何も言えずに手を取った

 仁王雅治と私は小学生の頃からの付き合いだ。仁王は高知からの転校生で、一年生の頃から神奈川にいたわけではないから幼なじみなんて大袈裟な呼び方をすることは出来ないけど、クラスは同じになることが多かったし、家が隣同士だからそれなりに……いや、かなり親しくしている。少なくとも私は仁王がいない日常というものを想像出来ない。
 転校当初の仁王はクラスでも浮いた存在だった。ただ浮いた存在だと言うのならば今もそう変わらないのかもしれないけど、あの頃は今と違ってかなり露骨にクラスメイトに避けられていた。たぶん話し方がみんなと違ったからだと思う。プリッとか、ピヨッとかいう口癖もいけなかったのかもしれない。そしてその時も奴と同じクラスだった私はと言うと、仁王ともわりと仲良くやっていた。小学生の頃の仁王は今と違って可愛かったから、あの変な口癖も可愛く思えていたし、なにより家が隣だということで勝手に親近感を覚えていたのだ。私達はいつの間にか登下校を共にするようになり、お互いの家を行き来するようになっていた。仁王は社交性のない奴だったけど、話してみたら案外面白い奴だった。そんな風に私たちが楽しい毎日をおくっていた頃、一度目の悲劇は起きた。
 あれは小学生五年生の頃だっただろうか、私には片思いをしている相手がいた。その人は私や仁王の家の近所に住んでいた高校生のお兄さんで、笑顔が素敵な優しい人だった。私は仁王が転校してくる前からずっとその人のことが好きで、だけれど子供だったのでその気持ちを誰にも話さないでいた。私の片思いを初めて知ったのは仁王だった。私があの人と話すところを偶然見つけた仁王は、その頃から察しがよかったのですぐに私の気持ちに気付いたのだ。自分の恋心がばれてしまった私はたまらなく恥ずかしかったけど、恋愛相談出来る相手が出来たことは嬉しくて、毎日のように仁王にあの人の話をした。仁王は、退屈な顔もせず私の話を聞いてくれていた。
 そんな日々が続いたある日、仁王は私にとんでもない告白をした。私が片思いしていたあの人と付き合うことになったと言ったのだ。幼い私は男同士なのにおかしいよ、なんて心ないことを言って泣いた。とても悲しかったから泣いた。あの人が自分ではない誰かのものになってしまったからではなく、仁王に裏切られたことが悲しくて泣いた。私はあの頃からずっと恋愛にかける比重よりも仁王にかける比重の方が重たいのだ。泣いて泣いて、最後には仁王を許した。仁王の手を取って、幸せになってねと言った記憶がある。高校生が小学生と付き合うだなんておかしいという考えはまだ持ち合わせていなかったのだ。
 それからしばらくして、仁王は私にあの人とセックスをしたと告げた。あの人への好意を殆ど完璧に忘れ去っていた私は特別傷つきもしなかったと思うけど、なにしろ昔のことなのであまり記憶は定かじゃない。あの頃の私は、セックスがどういうものなのかは一応知っていて、だけれどアナルセックスについての知識はなかったから、男同士でもセックスは出来るんだなあ不思議だなあと呑気なことを考えていた。仁王はそんな私を馬鹿にすることはなかったが、男同士のセックスについて説明してくれることもなかった。
 ある時期を境にして、仁王の体には生傷が増えた。仁王は最近よく転ぶんじゃと言っていたけど、転んで出来た傷ではないことは誰の目に見ても明らかだった。当時私たちの担任をしていた先生は私を職員室へ呼び出してこんな質問をした。

『もしかして雅治くんは虐めにあっているの? そうでなければ家族の方に暴力をふるわれているとか……』

 それはありません。私はそう言ってはっきりと否定した。仁王はクラスで孤立していたけど、だからといって虐めを受けていたわけではなかったし、仁王の家族は反抗期のお姉さんを除けばみんな優しかったからだ。お姉さんだって人に暴力をふるえるようなタイプの人間じゃない。

『それじゃあ他に雅治くんと関わりのある人に心当たりはない?』

 先生がそんなことを言ったとき、私の頭にはかつて自分が片思いをしていたあの人の顔が浮かんでいた。あの人だ。あの人が仁王を傷つけたに違いない。何故だか確信めいた私は、それでも先生にあの人のことを説明することは出来なかった。幼心にこれは秘密にしておかなければいけないことなのだと察していたのだ。
 その傷あの人にやられたの? 私にそんなことを尋ねられた仁王は黙って頷いた。そうして、どうして別れないのかと問うた私にこんなことを言った。

『お前さんから奪った男じゃ、簡単には別れられん』

 その言葉を聞いた私は泣いた。仁王はそんな私の頭を撫でてよく泣く奴じゃと笑った。だけれど私がお願いだから別れて、と……これ以上傷つかないでほしいと言ってその幼い体にすがり付くと、今度は堰を切ったように泣き出した。怖かったのだと、痛かったのだと、セックスなんてしたくなかったのだと言って泣いた。


