私は優しい凶器になりたい


 わたしの家へ、ジロちゃんが泊まりに来ていた。いまは、みーんみーんと蝉の鳴き声が聞こえる、真夏の蒸し暑い夜であり、風も生暖かく、尚且つ、冷房機具が壊れてしまい、臨時で出した扇風機は全く役立たずで、暑くて何もしたくないからと、面白くもないテレビを、ただふたりでのんびりと観ていたのに、じわじわと汗ばむ衣類。傍らの彼は鬱陶しそうに「つめたいシャワー浴び行く〜」と言って消えたかと思えば。いつの間にか、あどけないひつじの絵が描かれたパンツ一丁で、遠慮もなくわたしの布団へうつ伏せに寝転がり、白の枕を抱きしめ、半分顔を埋めた状態で、こちらに幼けない少年の笑みを浮かべてくる。嗚呼まるで、自分が可愛いことを知っているかのような笑みだ。そう、だから。ソレを目にしてしまえば、いつも化粧でごまかしている、いまはスッピンであるわたしは、ちょっとだけ妬いた。素顔がこんなにも可愛いなんて悔しい、けれどそんなことより、その化粧なんかをしないでも当たり前に愛らしい彼が好きであったから、可愛くあるのは喜ばしいことなのだけれど。


「俺、先輩のこと、スッゲー好きだよ」


わたしが氷帝の高等部に上がり、中等部から離れても、尚彼は『先輩』と呼ぶ。勿論、歳は自分の方がふたつ上であるのだから、その呼称は相応で。だけどいま。同じ寝台の上の、同じ布団で、わたしのことを見つめながらそう言って微笑むジロちゃんは、いつにも増して愛らしいというよりは、何処か色っぽかったから、変にこころが反応してしまう。パンツ一枚で、上は何も纏っていないからだろうか……。いつもは、よく寝ている所為で隠されていることが多い、その色素の薄いつぶらな瞳がはっきりと見えたとき、わたしの気持ちを見透かして表へ引きずり出そうとする。だけれど、高鳴る心臓の音をとことん無視するように「わたしもジロちゃんのこと、好きだよ」と、クラスの友達と、お世辞を言い合うときと同じ様子で言い返す。すると彼は、わたしが言ったことも、自分が言ったことも、特には気にしてないというように、眉ひとつ動かすことなく、尚もわたしをその視界に捉えて離そうとはせずに、けろりと唇を開いた。

「そうだと思ったんだC〜だから好きなんだ」
「それだけ…?」

彼らしいと思えばそれまでだけれど。答えがあまりに安易過ぎて何故だか不安になったわたしは、不覚にも生まれた動揺を隠せずに、すかさず問い返す。刹那にジロちゃんは目を細め、困ったような笑みを浮かべた。あまり目にしたことのないその表情に、動揺は、胸の内側を叩くように波紋を描き、幾重にも拡がってゆく。目が離せなくなる。囚われる、とは、まさにこのことを指すのかもしれなくて。これではまるでジロちゃんに見惚れてるみたいだと、いやに思い、暑さによって潤いを失くしている喉をひくつかせる。彼のことばなんて何も気にしていない風に、もっと違うことばを笑って返すべきだったかもしれないと、ざわつくこころの端っこで苦く思うけれど、生憎、他に言うべきことばは見付からなくて、乾いた空気を呑むだけで、半開きでいた唇を閉ざす。それと同時に、彼の唇が動いたのを目にする。


「好きになるまでの理由はいっぱいあるよ〜…だけど俺は、好きになってくれた奴しか好きになんないもん……」


彼の表情が、一瞬だけ、悲しげに変わる。人々に愛されるような小動物を思わせる薄茶の瞳は微かに潤いを成して綺麗に光っていた。わたしは、らしくもないそんな彼の表情に出くわしたくないのと伴って、どんどんと惹かれていくような気もして、そんな矛盾に挟まれてしまえば、彼から視線を逸らす他無いと眼差しの行方を彷徨わせる、しかし、わたしの目を引き止めるようにして彼は続けた。

「それも、誰より俺を好きじゃなきゃ駄目なんだよ?」

ゆらゆらと瞳を潤ませて、上目遣い。このひとはずるい。わたしが誰よりも、自分を特別に想っていることを知っているんだ。その瞳から淡いしずくがぽろんと零れ落ちたら、指先で掬ってあげたいと思っていることも。赤ちゃんのようにすべすべした肌を抱きしめて、自分の体温であたためたいことも。オレンジジュースを滴らせたような、ふわふわとした癖ある髪を撫で回し、シャンプーのにおいを嗅ぎたいことも。薄紅色に膨らんでいる、やわらかそうな唇を貪って、吸い付くようなくちづけをしたいことも……。


