海からくるもの、十白く焼けて、手を彷徨わせてもなににも触れない。なにも見えない。あの温もりがそばにいない。それがこんなにも恐ろしく心細い。どこ? どこにいるのですか?オオカミ様? 必死に読んで、耳をそば立てると、和やかな笑い声が遠くから聞こえる。これは、知っている、声? 女性と、幼子の。大事な人たちの、声。今この瞬間、聞くとは思わなかった。 「さやにお礼が言えてよかったね、礼美」 「うん!あやみ、ありがとうってしたの!」 視界が戻る。私はなぜか、空にいた。空から、家の中でお茶を楽しむ典子さんと礼美ちゃんを見下ろしていた。声を出しても、二人は私に気付かない。手を振っても、二人は私が見えない。 ただ見るだけ。聞こえるだけ。 なのに、あらゆるものを見通す。見聞きする。 これは人じゃない。人の目では見れない。 これは神の目。 あらゆるものを見る神様の目。見つめ合うことも触れることも、言葉を伝えることもできない、ただ見ることしかできない神様の目。 それはなんて、孤独。なんて寂しい。ずっと、オオカミ様は寂しかったの?この不思議な現象は、オオカミ様が伝えたいこと?それとも、別の誰かが願ったこと? 早く戻りたいのに。 くるり、くるり、と場所が変わる。景色が変わる。今度は、東京の、事務所。留守番をしている、女子高生二人。笠井さんと、同級生だ。 「大丈夫かしら。渋谷さん達」 「連絡こないねぇ。さやのこともう一回撫でさせてほしいなぁ。あれから学校が明るくなったし」 場所が変わる。もっと、遠くへ。制服を着た男女が、見慣れた部屋で話し合いをしていた。緑陵高校の、生徒だ。オオカミ様を匿って、世話してくれた人たち。 「神社綺麗にしたら住み着いてくれねーかなぁ。俺たちの癒し、白饅頭」 「お腹減るからやめなさいよ」 「だって、俺、まだお犬様にお礼言えてないし」 「そうねぇ。お礼は饅頭でいいのかな?」 めぐる。まわる。今まで過ごした場所。大神様と歩んだ場所を。 たどりついたのは、鳥居がある場所。知ってる。この場所は知ってる。 前より綺麗にった神社。鳥居の前に、狐が二匹。石像じゃない、動く狐。彼らは険しい声で言う。 「人の子」 「このままではならない」 「慈母神のもとへ戻れ」 「己が危うくなるぞ」 誘導されて遠ざかる私の背中に、厳かな声がする。 「礼を言おう。お前のおかげで我らに力が戻った」 咄嗟に、振り返ろうとした。そんな私の腕を、誰かがつかんだ。 「だめだよ」 「あなたは・・・」 よく似た顔を知っている。こんな穏やかな笑顔は見たことがないけれど。まっ黒の瞳と、黒髪を持つ、白い肌の青年。彼は私の腕をつかんで、首を振った。 「振り返っては駄目。戻れなくなってしまう。行って。君が呼ばれる方へ。ナルが、ごめんね」 とん、と背中を押された。 (58/70) 前へ* 目次 #次へ栞を挟む |