最初

何月何日かは知らない、とある天気の良い昼下がり。悲しいほどに予定がない私は何となく散歩をすることにした。人気のない山道。静かだ。落葉で柔らかい地面をざくざくと進む。都会ほど排気ガスの匂いはしない。道路から外れているっていうのもあるんだけど。道なき道を進んでいるわけだが、帰りは何とかなるでしょ多分…。本当に静かなだな、と思っていたとき。

甲高い急ブレーキ音、打撃音
最後に、落下して激突した鈍い音。

両耳が拾った衝撃音に全身が泡立った。音が何か理解する前には走り出す。拾った音を頼りに着いたところは舗装された道路。ボンネットがひしゃげた車と、車から降りてきた女性と、地面に横たわった少年。私が駆けつけた時にはちょうど、女の人が車に乗ってドアを閉めた頃だった。エンジンがかかって、車が動いて(…え?何でそのままバックするの。動揺しすぎて操作間違ってんの?…そんなわけない!)

首筋がびりびりする。完全に殺意だ!

全力で地面を蹴りつけて、少年と車の間に体を滑り込ませた私。同時に何もないところでタイヤがパンクした。僥倖だ。運転席にも異常がわかったらしい。車が止まる。女が降りた。パンクの衝撃が、少年を轢いたと思った?女は少年に覆いかぶさる私を見て目を丸くして青ざめた。残念でした。目撃者がいるんだよ。逃がさないから。事故の当事者は通報の義務があるんだよ。さっさと救急車を呼んで。少年まだ息してるから。て、人の話聞いてよ。何で車の中に戻ってんの。携帯で警察にかけてんのさ。いくらドア閉めてても聞こえてるから。

「警察!?野犬が――車から出れなくて―――」

通じてない。私が言いたいことが全然伝わってない。そうだよね。私の声帯は日本語話せるようにできてないし。せいぜい出るのは“ガウ”とか“グルルル”とか“ウー”とか。牙をむき出しにして毛を逆立たせることしかできない。少年はその間動かない。血がどくどくと流れているのに、止血できない。この爪では力を籠めれば皮膚を傷つけてしまう。せめてこれ以上少年が傷つけられないよう四足を踏ん張るだけ。

(しょうがないよ、今の私って、どう見てももふもふ白わんこなんだから!)

女は引き続き携帯に何かをまくし立ててる。もしここで知人を呼ばれたら女と共犯となって何されるか分かんなかった。だけど、錯乱気味の女は冷静な判断ができなかったらしく相変わらず警察の救助を呼んでいる。自分の首絞めてるけどありがたい!とりあえず少年の様子を見る。ちょっとそこの犯罪者、期待で歪んだ顔向けないで。食べないから。

それからは女との睨み合いが続いた。少年は辛うじて息してる。でも、指先が冷たい。とってもまずい気がする。ひとまず体重をかけず少年の上で踏ん張って、温めようとするんだけど。あってるのかなこれで。私に医学的知識を求めちゃいかん。

どれだけ時間がたったのかわからない。けど、やっと、やっとサイレンの音が聞こえた。よかった、初っ端から猟師さんとか出てこなくて。パトカーから出てきたのは年配の一人と若手一人。

「あの犬が急に襲ってきて!」

何か女が叫んでいるけど金切声で耳が痛い。警官二人は私から距離をとりながら女を保護した。というか、パトカーにのっけただけ。で、目が正義感で燃えてる若手よ、こっちに警棒向けるのはけしからん。…ごめんなさい、本音を言うと怖いです。尻尾が足の間に逃げそうになるくらいに怖いです。

だって、警察官に睨まれるって経験したことないし。体格のいい男性二人に睨みつけられたらそら怖いわ。女に牙むき出しにする私が悪いんだけど。でも、警察が近くにいるってことはトドメさそうとか下手なことしないよね。よね。よね?私は熱血溢れる若手から目を離して、年配の警官を見た。彼も私を警戒している。でも、警棒とか拳銃とかは出てきてない。とりあえずはそれでいい。私は彼らを刺激しないよう、ゆっくりそこを動いた。私の体の下にいる彼が、見えるように。(今までもふもふで覆われちゃってたのだ)

「っな」
「おい、救急車だ!」
「その犬よ、その犬がその子を襲ったの!」

また来た女の金切声。でも挑発に乗って威嚇したら余計警戒されるよね。私大人しいよー、てアピールしたいところだけど。少年がまじで危ない。指先とか冷たくて顔色がどんどん蒼くなってきてる。どうすることもできなくて頭に流れる血をなめとっていく。でも起きない。本当にまずい。このわんこの体でどうしたら、なんてあたふたする私。知らず知らず“くーん”と情けない声が出た。

「おい、現行犯逮捕だ」

渋い声。年配の方だ。救急車を呼んでいた若手が目を丸くする。

「え?」
「傷を見ろ。犬に襲われたんじゃねぇ。轢かれたんだ」

私は見た。家政婦じゃなくても。女の形相が変わる瞬間を。少年と私に注目してる警官二人の後ろで、パトカーからひっそり出て、道端の石を手に女が若手に忍び寄るのも。あーもー、ホントに邪魔!

『グルルウ…ガァッ』

壁ドンならぬ、腹ドンをしました。私石頭らしく平気。でも女には相当な衝撃がいったみたいで、倒れたあと起き上がれない。私ドヤ顔。あっけにとられた警官そっちのけで、少年の元に戻って温め再開。さっさと動け!とカツを入れる目的で一声吠えればそれぞれ動いた。そうだそうだ、最初からそうしてくれ。

救急車に運ばれる少年。同時に連絡を受けた警察車両も何台か応援に来た。そうだよね、事故じゃなくて事件だもんね。でも私は事情聴取されても何も答えられないし。救急車のあとを追いかけようとしたら年配の警察官が。

「乗れ。送ってやる」

おっちゃんいい人―!もちろん駆け込みましたとも。若手がちょっと微妙な顔してたけど知らない。無実な女性(私だよ!)に警棒向けたこと忘れないからね。
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