どこで泣けばいい?

ある時から雨の日さえも嫌いになった。以前まで
の私なら、雨の日はテニス部の練習がなくなるか
ら大好きで、更に大好きな幼馴染のブン太と一緒
に家まで帰れることが堪らなく幸せだったのに。
今まではブン太も帰ろうぜぃなんて言って私と
帰ってくれたのに今は違う。
「わり!お見舞い行くんだ!」
「ブン太!」
私が何度彼の名前を呼んでもブン太は一度も振り
返ってくれない。ザアザア降る雨の中を病院へ走
り去ってしまう。ブン太がそんなに友達思いだな
んて知らなかった。でも優しいことは知ってい
た。だから余計に、口出しできない。
だから私は、幸村くんに嫉妬していた。同じテニ
ス部で、とってもすごい人だということは知って
いたけど、だからと言ってそんな風にブン太に尽
くされている人は今まで私が知る中では彼だけ
だったし、確かにブン太は彼のことを慕っている
ようだったから。何故かブン太は私にテニス部の
ことをあまり話したがらなかったけど幸村くんの
話しだけはしょっちゅうしたし、私と幸村くん
どっちが大事なの!?と責め寄っても、幸村くん
だと答えられるのは目に見えていた。ただの幼馴
染より、男友達の方が大事。それは当たり前のこ
となのかもしれない。だけど私はブン太に、それ
以上を求めていた。だって私は女友達とブン太な
ら躊躇わずブン太を選ぶことができるのだ。
幼馴染という枠から脱したい。と、そう思うのは
私の我侭なのだろうか。

その日も例によって雨が降っていた。放課後、私
は誰よりも早く教室を飛び出すと靴箱でブン太が
現れるのを待った。今日こそは、私と一緒に帰っ
てほしいと思った。お見舞いに行くという彼を引
き止めて一緒に帰ってくれだなんて、それこそ本
当に私の我侭に過ぎないけど、分かってるけど。
「……ブン太!」
「ん?どうしたぃ空」
プクーとお馴染みのガムを膨らませたブン太が靴
箱へやって来て彼を引き止めた。
「今日、私と一緒に帰ってよ」
「わりーけど今日も見舞い行くから」
「…ヤダって言ったら」
僅かに声が震えていることに気付かれないかとい
うことばかりが気掛かりでしょうがなかった。予
想していた答えなのに、予想通りになったことが
予想以上に悲しくて、困らせるような事をつい
言ってしまう。ブン太は少しムッと眉間にシワを
寄せて私の言葉を聞いていた。
たかが幼馴染の我侭。だけどそれでも、分かった
と言ってほしい。たかがなんて言わないでほし
い。不意に泣きそうになった。泣けば泣くなよ
と、彼がここにいてくれる気がした。
「あのなあ…」
ブン太は困ったように眉を下げた。もしブン太が
本当に私の事をどうでもいいと思っているなら、
わざわざ私の話なんか聞かないでいる筈だったか
らやはりどうにも、責められない。寧ろ責められ
るのは、私の方なのだ。
両方の瞳にじんわりと、染みるように涙が溜まっ
た。するとブン太の私よりも大きな手のひらが
そっと私の頭を撫でた。こんな風にされるのは久
しぶりで、今までと同じ様にその手のひらは暖か
だ。
「ごめんな」
もしかしたらずっと、知ってたの?私の気持ち。
そっと雫が頬を伝って降りた。
「…小さいとき、私が泣いたらいつも頭撫でてく
れたよね、泣き止むまでずっと」
「お前泣き虫だからなあ」
仕方ないだろぃ、とブン太は言ってやはり困った
ように眉を下げた。もう側にはいてくれないの、
と都合の良い女だから私は、そんなことを言いそ
うになった。だけどブン太はそれに気付いてなの
か否か、ゆっくりと手を離した。
「俺らもう子供じゃねーだろぃ」