「好きだよ、先輩」


闇の色彩だけに覆われた、夜の時刻なのにも拘わらず、眠気が全く垣間見えない、ぱっちりと開いた二重の瞳を、相変わらずの上目遣い攻撃で、もう一度わたしを好きだという彼の表情はいつの間にか、困ったものや悲しげではなく、少年そのものの笑みへと変わっていた。幼けないその笑みを、わたしが密やかに好いているというのも、彼は既に知っているのかもしれない。

「はいはい、わたしも好きだよー。本当にー」

そんな彼の様子に、わたしは茶化すという態度に徹することとする。このまま乗せられていたら、言いようのない敗北感を得ることとなるだろうから……ジロちゃんのすべて思い通りという。“わたしもあなたが大好きだよ”、そう、真摯な口振りで返せたらどんなに良かっただろう。そして、きっと。彼もそんなわたしの態度を望んでいたはず、だ。苺の粒みたいに初々しい唇に。好きだと告げられたそのことばが、幾度も幾度も耳に木霊していけば、この胸は疼痛の風に吹き上げられたような感覚で苛められてしまう。素直に嬉しいと受け止められないのは、わたしに対する彼の気持ちをきちんと認めているからで。


「俺のこと、愛してるって言えばEーのにいーっ!」


あまり食いつきが良くなかったと見えるのであろうわたしの態度に、散々人を弄ぶようなことをしておいたくせに、不安にでもなったというのか、いきなりそんなことを言い出す彼。とうとう下方へと目線を落としたその顔を覗き込んでみれば。彼は、涙の奴と対峙している真っ最中で、いまにも泣き出してしまうほど哀しげな表情を浮かばせ、わたしのこころを魅了してやまないつぶらな瞳は、翳りを帯び、澄んだ湖が出来上がっていた。これ以上瞳が濡れてしまわぬようにと、白の枕をぎゅっと両手で握りしめる姿は可愛いとは思ったけれど、それ以上に切なくもなってしまったのは、わたしが彼を『愛してる』証拠なのだ。


「言ってくれれば、先輩のこともっと愛せるC」


ほっとくつもりだったのに。何の文句が飛び出てきても、どうってことないっていう、いやな態度を続けようと思ったのに。それなのに。この世の誰よりも愛おしい男の子が、先程自分が見せ付けた態度に納得しなかった故に、淡い涙を目一杯湛えた表情でからだを震わせている、少女みたいな弱い姿に、誰が靡かないだろう……わたしの負けだ。しかし、頭を撫でてあげようと手を伸ばすも拒否するらしく、ぱしん、と、その手をチカラ無く振り払われ、顔を完全に、枕に埋めてしまった。


「俺のこと愛してないなら、愛せばいーのにっ!!」


足をばたばたさせ、全身全霊で“愛して”を訴える姿に、ジロちゃんはずるいって、わたしまで泣いてしまいたかった。顔を埋めているから声が篭っているのか、泣いていて鼻声なのか。良く聞き取れないけれども、彼はそう声を荒げると、ひぐひぐと完全に嗚咽を漏らしながら泣き出す。毎夜使用しているわたしの枕が、彼の涙と鼻水と涎(よだれ)で、びしょびしょになってしまう……それはちょっと嬉しいかもなんて思うわたしは相当なレベルの変態だろう。そんな思考とは裏腹に、わたしは冷静にことばを並べた。涙は出てくるな、と、瞼の裏で押し殺しながら。

「わたしが愛さなくても、“彼”が愛してくれるでしょ?わたし、浮気はしたくないの」

ちいさな子を宥めるように、やさしい声色を出し、彼の華奢な裸の背中に手を置いて、ぽんぽんと叩いてあげると、埋めていた顔がぴくり!と動き、勢いよく上半身を起き上がらせ、この場合、泣いていたからなのか、恥ずかしいからなのか、どちらなのか判別のつかない、全く不明な真っ赤な顔で、濡れた睫毛に縁取られた、つぶらな瞳を更におおきく見張り、そのあとで、ふるふると何度も首を横に振る。ぎゅっと瞼が強く閉じられ、次に開いたときには、瞳の中の湖から大粒の涙の玉が新たに作られていて、何度も跡をつけた頬の上を再び走る。鼻もちいさく啜りながら、しゃくりあげ、幼子の如く泣きじゃくるみっともないジロちゃん。太陽のひかりを掻き集めたような髪の毛は、いつになくぼさぼさに乱れていて。目許を腫らし、瞳の中の白い部分は、ふたつともうさぎさんのように赤く染まっていた。そんな、悲痛を物語るのに充分な彼を目にして、わたしはどうしようもない気持ちに呑み込まれそうになってしまう……自分の態度とことばが、あなたのこころを哀しみに染め上げ、涙腺を決壊させているのだけれど。そんなとき、頬の上を走っていた涙の玉が、白いシーツに飛び散って、彼
はわたしを恨めしそうに睨む。睨む、といっても。元々あどけなさの残る顔立ちをした彼がやると、怖くも何ともない。胸の奥は、ちくりと針が刺さるように痛んだけれど。


