忘れ雪 | ナノ

  (六)


奥州に春が訪れようとしていた。未だ分厚い雲が空を覆い、雪をちらつかせる。これでも大分少なくなった。しかし、最北端はまだ雪深く閉ざされているだろう。雪で閉ざされる前に一揆を沈め、彼女たちを城に招けたのは僥倖だと思うのだ。時々やわらかい陽光が庭に差し込み、あたりを照らす。春の訪れは近い。

「あねちゃ(姉さん)、気を付けてけろ!土さ滑り安いべ」

元気な少女の声が飛び込んでくる。訛りのきつい言葉だ。だが不思議と耳に優しい。うっすら雪をかぶった庭で、銀髪が飛び跳ねる。

「いつき、待って。もう少しゆっくり」

そのあとをゆっくり慎重に足を進めていくのは、いつきの姉、はづきだ。頼りない足運び。それでもあそこまで回復するのにずいぶん時間を要した。長くまともに食べてなかったせいでまず食べ物を受け付けなかった。最初はほとんど米の入ってない粥から。少しずつ米の割合を増やし、やっと普通の食事がとれるようになってきた。骸骨のように骨の浮き出た体は喜多たち侍女たちと、こっそり自分も動いてやっと肉がついてきた。が、それでもまだ細くはかなげだ。冬を越す間、はづきはひたすら屋内で体力をつけ、歩く練習を続けた。まずは体の向きを変え、起き上がり、立ち上がり、歩き出す。赤子のように一つ一つの動作を練習し、ここまでたどり着いた。その間ずっと彼女についていたのは妹だ。

未だ雪残る庭を二人そろって歩くさまは、まさしく春の訪れを感じさせる。あの場所だけ、妙に明るく感じられる。微笑ましいと、ひどく穏やかな心地になってしまう。同時に居たたまれなくなる。はづきがいつきを見つめる目。穏やかで慈愛に満ちた目。それが己に向けられないことに、腹立ちを覚えてしまう。

「いつき、髪が」

はしゃいでいるうちに髪が乱れたらしい。銀髪を押しとどめ、はづきが縁側に戻ろうとこちらを振り返った。そして、自分に気付いて驚愕の顔。

「と、殿。ご無礼を」
「Shit,ばれたか。No,そのままでいな。野暮なことはするな。俺以外誰もいねぇ」

気付いた瞬間ぬかるんだ地面に膝をつこうとする様を見て舌打ちする。余計に怖がらせるだけとわかっていて。他人がいるときは仕方ない。はづきの身分から正しい反応だ。しかし、己が求めているものはそれじゃない。はづきは体勢を直し、困ったように微笑んだ。それだけでも進歩だ。以前はどれだけ断っても膝をついて頭を下げた。
病人に土下座させて俺の品位を落すつもりかと、さんざん説得してやっと現状だ。だが、他の家臣がいる前では仕方がない。俺が何を言ったところで立場を悪くするのははづきたちだ。そう、小十郎や喜多に言い含められてしまった。

だから、俺がはづきに会いに来るときは人払いするようにしている。はづきもそれをわかってか、いつきに支えながらゆっくり歩いてくる。

「Hum、ずいぶん足腰しっかりしてきたな」
「これも殿のお情けの賜物でございます」

はづきの家は元々村の中でも中心的立場だったらしい。さらに上の武家や商人と相対する。
ゆえにいつきに比べはづきは訛りが少ない。幼少から教育されていたのだろう。

「だが、体冷やしすぎんのもよくねぇ。こっち来てあったまりな」
「火桶だか?」

気を利かせた喜多がはづきに気付かれぬうちに火桶を置いて行った。熱せられた石から伝わる仄かな温かみがかじかんだ指をほぐす。はづきよりいつきが反応して目をキラキラさせた。こいつは本当に素直で顔に出るから見てて飽きない。

「あねちゃ、髪結ってけろ!」

縁側に座ったはづきの前にいつきが経つ。髪をゆっくり漉き、三つ編みができてく。

「器用なもんだ」
「数少ない私にできることでしたから」


◇ ◇ ◇


時間をさかのぼる。

はづきが二度目に起きたのは一度目とそう時間を空けなかった。室内にいたのは喜多だ。俺と小十郎は南部の城からの帰路を部屋の外で相談している最中だった。喜多の許しを得て(無断で入れば後がこえぇ)部屋に入れば、気怠そうだがきちんと目を開けていた。