パシャパシャと道に溜まった雨水をわざと蹴って
歩いてみてもそれは虚しく音をたてるだけで、
ぽっかり空いた胸を埋める道具にはならない。
小さいとき、私はブン太に甘えたで、いつも彼の
周りをべったりと離れなかったことを思い出す。
時折ブン太は暑いと言って嫌がる素振りを見せた
けどそれが本音でないことを知っていた。あの
頃、ブン太は私にとってのヒーローだった。私が
泣いたら側にいて、優しく触れる手のひら。両親
が共働きで一人ぼっちの私を慰めてくれていたあ
の声。優しい瞳。ブン太は一度も私の前で泣いた
ことがなかった。それが強がりだったのか本当に
強い男だったのか或いはその両方だったのだろ
う。私のヒーローだったブン太はずっと、私のた
めにヒーローでいてくれたのだ。
私は一体、何が不安なのだろう。自分勝手なこと
でブン太を困らせて、泣いたりして。私には彼を
引き止める権利など持っていないのに。きっと私
は、そうして彼が離れていくのが怖い。部活を始
めて、友達が増えて、恋人でも何でもない私が二
の次になるのは当然だ。なのに私がいつまでもブ
ン太の側に居るからって、その見返りを同じ様に
求めるのはお門違いだ。そんなこと、わかってる
のに。わかってるのに…。
私は足を止めた。相変わらず雨はザアザア降り続
け、制服も鞄もとうに濡れていた。私は振り返る
ともと来た道を引き返し、病院へ続く角を曲がっ
た。なんて女々しい。自分でも自分が嫌になって
しまうほど。心の中で何度も、何度も、ごめんな
さいと言った。誰にそれを伝えようとしているの
かなんて自分にもわからない。雨に紛れて、どう
して涙が出るのかも、どうしてこの足が病院へ向
かっているのかも、何もかも。

「幸村精市さんの病室はどこですか?」
病院のカウンターでそう尋ねると愛想のいい美人
な看護師さんが私の持つ花束を見て「お見舞いで
すか?」と言った。頷くと笑って、病院を教えて
くれたから私は階段で階を登った。ドクドクと高
なる鼓動を落ち着かせようとしたのに、近づくた
びにそれは大きくなって私を襲う。来なければよ
かったのかもしれない。こんなことして、本当に
嫌われてしまったら私、どうしよう。
白い廊下はパタパタと外とは違う足音をたてた。
私はある病室の目の前で足を止め、そのプレート
を見た。幸村精市と細い字で書かれたそれは確か
に自分の同級生の名前であった。幸い、蒸し暑い
からか病室のドアが開いていて中をこっそり確認
することができ、私はそっと、中を覗こうとし
た。
「…幸村くん……」
その瞬間、聞き慣れた声がして、私はビクリとし
て身を隠した。その声は雨音に紛れて、消えてし
まいそうなくらいの声で、まさかそれがブン太だ
とは思えないほどにか細かった。むしろ私の心臓
のほうが大きく、強く音をたてていた。
「…また、痩せた?」
ドクン!と大きく、また心臓が鳴った。消え入り
そうなブン太の声。どれだけ彼が苦しいか、それ
だけでわかった。
「俺さ…また幸村くんとテニス…したいな…」
幸村くんからの返事は無かった。もしかしたら、
眠っているのかもしれない。そうでなければ、言
えないのかもしれない。
何故だか私には、ブン太が泣いているのではない
かと思った。きっとそうだ、泣いてる。雨音で判
断なんかつかないけれど、誤魔化すように鼻をす
する音がする。こんなところで、誰にも気づかれ
ず泣いていたなんて知らなかった。これからも永
遠に、知るはずがなかった。

私はなんて女だろうと今更のように思った。きっ
と不安に思ったのは本当にブン太の気持ちが私に
向いていないと、どこかで気づいたからだったの
かもしれない。やはり責められるのは私だった。
心のどこかでたかが友達だなんて思っていてごめ
んなさい。たかが、なんて、ブン太にとっての彼
はきっとそれ以上を求める存在に違いなかった。
私はやはり泣いていた。私が泣き虫なのはブン太
に優しくして欲しかったからだ。ブン太が優しく
頭を撫でてくれるからだった。だけど私は今、ど
こで泣けばいいのだろう。もう、彼の優しさには
甘えられないから。今度こそ本当に来なければよ
かったと思った。ブン太が今まで守ってきたもの
を多く暴いてしまった。ここにはもう、私の大好
きなヒーローはいない。私と変わらない泣き虫が
一人、佇んでいる。

止まない雨と同じ様に止まらない涙を止めないま
まに花を手に私は病室を離れた。ペタペタと無機
質な足音が白い廊下に響く。私はそっと、願っ
た。ブン太の涙が、こんな寂しい病室の中でだけ
流さられるものでなく、いつか、私のように誰か
のーー彼の手のひらに抱かれて、止まればいい。





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