星の下で花葬を

関ヶ原の戦いが終わり、季節が二つ巡り、石田三成様が六条河原で斬首され五か月。
そしてわが主、大谷吉継様が自由を失って季節は二つ巡った。

私は主の道具です。戦がなくなった世でも主に必要とされることは幸福です。
しかし、主が幸せになる道が失われたことを、素直に喜ぶことなど出来ませんでした。
「ぬしは…不幸よな」
呟くように主が私に話しかけます。もう、床についたままの姿も見慣れたものです。私は主に近づき、上半身を起こしてやります。ひゅうと喉を鳴らし、懸命に力を入れる姿に、何年も前に捨てたはずの心が痛むような気がします。

私は、忍びです。しかも生まれた時からこの方に仕えることが決まっていました。元服前の紀之介と名乗っていたころから私は主、吉継様に連れ添っておりました。
皮膚病になった時も、秀吉様の小姓に選ばれた時も、関ヶ原に向かわれるときも、片時も離れはしなかった。なのに、私はこの方を守れなかった。


「主、私を責めてください」


それが貴方に許された唯一の自由なのですと言えば、きょとと目を丸くされた。
そして包帯の下で唇が弧を描きます。私は、背筋が寒くなってしまいました。外は麗らかな春だというのに、まるで冬の雨のような寒さです。
手がこちらに伸ばされたのを見ると、私は目を瞑りました。
頭を殴られても、舌を抜かれても文句を言うつもりはありません。主の痛みに比べれば些細なことなのですから。

そう覚悟していたのに、次に感じたのは頭に優しい温もりでした。

私は、一瞬何が起こったのか分からず、魚よろしく口をぱくぱくとさせることしか出来ませんでした。なんとも間抜けなことです。しかしそのような私の姿にも主は楽しげに笑います。


「ぬしは、不幸よ。川の作りやった太平の世で、自由に生きられぬ」
「あ…るじ?」
「ヒッヒ、ぬしはさしずめ籠の中の蝶よな」


ここで籠の鳥と言わぬあたりが主です。
籠の鳥は餌を与えれば歌い、水を与えれば美しい四肢を見せます。しかし、蝶は水をやっても、餌を与えても、永くはその姿を見せられません。気が付けば死に絶え、塵屑のように捨てられるのです。
私は美しくありませんが、言いえて妙でした。気が付けば戦で命を落としている。
代わりはいくらだってある。それが忍びなのですから。


「主、蝶が死ぬのはいつだって宝を手に入れたときなのですよ」


至高の蜜を蓄える華を見つけると、蝶は自ら蜘蛛に喰われるのです。それは他の誰かに華が取られているさまを見たくないという感情から。

もう一つは自分をつける他の誰かにその蜜のありかを悟られないため。
花園をひらひらと舞うふりをして、誰かの見つけた至高の蜜を啜る。

まるで戦国の世の略図のようではないか。蝶とは、忍びのようじゃないか。
主と言う蜜を誰かに取られぬために死ぬことは、この職に関して言えば珍しいことではない。
ゆえに、いつだって私は吉継様のために死ぬ覚悟はできているのだ。それを、この方は気が付いているのだろう。
主を、私は好いているのだろうか。


「ぬしは愚かよ。我のものになるとは、ほんに愚かよ。不幸よ」
「不幸じゃ…ないです」


主、勝手に決めないでください。私は名唯からここまで尽くすのです。
そう思い主を見れば、困ったように微笑まれた。私は童のように、主の肩に顔を埋めました。
肌に染みついた薬品の香りが、鼻孔を刺激しますがそのような些細なことは気になりません。


「主…私は不幸じゃないです」


私の至高の宝はここに今あるのですから。

私は、忍びらしからぬことをしてしまったという自覚をしながら主から逃げるように外に出た。
泰平の世は着実に私の中の忍びである部分を殺し始めていた。でなければ、後ろについて来ている存在に私は気が付いていたはずだからだ。

薬屋で主のための皮膚薬、痛み止めを買うと私は一直線に屋敷に戻ろうとした。
しかしすぐに背後に気配を感じ、私は屋敷とは逆の角を曲がった。気配を消し、私は物陰に隠れた。
今の私の格好は町娘とそう変わりません。しかし身嗜みとして袷には毒を仕込んだ針、右太ももにはクナイが五本、左には短刀が仕込まれています。
ある程度の輩ならばこれで十分だったのです。しかし、私をつけていたのは―


「風魔…様…?」


気が付けば物陰として使っていた材木は既に粉々にされており、私は袋の鼠でした。
伝説とも名高い風の悪魔、風魔小太郎の息も吐けぬ攻撃に私は防戦一方です。しかしいくら攻撃をされようと主の為の薬の入った袋だけは守らねばなりません。

視界の端で太陽の位置を確認します。もうたいぶ沈みかかった太陽を見て私はこう思いました。

―早く帰らねば、吉継様が心配される

そう考えたのと同時に、私は腹部に激痛を感じました。
身体は言うことを聞かずに受け身も取れぬままに地に叩きつけられました。地面は何故だか夕陽よりも濃い色に染まりだします。
呼吸をすることが辛い。けれど、帰らねば。主の元へと。


「吉継…様…」


これは罰なのでしょうか?
貴方を置いていくことをどうかお許しください。


『ぬしには、呪いをかけてやろ』


皮膚病にかかったばかりのころ、吉継様が私に言った言葉が脳裏に響く。これが俗にいう走馬灯というものだろうか。


『ぬしは我を置いて天の園に召されることは許さぬ』


私は道具なのですから、使い手を置いていくことはあるません。


『もしも我を置いていったらそのときは永久に消えぬ呪いをかけてやろ』


その、呪いの内容を私はもう思い出せなかった。

風の悪魔が去った後、私は誰に言うでもなく話す。


「主、貴方はおいていく」


老いていく貴方を見られないことだけが後悔です。
貴方を置いて逝ったことを三成様や竹中様に叱られそうですが、しばらくの暇と吉継様は許して下さるでしょうか?

星の下で花葬を

目が覚めるとそこは図書室だった。私は確か吉継先輩に勉強を教えてもらっていたはずだ。
しかし、今頬には腕の跡が薄く残っている。そして顔を上げれば吉継先輩が思い切り頬を抓り出します。


「ひひゃいいれひゅ(いたいです)」
「ヒッヒ、我が教えているときに寝やるからかようなことになるのよ。愉快、ユカイ」


私は随分と眠っていた様だ。吉継先輩の腕時計がかなり進んでいるのが見えた。
これはどう考えても私が悪いので抵抗なんてしない。


「まったく、ぬしは昔から変わらぬ。少しは抵抗しやれ」


昔から、といっても私と吉継先輩と会ったのはこの学校に入学してしばらく経とうとしたときなのだ。それにこのようなことになるのは初めてのはずなのに、どうしてか懐かしく感じた。

頬を抓っていた手を離すと吉継先輩は私の頭を撫でます。
優しい手つきは、どうも彼らしくない。ですが本当は、吉継先輩は優しい人なのではないかと、私は思わずにはいられなかった。


「我から離れられぬ、永久の呪いよ」
「何の話ですか?」
「いや、ぬしには関係のない話よ」


貴方に出会えたことを、不幸だなんて思わない。

2011.06.05
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