忘れ雪 | ナノ

  (一)


ここは、どこだ。これは、何だ。

なぜ、俺はここにいる。どうして、俺はここに在る。夢か、これは。夢であってほしい。夢でなければ

「何で、何もねぇんだ?」

否、存る。ただ限りなく広がる闇が。だが、一向に目が慣れぬ。月も星も、音も風もなく。もしや、この世は壊れてしまったのか。でなければ。でなければ、とうとう。とうとう、残った左目すら狂ったか。

「くそ」

左目を抑える。握りつぶせそうなほどに(あぁ右目と同じく、抉り出してやろうか)両の目を無くせばもう見なくていいのか(あんな、あんな顔を、見なくていいのか)世が墨より昏い黒で塗りつぶされれば、もう

「…客人(マレビト)さん?」

凍る風が、通り過ぎた。とっさに左目を開けてみる。そして、真白の欠片が散らばった。いきなり飛び込んできた色彩に、目が痛い。

「どうして」

知らぬ声がしたこと、初めは気づかなかった。ただ、分かった。舞うのは雪なのだと。分かった。この世に、この目に、色が戻ったことを。

舞う。舞う。六花が。何度も見た、凍てつく花弁が。

だが、ここまで美しいものだったか。ここまで、思考を奪われるものだったか。

「こんな処に、なんで…」
「…っ」
「迷い込んだ、の?」

…だめだ。今、雪に我を奪われては。強張った左手が顔から外れ、焦燥から振り向いて屈む。声が発される方へ

「誰だ、あんた」

自分で思う。遅すぎた、と。とっくに殺されてもいいぐらいに。しかし、攻撃されない。ただ相手は声を発するだけ。

「っ」

目が合った。向こうの二つと己の一つが、合ってしまった。三つが絡まって、たまらず喉が微動する。

「俺の質問に答えろ。お前は誰で、ここはどこだ」

真正面に見えたのは、女一人。単衣に羽織を重ね、石に腰掛け。長い黒髪。どこぞの姫、か?否、それとも化生の類いか。殺意は一応感じられない。ただ、泣きそうな顔で自分を見ている。(なぜ、そんな顔をする)ただ嫌悪を感じた。女の泣き顔は、胸糞悪い

「てめェが俺をこんなとこに連れてきたのか?答えろ」
「…そう、かも」

女が顔を伏せる。さも、女を覆い隠さんほどの真白が散り、乱れて、舞い上がり。まだまだ舞う。まだまだ散る。どこまでも、どこまでも広がって。まるで女を守るよう。まるで女を終わらせるよう

必ず溶けてゆく。いくつもいくつも、等しく消えて。

「私が、呼んでしまったの?」
「Ha、情けねぇ面してんじゃねぇ」

ただ一人。ただ二人。そして無数の雪。後は変わらず、闇に塗りつぶされて。
…おかしい。これは、おかしい。目ではない。ここは、この世界は、妙だ。

「ここは、何なんだ…」
「引き込んで、しまったのね」
「An?」

さっきから、何を言っている? 女が顔を上げた、また、目が合う

「あなたを、返すわ」

上を見上げ、何かを決めた顔

「行って」

ふわりと、風が吹いた。また花弁が舞う。堕ちた輩も地上から離れ、舞う、乱れる、新たに散る。そして世界が白に埋め尽くされ、とっさに腕で顔をかばった。

「あなたなら、きっと」

何も、見えない。

「あの子も、戦わずに済んだ」


◇◇◇


目を閉じる。耳に届くは沈黙、静寂、無音の証(よかった、無事に行けたらしい)上を見上げる。空も何もない。ただ黒だけが続く。どこまでも。どこまで行っても、もう彼には届かない。遠い遠い、彼へ。

「呼んではダメ」

舞い疲れた雪が、堕ちる。総じて等しく、堕ちて、堕ちて、堕ちた。手を差し出す。ちょうど最後の一片が乗った。

「次があれば、もう私には帰せない」

手のひらから白が消えた。ほんの少しの、雫を残して

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