やがて日が完全に沈んで夜空に星が瞬き始めると、アフロディーテ号のメインダイニングルームでディナーパーティーが始まった。
中央に豪華なシャンデリアが輝き、格調高い調度品に囲まれた広々とした室内には、ドレスアップした何百人もの人々がテーブルに着き、フルコース料理を楽しんでいる。
入り口に立ったコナンたち一同も、その豪華な室内と人の多さに驚いていた。
「わぁ〜、広〜い!」
「豪華ですねぇ〜!」
歩美と光彦が声を上げると、園子は「そりゃそうよ」と二人の顔を覗き込んだ。
「八代グループっていえば結構大きな財閥だしね。その一翼を担う八代商船が初めて造ったクルーズ船だもん、これくらいの豪華さがなくっちゃ!」
「へぇ〜」
子どもたちが感心していると、レストランマネージャーの男性が「お客さま」とやってきた。
「毛利さまでいらっしゃいますね」
「あ、はい」
「ただいまお席のご用意をいたしますので、少々お待ちください」
おじぎをして去っていくマネージャーの後ろ姿を見ていたコナンと花恋は、ピッピッピッと音がして、隣の阿笠博士を振り返った。
阿笠博士の左手には小さな箱型の機械が握られていて、側面のボタンをいじっている。
『博士、何?それ』
「え、これか?ただのICレコーダーじゃよ」
阿笠博士がそういってICレコーダーをコナンと花恋に見せた。
「新発明のヒントが浮かんだらすぐに録音しておこうと思ってな。───おお、そうじゃ。新発明といえば······」
とスーツのポケットをまさぐり、カフスボタンを取り出して見せた。
「ジャ〜ン!『カフスボタン型スピーカー、盗聴機能付き』じゃ」
「へぇ〜」
コナンがカフスボタンを受け取ると、灰原が「あら」と振り返った。
「なかなかシャレてるじゃない」
シルバーを台座に黒い石がはめられたカフスボタンは、灰原の言うとおり一見オシャレで、とてもスピーカーには見えない。
「こりゃいいや」
コナンが両手に持ったカフスボタンを掲げてみていると、
「おっ、カフスボタンか!」
小五郎が目ざとく見つけて奪い取った。
「ちょうどいい、しばらく借りるぞ」
「でもそれは······」
取り返そうとするコナンに、小五郎は顔を近づけて「バーロォ!」と怒鳴った。
「こういうのは俺みたいなダンディな男にこそふさわしいんだ。オメーみたいなガキにはまだ早いんだよ!」
と、さっそくカフスボタンをシャツの袖口につける。
「でもお父さん、それは───」
「ああ、別にいいよ、蘭姉ちゃん」
コナンは小五郎に抗議しようとする蘭を止めると、メガネを外してハンカチで拭いた。
『残念だったね』
「ま、どうせ船ん中じゃ必要ねーしな······」
するとそのとき、背後から「あれ?毛利さん?」と男がやってきて、コナンにぶつかった。
「いてっ!」
コナンの持っていたメガネが床に落ちたが、男は気づくことなく小五郎に話しかける。
「名探偵の毛利小五郎さんですよね?」
「ええ、そうですが······」
「やったぁ!」
(何だこいつ?)
『はい、メガネ』
「ああ、サンキュー」
花恋はコナンにメガネを渡し、コナンがかけると二人で男を見た。
色の薄いサングラスをした若い男は、肩の上まで伸ばした赤色の髪といい言葉遣いといい、どこか軽薄な印象を受ける。
「俺、シナリオライターの日下ひろなりと言います。毛利さんの大ファンなんスよ!」
「そりゃ、どうも······」
小五郎が日下ひろなり(26)の後ろの女性に目をやると日下は「ああ」と気づいて振り返った。
「こちら秋吉美波子さん。この客船を設計した設計グループのサブリーダーで、アフロディーテ号っていう素敵な名前も、彼女がつけたんですよ!」
「あ、あぁ······毛利っす」
会釈をする秋吉美波子(32)に、小五郎はなぜか顔を引きつらせながら挨拶をした。
近くにいた園子が美波子さんを見て「うわぁ、美人〜!」とつぶやくと、
「う、うん······」
蘭はどこか戸惑いの表情を浮かべながらうなずいた。
すると、そこにレストランマネージャーが戻ってきた。
「あの、毛利さま。お待たせいたしました。お席のご用意ができましたので······」
「ああ、ごめん。二人追加できる?」
日下はそう言って小五郎を見た。
「いいですよね、毛利さん?」
「あ、ああ······」
「では、どうぞ」
小五郎と阿笠博士がマネージャーの後に続くと、日下と美波子もその後ろを歩いていく。
園子は前を通り過ぎていく小五郎を見て、首をかしげた。
「ねぇ、おじさま何か変じゃない?」
「え、どうして?」
「だって、いつものおじさまなら······」
園子はそう言って、唐突に小五郎の真似をし始めた。
「いやぁ、アフロディーテといえば、美と愛の女神。船なんかよりもあなたにこそふさわしい名前ですなあ、ガッハッハ〜なーんて言いそうじゃない?」
いかにも小五郎が言いそうなセリフに、蘭はフフッと苦笑いした。
「それは多分、美波子さんがうちのお母さんに似てるからよ」
蘭に続いて園子も美波子を見た。
黒髪のストレートヘアを肩の上できっちり切りそろえた美波子さんは、パンツスーツを着こなしていかにも知的な美人といった感じだ。
