病院、窓下


「うわ、こらっ」

というのは、若手警官の声。私が池から上がってとりあえずの身震いしたからね。傍にいた彼に水滴が盛大に飛びました。へへん、とか思ってたらオオカミ様にもの言いたげにじーと見られた。すみません。反省します。いい気味、とか思っちゃいました。わざとです、はい。何でベテラン警察官じゃないんだ、とか思っちゃいましたです。怒られるかと思って、若手さんを見たら、水分を払いながら難しい顔をしていた。あれ?怒鳴られない?

「最近来なかったが、どこに行ってたんだ」

あれ?何々、心配、されたの私?そら、来ようにも来れなかったけど。でも、ここで反応するのはおかしい、よね。私人の言葉ワーカリーマセーンの態でいなきゃいけないからね。いそいそと病室の方へ向かう。何も言わずに若手さんがついて来る気配がする。うぅ、何だ何だ。気付いてないふりして、病室をのぞき込む。

「相変わらず眠ったままだぞ。良くも悪くもな。身元不明のままだ」

若手さんが言う通り、眠り込んだままの少年。改めてみても渋谷さんにそっくりと言うか、同一人物にしか見えないや。血縁関係、なんだよね?渋谷さんの兄弟と言うか、むしろ家族の話ってなにも出なかったけど(仕事中だったし)谷山さんのところに半透明で現れたりして、嫌な予感しちゃったけど、結局幽体離脱?生霊?状態だったのかな(それもどうかと思うけど!)

「もう諦めたのかと思った」
「わんっ」

若手さんが何か言った!思わずそれはない!と私もオオカミ様も同じ気持ちで吠えちゃった。オオカミ様が許す限り、ていう前提。でもオオカミ様も否定してくれたから、まだまだ少年の安否は気にかけていいと思う。

「な、なんだよ」

ぎょっとした若手警官。今更だけど、少年の容体が変わりないことを教えてくれたり、私を心配?(で合ってる?)してくれたり、ちょっと変わった?若手警官。
じー、と見てたら、若手警官がちょっと怖い顔した。

「わかった、そんな警戒すんじゃねぇよ」

あれれ?そんなつもりじゃなかったのに。若手さんはどこかに行っちゃった。ごめんて。威嚇したわけじゃなかったんだけどなぁ。

そのあと、病院関係者やベテランの警官が会いに来てくれた。きっと若手さんが伝えてくれたんだと思う。むむむ、誤解とはいえ罪悪感が。ベテランさんが言うには、仕事の合間にもちょこちょこ少年とあと私が来てないか様子をみにきてくれてらしい。ベテランさんが一通り撫でてくれたあと、頭に手を置いて

「いい加減あいつを許してやれよ」

なんて言うんだから。さらに罪悪感。言葉で説明できないから、今度会えたら撫でるくらいはいい、かな?うん。



◇ ◇ ◇



ばたばたしたけど、今は定位置(病室の窓下)に体を丸めています。思いをはせるのは、あの館の面々。大丈夫かな。谷山さんたちが引き上げられたところまでは見れた。でも、それは昨日の朝だ。何だかんだと、一日半たってしまった。何もできないまま夜が過ぎて、朝が来て、また暗くなってる。再び何かが起こってもおかしくない。落ち着けなくて、怖いの承知で一度池に入ってみたけど、何故か移動できなかった(それが、普通?)オオカミ様もそわそわしているけど、動く感じじゃない。向こうは大丈夫なの?て聞いたらわふう、と困った顔で言われた。さらに不安…。


とかとか、考えていたら、ふっと気が緩んじゃって。うとうとしだすわけで。体力温存も、大事、なのよー…と、言ってみた。おやすみ、なさい。


そのときは、すぐに、夢だと思った。病院の横で寝ていたはずなのに、いつの間にか室内にいたから。それも和室に。どこ、ここ?昨日までいた洋館でもない。畳と襖の座敷。広い。庭もある。池も、見えた。あれ、あの池は見たことある、ぞ?和室を出て、縁側から庭に下りる。裸足なのに、土の感触がない。怖い、と思う前に見なければ、と思った。だって、これ、たぶんすごく大事な光景だ。

『わふっ!』

まるで、私の思いを肯定するかのように隣から勇ましい吠え声。

「オオカミ様?」

尻尾を全力で振っている、真白の狼。両目を紅が縁取って、額や背中まで紅模様がある。人には見えないはずの、紅い熊取。神様としての、姿だ。ますます、ここがただの夢でないことがわかる。

「私、何をしたらいいの?」

聞いたら、オオカミ様がぐるりと視線を巡らせた。鼻先をたどれば広々とした庭に、女の子がいる。着物を着て、毬をついている。礼美ちゃんでは、ない。でも、年頃は一緒な気がする。

――…!…ぉ!

屋敷の奥から、女の人の悲痛な叫びが聞こえた。誰かを呼んでる。きっと、あの毬をついている女の子のことを。でも、女の子は反応しない。それどころか、急に現れた男性に手を引かれていく。

駄目だ。そっちに行っては、戻れなくなる。

思わず駆け出そうとすれば、体がぐん、と引っ張られる。見下ろせば、白狼が服の裾を銜え込んでいた。

「何もしちゃ、いけないの?」

神様が、神話では慈母とも呼ばれる神様が、無言で私と視線を合わせる。紅に包まれた両目は、奥が深すぎて私にはオオカミ様の感情が読めない。でも、分かることがある。だめなんだ。私が行っても何もできないし、何も変えられないんだ。

だって、これはおそらく、過去。

ぐ、っと堪えていたら、私の横を誰かが駆けていった。

って、ぇぇぇぇぇぇえええ!?何でここにいるの、谷山さんっ!?

ぽかんとする私を放置して、谷山さんが止める間もなく池の方へ駆けていく。全力だ。全力で駆けていったけど、着いた時には女の子は消えていた。そして、男の姿もいない。いつの間にか、私たちの目の前に井戸があった。場所が変わってる。さっきまで井戸何てなかったのに。気がつけば、井戸の前に女性がいた。着物を着た、女の人。多分、女の子のお母さん?女の人は悲痛な、声にならない嗚咽を零した。泣いて、泣いて。ゆっくりと、丸くて暗い、小さな水の中へ。傾いて傾いて、吸い込まれていった。ただ虚ろな水音だけ残して。

放心状態の私。いつの間にか、オオカミ様が服を離しているけど、動けない。

あれ、谷山さんは、どこ?

いた。

走り寄ろうとした体制のまま、黒髪の少年に押し留められている。その谷山さんが、驚いた顔で少年を見つめたまま一瞬で姿を消した。多分、目が覚めたんだと思う。

そして、私と彼の目線が合う。渋谷さんの、そっくりさん。今は病室でこん睡状態であるはずの、彼だ。彼は私と、オオカミ様を見た。少年の口が動く。音はない。けれど、伝わる。

お ね が い

それは、とても短い祈り。神様に対する懇願。私ではなく、オオカミ様への。オオカミ様を神様として、信じる人の力。神様を存在させる力。でも、叶えるかどうかはオオカミ様次第。私は伺うように、四足を立てて、胸を張るオオカミ様を見た。うん、全力で尻尾振ってる。ついでに、威勢よく吠えた。叶える気満々だ。


それで、どうやって戻ればいいんでしょうか、オオカミ様
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