しらじらしいさようなら

「おまえは、いつになったらおれを諦めるんだ」


 夜空がきれいな夜だというのに、トラファルガーはそう悲しい事をさらりと言う。私はその度に、軽い吐き気を催す。
 つめたい男なのだ彼は。そんな事は、数年前から知っているのだから、いい加減私も慣れなければいけない。私は何も言える立場ではないのだ。
 トラファルガーは私に名を呼ばれるのを嫌う。数回、彼の機嫌がいいのを見計らって、下の名前を呼んでみたのだが、トラファルガーはその瞬間、私を睨んだ。トラファルガーは、私が嫌いなのだ。女である私が嫌い。そんなの、ずっと前から知っている。いつまで経っても慣れない。
 ああしかし何故か、私は彼が好きなのだ。最低だ。こんなの笑い話にもならない。

「そんなの私だって、知りたいけど。」

 言うと、トラファルガーは私を馬鹿にしたように、ふ、と笑った。
 きれいだ。トラファルガーはすごくきれい。女の私なんて、比べ物にならないほど。なのにトラファルガーは、私に、なりたいと、言う……。
 周りは、私のことを、恋人と思っている。しかし本当はそんなのカモフラージュでしかない。海賊だってのに、人目なんか気にしやがって、トラファルガーはそれだけのために私を隣に置くのだ。ちくしょう。なんて悲劇。死の外科医とやらも、色恋沙汰に関してはいやに女々しいじゃないか。
 トラファルガーが好きな人は、みんな男だった。知性も品もない、浅黒い肌の男ばかりだ。それの何がいいの。私自分に自信があるわけじゃないけど、男なんかよりは、私のがずっとましな気がする。
 でも駄目だって。トラファルガーは私じゃ駄目だって。
 じゃあなにあんた、私にぺニスがあったら、好きになってくれたの。ねえ。どうなの。

「こないだ降りた島になァ、いい男がいたんだ」

「……気持ち悪い」

「クク、そう言うなよ…。傷付くだろう」

「ふざけたこと言って。あんた私の言うことなんか、一度も気にしたことないでしょ。」

「……よく知ってるな」

 素直な彼。私に興味なんてものは、一切持ってない彼。彼が私に抱くのは私が女である事への憎しみと、僅かばかりの同情だ。
 初めて出会った日、私はトラファルガーに口説かれた。誘われるがままモーテルに入り、事に及ぼうとしたのだが、トラファルガーのぺニスは、勃起しなかった。ひどく自尊心を傷付けられた私は、口内に唾液を溜めつつ、わざとらしい音をたてて吸い上げ、吸い上げながらも舌を這わせ、それの硬度が増すよう、それはもうあらゆる手を使ったが、ついにトラファルガーのぺニスは、すこしも硬くはならなった。ひとりで股を濡らしていた私は、ただの馬鹿だった。
 落ち込んだ私に、トラファルガーは少しだけ焦った様子で、おれはゲイなんだと、言った。驚きつつ、私を慰めるための嘘じゃあないかと疑ったが、彼は至極真面目に言い切ったので、信じたのだ。
 じゃあなぜ私を口説いたのか。モーテルに連れ出したのか。問うと、「おまえなら、大丈夫なような気がした」そんな無責任なことをほざいた。
 腹が立った私が文句を言おうと口を開くと、トラファルガーは私の言葉を遮り、言ったのだ。
「おれと契約しないか。」
 若干だったけれど彼の瞳は揺れていた。迷いがあるような、そんなふうに。もしかしたら酔っていたのかもしれない。今となってはわからないけれど。
「金は好きなだけ渡す。不自由は絶対にさせない。なるべく危険にも晒させない。島におりたときに、ただ隣を歩いてくれればいい。何も、喋らなくていい。」
 そんな偽装恋人の契約を持ち掛けてきたのだ。
 まあ、今になって思えば、彼が言う「喋らなくていい」は、むしろ喋るな、という意味だった。
 当時、頭角を現し始めたトラファルガーは、街を歩けば売春婦に声を掛けられ、売春婦でなくともとにかく女に声を掛けられ、酒を飲んでいてもやたらと声を掛けられ、ひどく疲れていたようだった。彼が男色でなければ、あしらう事も、誘いに乗ることも、口説かれるのも、それなりに悪い気はしなかっただろうに。
 女が嫌いな彼には、すべて不愉快でしかなかったのだ。私のような女に、そんな頼みをするほど、不愉快だったのだ。