「あ、なるほど。そういえばよく似てるわ······」
そばで二人の会話を聞いていたコナンと花恋は、ハハハ···と苦笑いした。
((つまり、おっちゃん/おじさんの苦手なタイプってわけね······))
***
マネージャーに案内されてテーブルに着くと、日下は自分の仕事について語り始めた。
「実は俺、今、豪華客船を舞台にした連続ドラマの企画書を書いていましてね。その取材で美波子さんと知り合ったんスよね?」
「ええ、まあ」
「な、なるほど······」
日下と美奈子の間に座った小五郎はぎこちなく答えた。
「ところで、毛利さんは当然、招待されたんスよね?それとも、何かの調査の依頼でも······?」
「いやぁ〜、招待というか何つーか······」
小五郎が困ったように頭をかくと、美波子の隣に座った蘭は「あのぉ、違うんです」と口を挟んだ。
「え?違うって······」
「招待されたのは実はこの、園子のご両親。彼女のお父さん鈴木財閥の会長さんなんです」
「え!?」
日下が驚いて見ると、園子はヘヘッと笑った。
「でもうちの親、どうしても都合がつかなくてわたしが代わりに。で、どうせならみんな一緒の方が楽しいから」
「ワシら八人分の招待も取り付けてくれたんじゃよ」
日下の左隣に座った阿笠博士が後に続くと、日下は「へぇ〜」と小五郎を見た。
「そういうことだったんですか」
「ま、保護者代わりみたいなもんスかね」
「なるほど······」
日下は前を向き直り、組んだ両手に顔を近づけた。そして「なるほどねぇ······」とニヤリと微笑む。
すると、テーブルを挟んで座っていた元太が声をかけてきた。
「それでオメーよ、どんな話書いてんだ?」
「え?」
「豪華客船で世界一周する話とか」
光彦の言葉に、歩美が「あ、いいなそれ」と身を乗り出す。
「ですよねー」
と子どもたちが盛り上がっていると、光彦の隣に座った灰原とコナンの隣に座った花恋がボソッと口を開いた。
「『タイタニックみたいに処女航海で沈没するパニックものかもね』」
「こ、これ、哀君、花恋君」
(おいおい······)
阿笠博士が慌ててたしなめ、コナンは花恋を肘で小突き、日下はハハハ···と苦笑いをした。
すると、
「沈没と言えば······」
小五郎は思い出したように顔を上げた。
「前に八代商船の貨物船が氷山と衝突した事故がありましたなぁ」
蘭が「え」と驚くと、美波子は「はい」とうなずいた。
「確か原因は船長の判断ミスで、乗組員一人亡くなって、船長も船と運命を共にしたんじゃ······」
小五郎の言葉に、子どもたちは「え!?」と声を上げた。
「ホントですか!?」
「この船も沈んだらどうしよう」
「オレ、7メートルしか泳げねーよ」
『みじか······』
美波子は不安がる子どもたちに「大丈夫」と声をかけた。
「アフロディーテ号の船長は優秀だし、この辺りに氷山はないから」
「ま、船が沈んだときに真っ先に救助されんのは、あの連中だろうな」
不機嫌そうに頬杖をついた日下は、ダイニングルームの中央をチラリと見た。
一同が振り返ると───レストランマネージャーに案内された熟年夫婦がVIP席に着くのが見えた。
園子が「あれ?」と声を上げる。
「もしかして新見さんじゃない?元首相の······」
「それと御令室だ。後はタレントの───」
日下がさらにボーイに先導されてやってくる若い女性に目を向けると、
「ウホッ!麗姉妹じゃねーか!」
目を輝かせた小五郎は、胸元が開いたドレス姿の麗姉妹に鼻の下をでれんと伸ばした。
「いつ見てもナイスバディだねぇ〜」
「あの連中は八代グループの会長の招待客で······おっと噂をすれば」
日下はさらにチーフパーサーに案内されてVIP席に向かう高齢男性とその娘らしき女性に気付いた。
着物姿の二人の後に、さらにパーサーの若い女性が付き添っている。
「八代会長親子の登場だ。娘の貴江は婿をとって八代客船の社長を継いだんだ」
日下が説明すると、園子が「そういえば」と蘭を振り返った。
「貴江社長の旦那さん、ついこの間、交通事故で亡くなったのよね」
「そうなの?」
蘭の隣の美波子が「ええ」と答えた。
「八代英人先生······私の上司で、この船の設計チームのリーダーだったわ······」
美波子がそう言ってうつむくと、小五郎は「そうでしたか······」と上を向いた。
「確か、車を運転中に心臓発作を起こして、崖から転落したらしいっスなぁ······」
美波子たちの会話を聞いていた歩美は、ふとVIP席を見た。
「あ、船長さんだ!かっこいい〜!」
コナンと花恋が振り返ると、鉄扇を扇ぐ八代延太郎(78)と貴江(51)の後ろに制服に身を包んだ男性が立ち、にこやかに会話を交わしていた。
「彼は海藤渡船長。さっきの話に出た15年前の事故のとき、彼はその船の副船長だったんですよ······」
日下はそう言いながら、鋭い目で海藤を見つめた。
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