「あの子、は」

俺を見た瞬間急に起き上がってふらついた。後ろに倒れ込むのを喜多が支える。体が限界なんだ。今でも気力で体を支えているのだろう。全く。どれだけ自分が弱ってるか分かってないのか。

「あんたが一番気にしてる奴なら、たぶんもうすぐ」

軽やかな足音がした。一瞬小十郎の体が強張ったが、すぐに足音の主を察したらしい。警戒を緩めた。障子が勢いよく開く。

「あねちゃ!?」
「いつ、き?」

銀色が女の元に飛び込んでいった。ほそっこい腕が咄嗟にに抱きしめる。咄嗟に喜多が背中を支え、倒れこむのは耐えていた。

「いつき、けがは」
「大丈夫だ!蒼い侍みんなさ守ってくれただ」
「そ、う」 

骨の浮き出た指が銀の髪を梳く。お互いがお互いしか見てねぇ。

「いいか?」

あえて、邪魔をした。

「あんたらには、俺の城に来てもらう」
「・・・は、い?」
「あんたがきっちり回復するまで面倒をみるつってんだ、you see?」
「政宗様っ」

腹心から批判の声が上がるが、無視する。

「まずはあんたに聞きたい。あんたのこと、調べさせてもらった」

女の顔が引きつった。妹のほうにも脅えが見える。

「巫女と、呼ばれていたそうだな」
「よく、お調べに」
「へぇ、否定しねぇのか」
「今更、無意味でございましょう」
「あねちゃっ」

巫女。異能を持つ女。それはあの不思議な夢での力を言っているのか。…いや、違う。この女は嘘を言っている。守るために。そんな痩せ細った顔で、妹を必死に俺の目から隠そうとしても無駄だ。

「妹を庇うか」

驚愕。言葉にするならそんな表情。そして、警戒。俺が妹にとって敵か、味方か品定めする眼だ。

「Take it easy and relax(そう警戒するな)あんたの妹を戦に使うつもりも、あんたを巫女に祭り上げるつもりもねえ」
「…信ずる証拠は。現に、あなた様はわたくしどもを城に招こうとなさる。南部の方と同じように」

やはり、女が南部に捕らえられていたのはそういう意味か。黒脛巾組にも調べさせた。村で巫女と慕われていたのは婆沙羅を持つ妹。南部は噂を聞き、婆沙羅を持つ妹を配下にしようとした。戦に使おうと思ったのだろう。しかし、女は妹を庇った。巫女と呼ばれていたのは、婆沙羅故でなく、異能ゆえだと思わせて。

なんて、考え込んでいた己の横で凄まじい気配が立上った。

「てめぇ、政宗様になんて口の利き方を」
「Wait、小十郎。」

女は激昂する小十郎に顔色をなくした。そうだろう、女子供どころか部下である野郎どもにも怖がられている男だ。そんな小十郎の怒気を真正面から受けてなお、女は泣きもせず座っている。だが、恐怖は抱いているのだろう。現に、掛物をつかむ手に力が籠っている。恐怖を押さえつけて、この双竜に女一人が立ち向かうか。妹のために。兄弟というものが、わからねぇ。…あぁ、胸のあたりが気分わりぃ。余計なものまで思い出しそうだ。

「あんたらの噂はいずれ周りの国に届く。村に戻ったところで同じことの繰り返しだ。You see?(あとはわかるな?)」

南蛮語の意味は知らないだろう。しかし、文脈で意味を悟ったらしい。女は凛とした表情を崩し、そっと諦めまじりのため息をつく。そんな姉を、妹が心配そうに見上げていた。全く、麗しき姉妹愛なもんだ。

「ご無礼をお許しください。我ら姉妹へのご慈悲、恐れながら承りたく存じます」

動きにくい体で、ゆっくりと頭を下げた女。折れた、と。その時俺は思った。

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