「おれはおまえを、もっと頭のいいやつかと思ってた」

「なに…、それは悪口?」

「ちがう。おれは、間違ったんだ。女に頭のいいやつなんていなかったのに。」

「ただの悪口じゃない!」

「でけェ声を出すなよ……頭が痛いんだ」

「私だって吐きそう。あんたのせいで」

「そりゃあ悪かった」

 ちっとも悪いなんて思ってないくせに。泣きそうだった。こいつのせいで。トラファルガーの恋人役をやってから、私は自尊心なんてもうずたずたになっていて、涙を堪える努力なんてもう出来ない、ひどく面倒な女に成り下がっていた。
 会った頃の私はどうだったかしら。もっと強かった気がする。

「女が嫌いだから、おまえを隣に居させた」

「私も女なのよ」

「おまえは……」

 トラファルガーが、私の目を見た。冷たい目。揺らいではいなかった。続きを聞くのがこわいと思った。
 自分が馬鹿なことなんて知ってるいたけれど、いざ言われると腹が立つ。こんな状態で、相手がトラファルガーだと、それは尚更だった。
  涙が。

「違うと思ったんだ。そこらの女は違うと思った。」

 もの凄く死にたくなった。
 どんな理由であれ私はトラファルガーが選んだ、特別な女だったのだ。皆トラファルガーを、一途だと言った。私は選ばれた特別な女だったというのに。

「勘違いだったみてェだ。悪かった。」

 そう言うと、トラファルガーは、「船を降りろ」と続けた。
 言われた瞬間、全身が冷えていった。
 降りたくない。まだ傍にいたかった。喋らないから。二度と喋らないから。それは言葉にならなかった。
 どうして。
 私は女なのだろうか。そして何故彼は男なのだろう。間違っていると思った。そんなの、ずるいじゃないか。間違っている。……彼は間違っている。
 間違っていたとして、だからなんだろう。トラファルガーは間違っているけれど、そんなトラファルガーが好きな私も、間違っているのかもしれない。


「……わかった。さよなら」

 振り絞って出たのはそんな言葉。最後の最後にこれ以上嫌われないようにと悪足掻きをしている。しかしトラファルガーは無言で頷いただけだった。

「あんたの性癖は、黙っててあげるから……」

「いや…、もう隠さねぇ。面倒になってきた。」

「あ、そ……。」

 面倒になったのは私のせいなんだろう。精一杯に笑うと、トラファルガーは一言「今までご苦労さん」なんて言って、私に札束を投げ渡した。私はずたぼろの雑巾みたいになった自尊心の持ち主なので、大人しくそれを受け取り、足早にそこを立ち去る。数年ほど過ごしたというのに、こうなってしまうとここにはあまり未練はなかった。ぼろが出ないように、あまりクルーとも関わらなかったため、仲がいいやつもいない。私が居なくなって誰も悲しまないだろう。置いたままの私物は、そのうち勝手に処分してくれるといい。
 この数年でわかったことは、結局どんなに恐れられている男でも、何百と殺戮を繰り返した男でも、色恋沙汰を前にするとただの男に成り下がるということだけだった。私の演じ続けた数年の期間は、これから何かに役立つのだろうか。きっとなんにもならない。ああ。私はひどくやるせなくなった。けれど、色恋沙汰を前にして、真先にただの女に成り下がっていた私には、トラファルガーを責めることなんて出来ないのだと、今更に気付いた。みんなみんな同じか。なんてくだらないことに時間を使ったのだろう。
 ふらふらと街を歩きながら空を見上げたら、きれいだった夜空はもう白けていた。白けた空を見ながら、私がレズビアンになったら、それはきっとトラファルガーのせいなのだろうな、と考えた。






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