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あの大事件から、ひと月が経った。

カノンは医務室に3日入院した後、自室に篭るかスネイプの研究室に顔を出すか、という生活を繰り返していた。
勿論授業にはきちんと出席したし、心配していたパンジーやドラコにもちゃんと声を掛けた。だが彼女の目には、いつものようにホグワーツが輝いて見えないのだ。

理由は火を見るよりも明らかだろう。
セドリック・ディゴリーの死…カノンはその事実を理解したが、納得などしていなかったのだ。依然として、彼女の胸のなかは漠然とした喪失感だけが渦を巻いている。

カノンとは対照に、ハリーは少しずつ笑顔を取り戻しつつあるようだ。
彼が受けた傷は深く治りにくいものだったが、周りの友人がそれを癒してくれる。そんな穏やかな日々を大切に満喫しているようだった。



そして来たる、学年最後の日。

去年と同じように大広間に集まった全校生徒たち。だがどのテーブルの生徒も、皆一様に沈んだ顔をしている。

カノンはハリーから隣に座らないかと誘われ、そのままグリフィンドールのテーブルに着いた。
今更彼女が他寮の席に居るということに疑問を抱く生徒はいなかった。今度はハリーがカノンを支えるように、背中に手を添えている。
カノンは、同じ苦しみを味わった彼がこうして共に居てくれることで、凍っていた感情が少し溶けて行くのを感じた。


「また一年、時が過ぎた」

ダンブルドアが粛々とした声で話し出した。静かだった大広間は更に静まり返り、咳払いの一つも聞こえない。

「今年は様々なことが起きた。一番初めに、皆に伝えたいことがある。セドリック・ディゴリーのことじゃ」

その名が出た瞬間に、ハッフルパフの生徒の顔が泣きそうに歪むのが見えた。カノンも自分の唇が震えるのを感じ、それをグッとかみしめる。

「勤勉で誠実な少年が、その命を奪われた。彼が何故命を落とす事になったのか、皆には知る権利があると…わしは考えた。彼は、ヴォルデモートに殺されたのじゃ」

静かな大広間が一転して、ざわざわという囁き声が広がり出す。だがハリーもカノンも何も言わず、そこに座っていた。そして数十秒後、再び静まった広間にダンブルドアの声が響いた。
「魔法省は、君たちにこの事を告げるべきではないと言った。じゃが、わしはそうは思わん。君たちには真実を知る権利がある。セドリックの死を、単なる事故死と取り繕うのは彼自身の名誉を汚す事になるじゃろう」

カノンの視界の端で、ドラコやクラッブ達がヒソヒソと何かを話しているのが見えた。
彼らの事だ。ダンブルドアの話に信憑性が無いと悪態でもついているのだろう。
ハリーもそれを見ていたのか、カノンの背に添えられていた手に力が入った。カノンがそっとハリーの膝に手を乗せると、背中にあった手がカノンの手の上に重ねられた。
きっとハリーはこういう時のことを考えて、カノンを誘ったのだろう。正直、カノンはその心づかいが有難いと思った。


「そしてもう一人、今回の事件に関して名を挙げるべき人物がいる。もちろん、ハリー・ポッターじゃ。ハリーはヴォルデモートその人の復活を目の当たりにしただけではなく、命を賭してセドリックの亡骸を連れ帰って来てくれた」

一度言葉が切れたが、今度は誰一人として会話を始める者はいなかった。
様々な感情が混じってはいたが、皆真っ直ぐにダンブルドアを見つめている。

「ヴォルデモート卿が復活した事によって、大切なものが浮き彫りになった事じゃろう。大事なのは結束。皆が手を取り合い、内からの守りを硬くすることこそが必要じゃ。皆が選択を迷い、道を踏み誤りそうになったときは…セドリック・ディゴリーを思い出すのじゃ。彼の命を、忘れるでないぞ」

強い声色で言われたその言葉は、ほとんどの生徒の頭に刻み込まれただろう。ダンブルドアはそこで話を終わらせた。

カノンの名が出てこなかったのは、きっとスネイプが進言したに違いない。
彼女は未だに苦しんでいる。ここで名を挙げて、見晒しにするのは酷だと。

ダンブルドアの数席隣では、スネイプやマクゴナガルがカノンを気遣うように見つめていた。



***



マルディーニ邸へと向かう汽車の中、カノンはひとりコンパーメントを占領していた。
開いた窓からは夏の爽やかな風が舞い込み、彼女の前髪をさらさらと揺らしている。

「やっと終わったね…今年は随分と長く感じたよ」
「うん。ほんとに、長かった」
カノンは窓の外を眺めながら、前に座るリドルに返事をした。

「マルディーニ邸に帰ったら何をしようか」
「そうだね…リドルの紅茶が飲みたいな」
「わかったよ、ちゃんとマグル式で淹れてあげる」
「うん、楽しみ」ゆるりと笑ったカノンに、リドルも笑みを浮かべる。そして杖を振ると、二つのグラスに入ったアイスティーを出現させた。
「今は汽車の中だから、これで我慢してね」
「ありがとう」

カラン、と氷が涼しげな音を立てる。
周りの喧騒から切り離されたこのコンパーメントは、別世界のように静かだった。カノンもリドルも何も言わずに紅茶を飲み、外を眺ていた。

「そういえば、今年の成績はどうだった?」
「リドル、お母さんみたい」
「失礼だな、君が無事に主席を取れたのか気になっただけだよ」
「去年とほぼ同じだよ。総合点はハーマイオニーと同じで、変身術と魔法薬学は私が一番だった」
「それは良かったね。スネイプもマクゴナガルも満足だろうさ」
「そうじゃなくちゃ困るよ」

ふう、と息を吐きながら言ったカノン。
彼女が再び目線を外にやると、窓の向こうから何かが近づいてくるのが見えた。

「何か飛んで来てる」
「何か? 何かって、なんだい」
「もしかして、フクロウ?」

カノンが首を傾げながら言った後、だんだんとその姿は大きくなった。
こちらの窓へと一直線に飛んできた梟…どうやら学校の梟のようだ。カノンが急いで窓を全開にすると、その梟は間一髪と言ったタイミングでコンパーメントの中へと降り立った。

「ホーゥ」
「手紙、誰からだろう」

茶色と黒のまだら模様をした梟の口から、一枚の手紙を受け取る。手紙を開くと、そこには見慣れた筆跡で一言だけ用件が書かれていた。

"汽車が止まっても、そのまま降りずに待つように S.S"

相変わらず酷く端的な手紙だ…と思いながら、カノンは再び飛び立つ梟を見送った。





そして数時間後。

言われた通りにコンパーメント内に居たカノン。汽車や駅からひと気が無くなり、この場所に居るのがカノンとリドルだけになった頃。

コツリ、コツリとここに近づいてくる足音が聞こえてきた。
その足音はまっすぐにこのコンパーメントに向かい、扉の正面で動きを止めた。コンコンと軽いノック音が響き、カノンがそれに「どうぞ」と応える。

ガラリと開かれた扉の音と共に、カノンの夏休みは唐突に始まりを告げた。




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