春のしじまがひそやかに

ナマエは年が明けてしばらくし、病に伏せた。もとより丈夫とは言いがたい身体であったが、三成のもとに幸村に元親、それに毛利など頑丈な人間が増えたせいで彼女のか弱さが際立ったように思われる。

普段は身なりを綺麗にしているナマエとはいえ、調子の悪いときはさすがに乱れていた。髪はそこらに跳ねてしまい、浴衣は苦しくないように緩く着ている。三成は欲とは程遠い人間なのでそういった心配はないのだが、やはり恥ずかしいのかナマエは表情を苦くさせる。


「ケホッ、移るから来なくてもいいのに」
「そういうわけにもいかない。貴様に何かあっては、半兵衛様に会わす顔がないからな」


もう共に過ごせるとか時間が限られてからは、三成はずいぶんとナマエに構うようになった。それは愛する相手と今を生きようとするからこその行動、なのだろうとナマエは思わずにはいられなかった。
ヒュー、と喉が鳴るたびに三成は眉間に皺を寄せた。乾燥した空気が彼女の喉に負担をかけていると言うことを、医者から聞いたのを思い出すと三成は急に立ち上がった。


「白湯をもらってくる」
「ついでに三成はお昼もいただいてきたら?朝から何も食べていないでしょう」


自分の身体を労ろうとはしない三成に暗に休めと伝えると、気だるそうにナマエはまた布団へ横になった。



足音がしないほどに静かに歩いてくるのは、自分の知る限りここには大谷と石田、それともう少し音が軽ければナマエだろうと佐助は考えた。足音を立てないのは上品さを醸し出すのに、仕切りを開くときは声をかけるなんてことはしない。

―スパン

小気味よい音と共に入ってきたのは冷たい風と、輝く銀の髪。西海の鬼よりも少しばかり小さく細い体躯は、外見よりも力強いことを佐助は知っている。周りを見渡し、漆器を片手に何かを探しているのを視界の端にとらえた。
佐助は視線を極力、動かさないようにして三成に話しかける。


「白湯ならそこだよ。月の姫さんにあげるんなら少し熱めのを用意するけど?」
「……ふん。よく気が回るものだな」
「まぁ俺様、優秀な忍だからね。っと、あと七草粥作ったから月の姫さんとあんたに」


さりげなく言えば、案の定三成は佐助を疑りの視線で見つめており、なんとも言えない気持ちになる。警戒心は人一倍強いくせに、なつくと疑うことをしない性分であることを思い出しながら「滋養がつくよ」とだけ伝える。一も二もなくナマエを溺愛している三成がこれで折れるであろうことは大方、予想通りだ。
金で月夜の描かれた漆器を盆に乗せると三成は、佐助にそれを差し出す。粥をそこにいれろと言うことだろうと理解した佐助は安っぽい笑顔を浮かべる。


「粥なんて大将がこぉんな小さい頃、風邪をひいたとき以来だよ」


大袈裟に背丈を小さく表しやれば、三成は疑いもせずに「立派になったものだな」だなんて呟いた。悪いわけではないが、少しばかりツッコミを覚えるべきではなかろうかと佐助は内心苦笑を禁じえなかった。佐助は三成の持つ盆に粥をたんと持ったお椀をのせてやる。


「ほら凶王さん、粥が冷める前に行きなよ」



佐助に言われたからではない。と三成は眉間に皺を寄せ、粥を睨み付けた。たゆたう湯気は普通ならば食欲をそそるのだろうが、三成は全くそういうものを感じなかった。
しかし三成はそれでも粥をたっぷりと盛られた漆器を運ぶ。

ナマエの部屋の前は他の者の部屋と空気が違う。
大きく息を吸い込み、吐く。いつも彼女の前に出るときの顔を作る。


「入るぞ」


返事はないが、彼女の部屋にはいつも返らなくとも入るので気にはしない。漆器から視線を上げればナマエは上半身を起こしこちらを伺っていた。
そして三成を見るとふわりと優しく微笑んだ。


「白湯だ。喉をこれで癒せばいい」
「ありがとう。あら、そのお椀は何かしら?」


首を傾げて尋ねる彼女にぶっきらぼうに「七草粥だ」と返し、三成はまず白湯を渡す。「滋養がつく」と伝えると、白湯を飲んでいるナマエを盆を差し出す。
白い米の中に青々とした七草が輝いている。


「芹、薺、御形、繁縷、仏の座、菘、蘿蔔」
「なんだ、それは?」
「春の七草よ。知らないで七草粥を持ってきたの?」


至極楽しげに笑うナマエに三成は苦虫を潰したような表情を浮かべる。昔ならば、そういったことを覚えていた気さえする。しかし今はもうそういった余裕なんて持つこともなかったのだと、思い知らされた。

不意にナマエはレンゲに粥を一掬いして、子供にしてやるように冷まし三成に差し出す。
レンゲと彼女の顔を交互に見ると、三成は眉を潜めた。


「なんだ、これは?」
「あーん」
「……いらん」
「あーん、ほらちゃんと冷ましたから」
「童ではないのだからそこまでいらん」


そう言いながらも三成は期待に目を輝かせているナマエの差し出すレンゲを口に含んだ。薄味ながらも、甘い米と七草の若々しい苦さが口一杯に広がる。
なるほど、これならば風邪をひいているナマエでも軽く食べられる。そう考えながら粥を咀嚼していると、ナマエは幸せそうに自らも粥を口にした。

春のしじまがひそやかに
(薺の花言葉は私の全てを捧げますなのよといたずらに微笑む彼女の顔を、いまでも私は覚えている)

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