海からくるもの、十

白く焼けて、手を彷徨わせてもなににも触れない。なにも見えない。あの温もりがそばにいない。それがこんなにも恐ろしく心細い。

どこ?

どこにいるのですか?オオカミ様?

必死に読んで、耳をそば立てると、和やかな笑い声が遠くから聞こえる。これは、知っている、声?
女性と、幼子の。大事な人たちの、声。今この瞬間、聞くとは思わなかった。

「さやにお礼が言えてよかったね、礼美」
「うん!あやみ、ありがとうってしたの!」

視界が戻る。私はなぜか、空にいた。空から、家の中でお茶を楽しむ典子さんと礼美ちゃんを見下ろしていた。声を出しても、二人は私に気付かない。手を振っても、二人は私が見えない。

ただ見るだけ。聞こえるだけ。
なのに、あらゆるものを見通す。見聞きする。

これは人じゃない。人の目では見れない。
これは神の目。
あらゆるものを見る神様の目。見つめ合うことも触れることも、言葉を伝えることもできない、ただ見ることしかできない神様の目。

それはなんて、孤独。なんて寂しい。ずっと、オオカミ様は寂しかったの?この不思議な現象は、オオカミ様が伝えたいこと?それとも、別の誰かが願ったこと?

早く戻りたいのに。
くるり、くるり、と場所が変わる。景色が変わる。今度は、東京の、事務所。留守番をしている、女子高生二人。笠井さんと、同級生だ。

「大丈夫かしら。渋谷さん達」
「連絡こないねぇ。さやのこともう一回撫でさせてほしいなぁ。あれから学校が明るくなったし」

場所が変わる。もっと、遠くへ。制服を着た男女が、見慣れた部屋で話し合いをしていた。緑陵高校の、生徒だ。オオカミ様を匿って、世話してくれた人たち。

「神社綺麗にしたら住み着いてくれねーかなぁ。俺たちの癒し、白饅頭」
「お腹減るからやめなさいよ」
「だって、俺、まだお犬様にお礼言えてないし」
「そうねぇ。お礼は饅頭でいいのかな?」

めぐる。まわる。今まで過ごした場所。大神様と歩んだ場所を。

たどりついたのは、鳥居がある場所。知ってる。この場所は知ってる。

前より綺麗にった神社。鳥居の前に、狐が二匹。石像じゃない、動く狐。彼らは険しい声で言う。

「人の子」
「このままではならない」
「慈母神のもとへ戻れ」
「己が危うくなるぞ」

誘導されて遠ざかる私の背中に、厳かな声がする。

「礼を言おう。お前のおかげで我らに力が戻った」

咄嗟に、振り返ろうとした。そんな私の腕を、誰かがつかんだ。

「だめだよ」
「あなたは・・・」

よく似た顔を知っている。こんな穏やかな笑顔は見たことがないけれど。まっ黒の瞳と、黒髪を持つ、白い肌の青年。彼は私の腕をつかんで、首を振った。

「振り返っては駄目。戻れなくなってしまう。行って。君が呼ばれる方へ。ナルが、ごめんね」

とん、と背中を押された。
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