「違う!あんな奴と先輩はちがうもんっ!!これは違う愛なんだよ!」


恋人に『あんな奴』呼ばわりされているのを知った“彼”を想像して、いい気味だと笑いが込み上げてきた。どちらにしろ、彼に勝手に恋人認定されているジロちゃんにとっては『あんな奴』という表現は妥当だろうけれど。……でも。違う愛を持っているというようなことを言ってる時点で、内心ジロちゃん自身も愛しているんだろうけどね、『あんな奴』である“彼”のことを。そんなジロちゃんは、感情に任せてことばを発していたみたいだから、わたしのことばを待っているうちに落ち着きを取り戻し始め、先程吐き出した“違う愛”という発言に気が付いたのか、「俺とあいつにはそんなもの自体無いC……恋人でも何でもないもん…っ…」と、遅れた訂正を呟く可愛いアルト声は、どんどんと薄弱したものとなり、聞こえなくなって、俯いた顔の赤さは、今度は恥ずかしさからであることが解った。いい加減認めちゃえばいいのに……。皮肉混じりなことを思ったあとで、彼のふわふわとした質感を持つ頭に手を置く。今度は拒否されることは無かったので、やさしくやさしく慈愛を込めながら撫でてあげる。こうするとすぐ機嫌が良くなるからね。まるで、欲しいお菓子を買ってもらえずに
、駄々をこねたコドモ。そんな彼を、ジロちゃんを、誰よりも特別に想っている……愛しているということだ。けれど、ソレをそのまま伝える訳にはいかない。ジロちゃんが思っている愛と、わたしの愛は違うからだ。彼自身がそう言ったように。唇から伝えてしまえば、わたしはソレを抑えることなどできない。


「ジロちゃん。わたしは彼よりもあなたを好きだと思う。それは本当の本当。大好きというのじゃ駄目なの?」


撫でながら、あやすように言い聞かせる。大好きと愛してる、似ているようで異なるふたつのことばに挟まれ、不貞腐れた顔で考え込んでいる様子だって、とても可愛らしい。……ジロちゃんの言う愛とは、わたしに対するのは『人間愛』で、歴とした男性である彼に対するのは『恋愛』なのだろうと思う。まあ、同性愛とも呼ぶのだろうけれど。そんなジロちゃんの愛を受け入れてしまえば、わたしはとても惨めでやり切れない。だって。わたしが求めているのは人間愛ではない。彼が“彼”に向けている方の“愛”なのだから。それを認めた時点で、わたしのこころは朝露のように消えてしまう。

「彼は本当に、ジロちゃんを愛していると思うの。わたしにまで愛されたいなんて贅沢だよ」


彼を甘やかすてのひらの動きとは相対することばで続けると、“さっきも言ったけれど、それは違う!そういうことじゃないC”……ということを言いたいのだろうけど、彼はまた恨めしそうにわたしを睨むだけで、何も言わない。目だけで訴える、という様子だ。涙の残滓が取れない表情は、わたしの胸を尚も疼かせるけれど、多分彼は諦めたのだと思う……色々と。それでいいんだ。彼にとっても。わたしにとっても。それで、いいんだ。


「……もう寝る!!」
「ジロちゃんの好きなドラマ観ないの?今日とても気になる回だったんじゃないの?」


無防備なパンツ一丁のからだが、びくっ!と反応するも無言で、背を向けられてしまった。このままわたしを無視して、彼にとって、絶対的な不可欠である、大好きな『睡眠の時間』に入るのだろうと思ったけど、「いーもんね」という、解りやすいほど不貞腐れの声がちいさく聞こえた。……手を伸ばせば、簡単に届いてしまう距離。同じ寝台の上にいるのだからそれは当然で、そうだから、ふれたいと思ってしまう。彼のからだではなく、こころ、に。ふれて、自分だけのものにしたいと。実際ソレをしようと手を伸ばしたところで、ふわふわと浮かんでゆく風船の端っこをどうにかして掴むような曖昧さしか手に出来ないのを解っているから、所詮、そんなことを思うのはひどく浅はかなことなのだ。思うようにならないそれがたまらなく嫌だと感じたとき、

