聞こえない振りして

 彼の視線はひどく不安定だ。大きくて色素の薄い、けれどもなんの感情も浮かばない瞳は、その先を辿っても何もなく、そして振り向けばまた違う方向を見ている。そんな風だからこそ、彼は一見、何者にも執着を持っていないかのように見えるのだろう。


「綾部くん。」

「……なに?」

「そろそろ授業始まるよ。次は絶対出てって、先生が。」

「……そう。」


 裏庭にぽっかりと空いた穴の中にそう呼び掛ければ、制服を泥で汚した彼は私が手を差し出す間もなくスコップを足掛かりにして上がってきた。
 いつも裏庭で穴を掘っている彼を、呼びに行くのは学級委員長である私の仕事だ。彼は成績がいいけれど、一度穴を掘り始めてしまうと余程のことがない限り自分からは戻ってきてくれない。だから、担任の先生に言われて、呼びに行く。そうでもなきゃ、わざわざこんなことしない。
 ああ、けれど一度だけ、呼びに行く前に帰ってきてくれたことがあった。彼を教室に戻してくれるなんてお節介を働いてくれたのは、一体だれだったのやら。
 歩き出した彼の後を追って、人ひとり分くらい開けた隣に並ぶ。歩幅を合わせてくれるような気遣いはない。隣に並ぶことすら、彼は望んでいないのだろう。
 彼は、その猫のような目をふらふらとさ迷わせる。あちら、こちら。だけど、ほんのときどき、その瞳が少しだけ、揺れる。
 無理にでも隣に並ばなければ気づかなかっただろう。隣に並んで、横目でずっと見ていなければ。
 迎えにきた女子に歩いている間ずっと見つめられるなんて、不躾だろうことは承知の上だった。最初はただ、それで、嫌われたかったのだ。ただ一言、うざい、とか、なにかそんなことを言ってくれれば、私も嫌えるような、そんな感情だったのに。
 どんなに見つめられても、彼はまったく意識を向けることをしない。私の方を見ても、その瞳は私を見てはいない。周りのなんでもない景色と同じように、こちらを見ては、すぐにあちらにその視線は動く。
 見続けることを、咎められなかったからやめることができない。思い上がりすぎていたのだと思う。彼は、本当に私に興味がなかった。だから、いくら私が見たところで、咎めるどころか、煩わしいとさえ思ってくれない。
 バカなことを始めたものだった。彼から拒絶されれば、私は彼を嫌いになれただろう。当時は、整った顔とミステリアスな雰囲気を持つ彼を呼びに行くように言われて、折角ならと少し興味を持っただけだった。拒絶されればそれこそすぐに、視線を動かしてしまっただろう程度の。
 けれど、拒絶もされず、ただ一方的に隣に並ぶ関係を引きずり続けて、気づけばもう、知りたくもないことすら知れるほど、はまりきっている。


「―――そう!中等部から学年首席を譲ったことはなく、委員会の花形である体育委員会に所属する、文武両道にて自他共に認める麗しさを持つ平滝夜叉丸こそが――!」


 刹那、大きな猫目が僅かに揺れた。すぐに何事もなかったかのようにふらふらとする瞳は、けれど溌剌とした声が聞こえる方向にだけは向かない。そのまま、まるで興味がないかのように通りすぎていく。
 その態度が、私にとっては何よりの証明であるというのに。





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