いつだって彼との物語は突然始まるのです。
きっかけは本当に些細なことであった。補習の休憩時間、ナマエはいつものようにかすがと他愛ないおしゃべりをしていた。
「わぁ、この水着可愛い」 「ナマエによく似合いそうだな」 「ふふ、かすがちゃんに言われると嬉しいな。かすがちゃんにはこれがいいんじゃないかな?」
夏休みは最早終わり新学期が始まったばかりなのだが、ナマエたちは机に置き忘れた先月のものと思わせるファッション雑誌を眺めていた。学園内でも一、二を競うほどスタイル抜群なかすがはナマエが指差した少しセクシーな水着を気に入ったようでじぃと見つめている。
もう店でもセール品さえも見ないような時期になっている。たとえ気に入ったものを見つけてもなかなか手に入らないことはわかってはいる。しかしやはり女の性か雑誌を意味もなく眺めてしまう。 きっと今ごろ彼女の頭の中では愛しの上杉先生と浜辺で愛し合っているのだろう。顔が少し赤らんでいる。
そんな彼女を微笑ましく思いながらナマエは呼吸をするようにとある言葉を呟いた。
「もう少し余裕があったら行きたかったね。海」 「なら行くか?」 「「え?」」
急に声をかけられ、そちらに視線を向ければ元親がで二人を見下ろしていた。人好きする笑みを浮かべながらこちらに歩み寄る彼は実のところナマエと恋仲であったりする。
途端、かすがは警戒心丸出しの猫よろしく彼を睨み付け、ナマエはぱちくりと目をしばたかせた。
近くにある椅子を借り、元親は二人に近寄る。かすがは不機嫌を丸出しにして舌打ちをした。
「行きてぇならバイクでちょちょいと行ってやるぜ?」 「いいの?」 「ナマエ、話に乗るな。警察のお世話にはなりたくないだろう」
イライラとしながらかすがはナマエにそんなことを言う。元親は苦笑を浮かべ、「安心しろよ」と発言するも、かすがには届かない。 彼女の気質を考えるに、簡単に己の意見を変えることはない。ナマエは肩を小さく竦め緊張感など欠片もないのほほんとした笑みを浮かべた。
「私は信用してるんだけど……なぁ」 「んなっ!ナマエ、分かっているのか?こいつが……」 「ね、かすがちゃん」
ナマエが静かにそれだけ言うと、かすがは一瞬にして大人しくなる。納得はいかないようだがナマエは言ったら他人の意見を聞かないことをわかっているからか、かすがは「あまり遅くまで遊ぶなよ」と保護者よろしくな発言を残した。元親と顔を見合わせ苦笑をもらしたのは言うまでもない。
放課後、ナマエは普段ならば決して訪れることのないような、旧職員用駐車場に足を進めた。
周りを見回しすとすぐに元親のものと思しきバイクを発見する。紫の鮮やかなそれに近付けば、後ろから頭を撫でられた。 誰かなど振り向き確認するまでもない。
「元親君、」 「おうよ。さやかには見つかんなかったか?」 「平気、というか私は普段真面目ですから」
冗談っぽくそう言えば元親は屈託なく笑った。
ヘルメットを投げ渡されナマエは急にわくわくと子供のような瞳に変わる。最初からバイクには乗るつもりだったが、いざ乗らんとすると気分が高揚するのだ。 締まりなく緩み切ったナマエの笑みに「んな、楽しみか?」と元親は尋ねる。
「元親君と海、初めてだから」
ふにゃんという言葉が似合う笑顔をナマエはヘルメットに仕舞い込んだ。
自分の何倍も厚い身体に腕を回し、抱き付くのには少しばかりの羞恥。けれど同時にそれ以上の歓喜が沸き上がる。 バイクは馬の嘶きのような荒々しい音を立て走り出した。風を切る感覚は生まれて初めて感じるもの。
「はやぁい!」 「そりゃ、遅けりゃエンストしてんぜ」 「あはは、確かに」
学校から数分走り続けると、真っ白な浜辺が目に入る。 適当な場所に駐車させるとナマエの手を引き、元親は浜辺へと歩みを進める。ローファーが砂を踏みしだく感触が心地よい。
キラキラと太陽の光を反射する水面はどこまでも青く澄み渡り、一日の授業によって溜まった倦怠感を浄化してくれる。
「綺麗……」 「おぅ。……ナマエ、」
優しく名を呼ばれナマエはゆっくりと振り返る。 海の碧が彼の銀の髪に吸収されたような錯覚。同時にとある感情がナマエの内に渦巻く。 彼の耳からたれるイヤホンのコードからさえ色気を感じてしまうのだからたまらない。
ズボンに仕舞われていた両手をナマエの方へと伸ばされる。誘われるままに彼に近付けば、すぐに感じるのは布ごしでも分かるほど鍛えられた胸板。 戯れつくように顔を埋めれば、少しだけ潮風に混ざり彼特有の安心感を覚える香りがした。
「どうした?」 「えへへ、元親君は本当に海みたいだなと思っただけ」 「ははっ、俺が海か。そりゃいいなぁ!」
恥ずかしい台詞を馬鹿にすることもなく、元親は真っ直ぐに受け止めた。
優しいこの時間が永く続くようにと、どちらともなく思ったことは、二人だけの秘密である。
人魚姫が泡にならない方法 (来年は一緒に行こうね)(色んなとこにお前と行きてぇな、これからも)
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