「先輩が録画したの、後で一緒に観るから……」

彼のいじけた声が、胸に心地好く落ちてくる。些細なそれがまた愛おしくて仕方がなくなってしまう。あなたへの愛してるが、淡い桃色の湯となって、じわりとまたひとつ胸の中で拡がるの。ジロちゃんはわたしのこころを掴み続けている……けれどそれは、わたしが振り払えるぎりぎりの力加減なのだ。つまり、わたしが彼に囚われたままでいたいと、離さないように、掴み続けることを仕向けているのだ。嗚呼、本当にずるいのは自分なのかもしれないと、そっと息を吐き出して、わたしはいじわるをしてやる。

「わたし、今日観るつもりだったから録画してないんだけど……」
「えっ!マジマジ!?」

いじわるをいじわるだと思うことなく、掬いきれないほどの焦燥心を垂れ流している表情で、急いでこちらを振り返るから思わず吹き出してしまった。……旬な俳優が主人公役を努める、コメディータッチで描かれる探偵ドラマは、余程ジロちゃんのこころにヒットしているらしい。そしてすぐに「嘘だよ」と白状すると、また不貞腐れてしまい、そのまま本当に寝てしまった。泣き疲れているということもあり、すぅーという寝息が耳を掠めるだけで、身動ぎひとつさえしない。真夏とはいえ、さすがにパンツ一丁だけだと風邪を引いてしまいそうだから、薄めの布団を一枚掛けてあげる。それから、イイコイイコするように髪を左右に撫でてやると、寝ている子を慈しむ母の気持ちが解るような気がした。……ジロちゃんは、からだは毎日の部活動で鍛えていることもあり、華奢な方ではあるが、それでもしっかりと成長してきて“男”を感じさせるのは充分になっていた。しかし、中身はクラスの女の子たちより純粋で、ひとことで言えば無垢な子だ、現に、女のわたしと同じベッドの上にいても、けだもの化しないのだから……ただ単に、わたしに彼の情欲を煽る艶めいた“色”の要素が無いだけ
かもしれないけれど。何にせよ、無垢百パーセントである中身を解っているわたしが、守ってあげないといけない。自分が言ってることと、してることがちぐはぐで、解らなくなってばかりで、感受性が馬鹿に強い。その反面、都合が良い奴でもあるから、明日起きたら何事も無かったように、寝惚け目を見せ付けながら、いつもの様子に戻っていると思うけれど。……わたしが愛してると言わなければ、ジロちゃんはもう、わたしに愛してるなんて言わないだろう。わたしの反応があまりよろしくなかったから。ああいうことを言うのは、中身が成長出来ていない彼の、ただの甘えみたいなものであるし。それならいっそ、わたしが先導して、一夜の夢みたいのを楽しめば良かったのかもしれないけれど、わたしが後を引きずって……きっとふたりとも幸せになれない。わたしはジロちゃんに、幸せになってほしかった。いちばん辛かった時に救われたのが、彼の純粋な可愛らしさだったから。いま苦しい理由もソレなのだけれど。嗚呼、何で大切に想っている後輩の子を、愛してしまったのだろう。人間愛では収まらなくなってしまったのだろう。いっそのこと、わたしが“ジロちゃんの彼”と同じ“
男”だったなら、少しは状況が有利に変わっていたのだろうか……否、そんな考えはおかしい。だって。世間一般的に考えて、同性同士の方が、先輩後輩という陳腐なカンケイよりも、遥かに“障壁”があるものだから。それなのにも、拘わらず。揺るぎない想いを持っていて、無条件で愛している、あの“彼”には、どちらにしろ敵わないし、そんなひととじゃないと、ジロちゃんは幸せになれない。すぐに、まどろみの淵へと誘われてしまう、ひつじの安眠枕が誰よりも似合う彼には。……明日になって、この部屋に爽やかな白いひかりが差し込んで、苦しいも悲しいも、ぜんぶぜんぶ忘れられれば、こころからジロちゃんと。いままでのように笑い合えるのに。幸福な夢路のせかいを旅しているのか、口許をふにゃりと綻ばせながら、安らかな寝息を立てる彼が、たまらなく憎らしくて、愛おしかった。






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