデッキは沈み、コナンたちのいるリドルデッキのすぐ下まで海面が迫っている───!
「クソッ!!」
小五郎は斧を投げ捨て、扉を開けた。
コナンと花恋と小五郎が蘭をデッキに引き上げると、遠くからヘリコプターの飛ぶ音がした。
サーチライトを光らせたヘリコプターが近づいてくる。
「救助のヘリだ!!」
コナンが喜んだのもつかの間───ついに海水がフェンスを乗り越え、テーブルや椅子を押し流して収納スペースに一気に流れ込んでいく。
「まずい······!」
『船首へ逃げよう!』
蘭をかついだ小五郎とコナンと花恋は船首へ向かって走り出した。
アフロディーテ号の上空に到着した海上保安庁ヘリ『わかわし』は、サーチライトで船上を照らした。
前後に大きく傾いた船は後ろ半分がすでに海面下に沈み、船首が高く持ち上がっている。
ヘリの隊員は船尾側からサーチライトを照らして、船に取り残された生存者を捜した。
すると、船首デッキで大きく手を振っている生存者を発見した。
「『お〜い!!』」
小五郎とコナンと花恋は轟音と共に近づいてきた『わかわし』に向かって大きく手を振った。
船首デッキの上空でホバリングするヘリコプターからロープが垂らされ、一名の隊員が降下すると、腹の金具をロープから外して小五郎に近寄った。
「これで全員ですか!?」
「はい!」
隊員は小五郎のそばでかがんでいるコナンと花恋を振り返った。
「ぼうや、嬢ちゃん、もう少しの辛抱だ!今助けてあげるからな!」
「『うん!』」
ヘリコプターから救助スリングを二つ付けたワイヤーが降下すると、隊員はワイヤーの先のフックに腹の金具をセットした。
そして小五郎と蘭の上体にスリングを装着させ、コナンと花恋を抱き上げた。
「いいかい。しっかりつかまってるんだよ!」
『「うん!』」
「これから引き上げます。お嬢さんをしっかり支えてあげてください!」
「わかった!」
隊員はヘリコプターを見上げ、左手人差し指を回して合図を送った。
ヘリコプターのウインチが稼働して、ワイヤーが巻き上げられていく。
すると突然───ヘリコプターが風にあおられて、機首が左に大きく振られた。
コナンたちが吊り下げられているワイヤーが振り子のように勢いよく引っ張られ、船の先端ポールに迫る───!!
「ぐはっ!」
隊員の背中がポールに激突し、抱いていた花恋が手から離れて落下した。
コナンはギリギリ落ちずにすんだようだ。
「な、何だ!?」
蘭を支えていた小五郎が下を見ると───花恋が海面から突き出した舳先で立ち上がろうとしていた。
ポールに激突した隊員は気絶してグッタリと体をのけぞらしている。
「つかまれーーーー!!」
ワイヤーが揺れて舳先に近づき、小五郎は手を伸ばした。
コナンも小五郎に掴まりながら手を伸ばす。
花恋も手すりに登って手を伸ばす。
しかし、三人の手はすれ違い、小五郎たちは舳先を通り過ぎていった。
『クソッ!』
花恋はすばやく反対側の手すりによじ登った。
そして振り子のように小五郎たちが戻ってくるのを待ち、タイミングを合わせて大きくジャンプした。
が、伸ばした手は小五郎とコナンの手に届かず、花恋の体が海へ落ちていく───!
そのとき、別の手が花恋の手をすばやくつかんだ。
『!!』
それは、蘭の手だった。
花恋が顔を上げると、蘭が少し苦しそうに微笑む。
「······しっかりつかまってて、花恋ちゃん」
『うん······!』
花恋は笑顔でうなずき、蘭の手をつかんだ。
「蘭、大丈夫か!?」
「蘭姉ちゃん!」
小五郎とコナンが声をかけたとき───蘭の腕をつかむ花恋の手がズルッと滑った。
「あっ!」
(落ちる───!!)
花恋が思わず目をつぶった瞬間───何かが指に引っかかった。
それは、子どもたちが貝殻で作った金メダルのブレスレットだった。
蘭の手と花恋の手をブレスレットが繋いでいる。
蘭の手首に巻かれていたのが引っかかったのだ───。
「嬢ちゃん、手を伸ばせ!」
意識が戻った隊員が花恋に手を伸ばし、花恋はブレスレットをつかむ手と反対の手で隊員の手をつかんだ。
引き上げられた花恋を小五郎が抱える。
やがて海面から突き出した舳先は轟音を立てながら巨大な渦と共に沈み、アフロディーテ号は漆黒の深い海へと消えていった───。
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