24
海を越えた先。東洋の果て。日本、という国の、何処か。己を連れた娘がたどり着いた場所だ。何故か杖を使わず姿現しのできない娘は、マグルの手段を使ってこの地についた。業腹なことに、己はポケットに入れられるサイズのため窮屈なこと以外は差し障りなくここまで来てしまった。
己が初めて見たとき、ただの荒れ地であった。一つ瞬くと、そこは庭付き洋館の敷地であった。小娘は、初めから知っていたように門をくぐった。以前にも来たことがあったのか。この、妙な力の満ちた屋敷に。

『魔法か』
「どちらかというと、魔術らしいよ。この場所は」

そう言った娘は、今はいない。

静かだ。静かすぎる夜だ。虫の声や風の音すらない。ここは縁側というのだという板の上。そして、板の下は水だ。水が庭を覆いつくしている。巨大な池の上にあるように、洋館は立っていた。

「こんなところで、凍えてしまうわよ」

人間の声。だが、小娘ではない。この屋敷の女主人が、いつのまにか立っていた。魔法族とは違う、魔術師なのだと言う女。確かに纏う空気は、マグルとも違う。女は、この国の民族衣装を身にまとっていた。

『あ奴は』
「対価を払ったわ」

あの娘とこの女主人は、何かしらの取引をした。娘の願いを叶える力、女はそれを持っているのだという。ただし、同等の対価が必要なのだとか。娘は願いを言った。女は答えた。結果、娘はここにいない。どんな力を、この女は持っているのだろう。娘にしかわからなかった言葉が伝わる原因も、不明だ。
長生きはしてきた。だが、己はあまりにもあの学校の外を知らない。

黒い髪と黒い衣服。自然と一人の男を思い起こして不愉快になる。

『あの娘が同じ年だという、あの男より随分と年若く見えるのは、ここが原因か』
「知りたいのかしら」

涼やかに、女が笑う。すでに己の答えなど知っているだろうに。女が静かに己の横に座った。今では女の背丈以上に長い己の横に、何の躊躇いも恐れもなく。妙な人間に、よく出会う。

『あの小娘が隠すならば、己が暴くまでだ』
「そう」

不穏な気配によってか、庭の水面が揺れる。

『小娘には責任がある。己の生を乱した責任を、とってもらわねばなるまい』
「あなたとあの子は、不思議な繋がりがあるのね」
『奴は契約と言った。名を使った契約と。その入れ知恵の源は、ここか』
「私が伝えるには、対価が必要よ」
『ここは、そういうミセなのであろう』
「そうね」

いつの間にか。初めからそうであるように。女と己の間に、空の盤があった。ただの盤であるまい。何かしらの力を感じる。盤は縁側から浮き、庭の水をくみ上げる。波打つ水盤。

「あなたの願い、叶えましょう」





何でも知っているわけではないと、女は言った。だが、知る術を持っているのだと、女は笑った。

「貴方のところにもあるでしょう。これと似たような道具が」

盤に映し出されたのは、今より幼い外見の小娘。

「会えば縁が結ばれる。それを恐れて、あの子は誰とも人付き合いをしようとしなかった。だけど、一人だけ、あの子の存在に気付いた子がいた。ぶつかっても踏まれても傷ついても気づかれなかったあの子に、気づいた子がいた。それが、きっと始まり」

一緒に写った、若かりし魔法薬学教授。否、ただの学生であった少年。何の気まぐれか、無いもの、気づかれないものであった小娘を、探して見つけては、何かしら話す。気を遣う。時には魔法や薬で治療した。

「あの子は、駄目だと自分を戒めたけれど。人は、弱いのよ。特に、寂しいときは、とても弱いの。か細い糸のような繋がりであったけれど、救われていた部分もあったのよ」

水盤の場面が変わる。成人した小娘と、男がいた。男は泣いていた。絶望して泣いていた。

「この人は、その唯一を亡くしてしまった人」

絶望していた男が、現実を見る。唯一がいない現実を知る。そして、現実を拒絶しようと自らに杖を向けた。何をしようとしていたかは、呪文が紡がれなかった故不明だ。だけど、自身に害を為そうとしたのだろう。小娘が反射的に杖腕をつかんで、止めるくらいには。

「あの子はたった一つが、消えてしまいそうになったとき、とっさに触れてしまったの。そして血筋の力で知ってしまった。触れたこの人の、その“サキ”を。読んだ内容を、私はあなたに伝えられないわ。私が伝えられるのは、過ぎ去ったことだけだから」

また、場面が変わる。今度はホグワーツ校。禁じられた森の境だ。小娘と、なぜかケンタウロスがいた。この場面は、己は知らない。だが、小娘の年恰好からして、近年の話であるようだ。水盤から、初めて音が伝わる。

『貴女は、おそろしいことを考えている』

ケンタウロスにしては穏やかな口調で、話す相手。

『誰もが望むこと、ですよ』

それと対峙する、小娘。

『確かに。人が望むこと。だが、それを真にしてしまった』
『罪、とも言いましょう』
『でも、貴女は分かって願う』
『願いますとも』
『おぞましい、と他の者なら言うだろう』
『怒るでしょうね。あなたは怒らないのですか』
『それが人だろう』
『何も言わないの』
『言えば貴女は偉大な蛇をけし掛けるのかな』
『まさか』

水盤が大きく揺らぐ。そして何も見えなくなる。
気が付けば、目の前には女一人だけ。

「あの子が呼んだのは、ただ一つの先。それ以外、あの子は知らない」
『故に、あ奴が助けた己の存在は異質と言うか。消えていたはずの己がイビツと称するか』

一つの道筋しか知らないのであれば、居るはずのなかった己は妨げとなったであろう。そう思ったのに、女はいいえ、と首を振った。

「あの子は願いのために強くなれる子だけれど、非情にはなれない子。あの子があなたに対して望んだことはただ、ここに居ることだけ」
『…知っている。だからこそ、腹立たしい。答えは得たのだろう。吾の命を拾い上げた意味は終えたのだろう。ならばなぜ、あ奴の先を乱すであろう吾を消さぬ』
「それはね、きっと、寂しいから。あの子の願いはとても単純でまっすぐで、だからこそ難しい」

庭の水面が、また揺れた。風がないのに。

「寂しいから、嬉しかったのでしょうね。貴方とのやり取りが」
『…下らん。人風情が、吾に情を抱くなど』
「そうかしら」
『何れにせよ、もう一つ、願いを叶えてもらう』
「あら、いいの?まだ一つ目の対価も払っていないのに」
『吾の次なる願いと、一つ目の対価。同等のモノであると考えるが如何に』
「…どう似たのかしらね、あなたたちは。いいわ、あなたの願いは、何?」
『吾は眠ろう。セシル・クルタロスというただの小娘とともに』
「その時間と拘束を、対価とするのね」
『そうだ』
「そう。貴方の願い、叶えましょう」

さざ波が大波となって、蛇を包んだ。蛇は抵抗なく、水にのまれた。




縁側には、女が一人。女が座るところは縁側。その下は、庭一面を埋める水。池のような水の塊。その中には、人と蛇が目を閉じていた。呼吸ができない空間で、苦しむでなく目覚めるでもなく。揺蕩うように、時の流れない水中にいた。

「二人とも、願いに対する価が少し、多かった。だから、変わりに隠すわ。あの世でもこの世でもないところへ。貴方たちを探す勢力が、見つけられないところへ」

女の言葉に動かされ、水が引いていく。中の存在ごと、どこかへ。どこでもないところへ。

「私にできることは、ここまでよ」

風が吹く。虫が鳴く。いつもの庭が、あった。


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