ぼーっと、学校にいる時もただ窓の外から雲や青い空を眺めるだけの日々。
 決して刺激的ではなかったけど、平凡で、落ち着いた高校生活だった。

『――転校生が来る』

 そう、担任の教師が言ったのが全ての始まりだったのかもしれない

「……日向凛です。よろしく」

 甘い蜂蜜をイメージさせられるような髪色をし、端正な顔だちをした彼を私が視界に入れたのが始まりだったのかもしれない。
 まあ、どうであれ、私の世界は彼が来てから、がらっと変わった。
 苦しくて、辛くて、

 彼と会ったことは間違いだったんじゃないかって思うときもあるけど。
 今は、後悔していない。

 あの、甘酸っぱくて、苦くて、熱い想いを、
 私は忘れない。






 ――転校生が来る。

 LTの時間にいきなりそう言った担任の教師の言葉に、教室はざわっと盛り上がった。
 それもそのはず、この星蘭高校は県内でも有名な難関公立学校であって受験の倍率は約五倍。そんな学校に転校するとなれば、よっぽど厳しい試験や審査を受けなければいけないはずなのだ。
 当然、私も他の生徒同様に驚いて、その転校生とやらがどんな人物なのか興味を持った。

「日向凛です。よろしく」

 黒板に達筆な勢いで名前を書いた彼は、そう言ってぺこりと頭を下げた。
 また、教室中がざわめく。私も想像していたよりもずっと綺麗な顔をしていた彼に思わず見とれてしまった。
 身長高くて、白い肌。柔らかな栗色の髪が、端正な顔によく似合う。
 正直言うと、この高校で『イケメン』っていう存在は本当に珍しい。

 校則が嫌ほど厳しいってわけじゃないんだけど、皆真面目だから化粧っ気なんてないし。
 美意識なんかに目を向ける前に勉強、みたいな。

「席はあそこね。窓側の空いてるとこ」

 先生が、私の後ろの席を指して言う。日向凛は軽く頷いて、優雅な足取りでその席へ向かった。
 ちょっとラッキーと心の中でガッツポーズをする。まあ、多分関わらないだろうけど。

 放課後は案の定、クラスの女子達が寄ってきた。

「ねぇ、日向君ってどこから来たの?」
「前の学校は?」
「よくここ転校してきたね!」

 ぎゃーぎゃーと、普段とは全く違う調子で話すからびっくりしてしまう。
 皆こんなにいっぱい喋れるんだ。
 女子だけじゃなく、男子もやはり気になるのか、日向君の席をちらちらと見ている。
 でも、私の椅子の後ろにも入って来るから、私は狭くて仕方ない。
 椅子を引きつつ、こっそりと彼らの会話に意識を向けた。
 日向君は突進でもするかのように質問してくる女子らの様子に苦笑しながらも、懇切丁寧にそれらの質問に答えていた。

「灰狼町にある蒼一高校からだよ。親が教育関係の仕事してて、コネっていうの? ここに入るのにそんな苦労はしてないよ」
「――!?」

 にこやかに微笑んだ彼に、私はがくっと肘を机にぶつけた。
 蒼一高校って、確か不良だらけの馬鹿校だ。それに、にこにこした顔で普通親のコネで入ったなんて言うだろうか。

「へ、へぇ……そうなんだ」

 きらきらした顔で質問していた女子達も、蒼一高校と聞いて少し萎えたらしい。笑っていた顔が引きつっている。
 それくらい、治安が悪い学校なのだ。
 だがイケメンと近づける絶好の機会を逃すつもりはないようで、彼女らは挫けず彼に話しかけている。
 私はそんな彼女らが少し羨ましいと思ったが、今から私が割り込むわけにもいかずそっと席を立った。

 ――それに、あの町から来た人間にこれ以上関わりたくもないしね。





 教室を出ると、さっきまでの和気藹々とした空気とは逆の、静かで済んだ風が肌を撫でた。
 そのまま学校を出て電車に乗る。
 単語帳を片手に開きながら、日向君を思い出した。

 日向凛、か。転校生って特例だし、あんなにかっこいいならこれからすぐ有名になるのだろう。
 蒼一にいて、この高校にも裏から入ったのなら、そんなに頭がよくないのかもしれない。
 それはそれで、星蘭高校には新鮮な空気が入るのかな。

 私は少し笑った。

 まあ、イケメンに頭の良さとか関係ないか。明日にでも、話しかけてみようか。
 少しそう思ってから、私は一人でぶんぶんと首を振った。
 自分の容姿を思い出す。
 顔に会わない小さな丸眼鏡と、雑に結んでいるボサボサの髪。
 そうだった。こんな地味な『ザ・真面目』女子が話しかけても迷惑なだけだった。
 別に目が悪いわけでもないのに訳あってかけてる黒い伊達眼鏡を憎々しげに触る。

 その時、隣から手が伸びてきて、その眼鏡をひょいと取り上げられた。

「!?」
「……へぇ、眼鏡取ると超美人じゃん」
「え……、日向、君!?」

 予想外の彼の姿に、驚いて素っ頓狂な声を上げる。
 眼鏡を奪い取った彼は長い指でそれを弄ぶと自分の顔にかけた。

「度、入ってないね。伊達眼鏡?」
「…………」
「おーい」
「……さ、っき、女の子達に囲まれてて……」
「君が帰るの見たから急いで追いかけてきた」

 色気たっぷりの顔で笑う日向君に唖然と口を開けた。

「な、なんで追いかけてきたのよ」
「いやー……、特に意味はないよ」

 特に意味ないって……そんな理由でわざわざ同じ電車に乗るわけないでしょうが。

「家、こっち方面なの?」
「いや、全然」

 なんじゃそりゃ。

「私が帰るの見て、特に意味もないのに、追いかけてきたの?」

 眉を顰めながら要約して尋ねる私に、日向君は苦笑して、私に眼鏡をかけ戻した。

「そう言われると俺、結構変人だな」

 とんでもない返しに、私を目ぱちぱちとさせてしばらく彼を見てから、ぷっと吹き出した。

「ふふっ、何それ」

 くすくすと笑いながら、私は彼の顔を見た。

 ――イケメンなのに変人。

 それが、彼と最初に言葉を交わした私の感想だった。



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