*****


「仁王、傷、手首のとこ」
「ああ、これか……今の男が拘束プレイを好むんじゃ。鞣してもない麻縄を使うからすぐに肌に傷がつく」
「へえ」

 感情のこもらない声で相槌を打つと、苦笑いを浮かべた仁王が随分冷たいんのうと言って私の頭を撫でた。
 仁王雅治という奴は苦い初恋を経験したあの頃と少しも変わっていなかった。駄目な男ばかり引き寄せるし、相手が駄目な男だと自分を幸せにはしてくれない男なのだと分かってもその相手となかなか別れようとしない。基本的には人と馴れ合うことが好きでなくてまともな友達も殆どいないくせに私には馬鹿みたいに優しい。

「もう小学生じゃないんだから、頭なんて撫でないで」
「女はこういうのに弱いんじゃろ」
「私は弱くない、あんたで耐性ついてるから」
「それはええ。こういう風に小手先で女を落とそうとする奴は好きになったらいかんぜよ」
「……恋人に暴力をふるうような奴よか絶対まし」
「そうかの?」
「そうだよ、馬鹿」

 仁王はたぶん駄目な男しか愛せない体質なんだ。まともな男とは長続きしないくせに駄目な男とはだらだらと関係を持ち続ける。

「仁王は幸せになりたくないの?」
「なりたくなくはない」
「それじゃあどうして付き合ってて体に傷付けられるような人とばっか付き合うの? それが仁王の幸せ?」
「痛いのは好かん」
「それじゃあ、どうして」
「……そうじゃな、まともな奴は退屈なんじゃ」

 一緒におって楽しいと思えん、そう言った仁王は私の頭から手を離す。それから私の瞳を見つめてこんなことを言う。

「お前さんほど俺を楽しませてくれるのならまともな奴もいいかもしれんな」
「そんな人いくらでもいる」
「おらんぜよ。今まで一度も出会ったことがない」
「……それなら、私と付き合えばいいのに」

 こんなことを言っていても私は仁王に対して恋愛感情を抱いているわけじゃあない。少しもそういう気持ちがないのかと言われたら言い淀んでしまうかもしれないけど、現状では確実に友達としての比重の方が大きいのだ。だけどたった今私が吐き出したこの言葉に対して、仁王が返す反応によっては実際仁王と付き合ってみるのもいいかもしれないとも思っていた。きっと男しか好きになったことがないであろう仁王が、それでも私と恋人になれば幸せになれるのではないかと判断し、私の手を取るというのなら私は仁王の手を握り返したいと思う。仁王を幸せにしたいと思う。
 だけれど、私の口から吐き出されたその言葉を聞いた仁王は、戸惑ったような泣きそうなような表情を浮かべてから無理をしているみたいに小さく笑った。私はその笑顔を見た瞬間、ああ……駄目なんだなあと思った。
 そして案の定、仁王が返した言葉は私を否定するものだった。

「俺はお前さんみたいに優しい奴は好きにならんよ」

 女だからではなく、優しいからと言うところがどうしようもなくらしかったから少し笑った。笑って笑って、だけれど最後には俯いてしまう。仁王はこういう奴だ。分かっていたはずなのに心が軋む。私は仁王に幸せになってほしいと思っていた。この趣味の悪い男が愛によって幸せを得ることを望んでいた。だけれどそれはないものねだりだったのだ。私がいくら手を伸ばそうとどうすることも出来ないことだった。仁王は幸せになりたいだなんてきっと思っていない。こいつは筋金入りのマゾヒストなのだ。自傷のために駄目男を求める。どうしてそうなってしまったんだろう……馬鹿な奴。
 それ以上何も言うことの出来なくなってしまった私は、それでも仁王からは離れがたくて、だけれど立っていることも辛いから、弱々しく利き手を伸ばして、仁王の白い手を取る。仁王は無言のまま私の手に力を込めた。何故だか涙が出そうになる。私がこの手に掴んでほしいのは自分の手なんかじゃない。仁王を幸せにしてくれる、仁王を心の底から愛してくれる人の手なのだ。
 仁王の手が再び私の頭に触れた。仁王の優しい手つきで髪の毛が乱される。そこにきてようやく口を開くことが出来た私が、

「……もう悪い人とは付き合わないで」

そんな子供みたいなことを言うと、仁王は本当の本当に困ったような顔をして私の額に口付けた。

「俺たちは噛み合わんのう……」
「噛み合ってるよ、私たち仲良しじゃん」

 掴んでいた手を更にきつく握って言う私の耳元で仁王が囁く。

「こういうところが噛み合ってないんじゃ」

 酷く寂しそうな声だった。その声からも仁王の意思を汲み取ることの出来なかった私は、仁王の手首に走る痛々しい傷痕をそっとなぞりながら俯く。





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